第6話

「どうして……シン様が?」


 ライラは呆然と、ただシンを見つめる。シンは困ったような笑顔を浮かべていた。


「待って、どうしてシン様がいるの。ここはハーレムの王子の私室よ。見つかったらただじゃ済まないわ。あぁもうすぐ王子が来ちゃう。早く、部屋から出なきゃ――」


 ライラは動揺しつつそんな事を言った。けれどシンも、そしてマーリも慌ててなどいない。慌てているのはライラだけだ。そのことに、認めたくない真実があることを知った。


「大丈夫だ、ライラ。ここは王子の私室だからね。俺がいても怒られることはないんだ」


 穏やかな声でシンが言った。


 ライラは背後に控えているマーリを見る。マーリは無言で頷いた。つまり、シンの言っていることは冗談などではない。


 シンが第七王子なのだ。


 衝撃が大きすぎて動けない。何も言えない。思考も回らない。


「ごめん、ライラ。俺が第七王子だってこと、隠してて。でも騙そうとか、からかってやろうとか、そういうつもりはなかったんだ。ただ、出来ればライラとは村で過ごしてきた関係でいたかった……」


 シンが叱られた子供のように目を伏せている。


 あぁ、いかにもシンが考えそうなことだなと思った。我が儘で身勝手で、ライラを振り回すことに遠慮がない。


 無言でマーリがお茶の用意を始めた。その姿をこれまた無言でライラは見つめる。

 お茶の中にはあらかじめ秘薬が入っている……はずだった。けれど、マーリは懐から青い液体の入った小瓶を取り出して、コップの横に置いた。どういう意味なのだろうか。ライラは必死に考える。けれど明確な答えなど分からない。


 マーリがお茶を入れ終わり、部屋の隅に下がる。けれど、やはり部屋を辞すことはない。ライラが変なことをしないよう見張っているのだ。

 だが、マーリはどうしてお茶と薬を別々においたのだろう。王子に秘薬を飲ませることを決めたのは、シンが王子だと知る前だった。だから王子がシンだと分かった今、もう一度、考えるチャンスをくれたのだろうか。


 シンを選ぶか、サリム達を選ぶか。マーリは、シンを選ぶという可能性を再度提示したのだ。


「やっと会えた。心配した」


 シンは疲れたように椅子に座った。そして、立ったままのライラを見上げてくる。


「シン……いえ、王子様。今日はどうして私をお呼びになったのでしょうか」


 すべてはこの呼び出しが始まりだ。そう思っての問いかけだった。


 でも、すぐに違うと思った。これはきっかけにすぎない。呼び出しがなくても、状況が変わらなければいずれ同じことが起こっただろう。


「ライラの本心を、無理矢理ひねり出そう思ったんだ。王子からの呼び出しがあれば、追い詰められて俺への、『幼馴染みのシン』という男への気持ちが聞けるんじゃないかって。だから、ハーレムから出てきたと知らせを受けたとき俺は喜んだ。俺に会いに出てきたんだって。それなのに……行方不明になって……」


 シンは頭を抱えてしまった。


「私が行方不明になったと知っているのですか?」

「知ってるさ。ザルツと死にものぐるいで探した。でも、まさかバドラにまではめられるとは思ってなかったよ」

「そう……ですね」


 シンはどこまで知っているのだろうか。ライラはアブーシとバドラに捕まった後、ベルに捕まり脅されてここにいるのだ。でも、この会話はマーリが聞いている。そう思うと下手な質問は出来ない。


「バドラはさ、俺の母様の乳母だったんだ。だから婆ちゃんみたいな感じでさ、心配してくれてんのは分かるんだけどなぁ……干渉が酷いんだ。でも、バドラが赤ん坊の俺を生かすために、自分の息子を共に付けて王宮から脱出させてくれたんだってさ。母様が暗殺されて俺も危なかったらしいよ」


 他人事のような口ぶりでシンは話していく。実際、記憶もないような幼いころのことだから実感がないのだろう。


「ザルツはさ、バドラの息子なんだ。あいつは父親じゃなくて護衛で、俺を安全に育てる為に王都から遠いオアシスへ逃げた。そこで俺はライラと出会い、何にも知らずにのびのびと楽しく過ごしてたってわけ。王都から迎えが来たときは何の冗談かと思ったよ」


 自嘲するようにシンが肩を上げた。


「王都に来てみれば、後継争いで内乱をしていて大勢の人が死んでた。これ以上内乱を長引かせれば、王都から遠いオアシスにだって……ライラ達にだって影響が出る。王都の奴らは、みんな自分たちの利益ばかりで、必死に生きてる人たちのことなんか見えて無かったから。だから、俺がみんなを守らなくちゃいけないんだって、腹をくくって皇太子になることを決心した」


 シンは淡々と自らの決心を語る。

 幸運で皇太子の座が転がり込んできたと思っていた第七王子は、本当はこんなにも覚悟して皇太子になっていたのだ。


「母様は王族の血を引いてる人だからさ、俺って王家の純血ってやつらしいの。バドラはそれを誇りに思えって煩かったけど、俺はそんなの知るかって思ってた。次代の王として民のために力を尽くす、その代わり、妃だけは好きな人を選ぶって決めてたから。だからハーレムにも来なかったし。でもそのせいでバドラが強硬手段に出るなんて……ごめん。俺が自分勝手過ぎたんだ。すべて突っぱねるんじゃなくて説得するなり、何かを妥協するなりしていればライラは守れたはずなんだ」


「私を……守る?」


 ライラは首を傾げた。自分などではなく好きな人を守るべきだ。この言い方だとライラが好きな人みたいに聞こえる。


「ライラはさ……何か思い違いをしているようだけど、俺は、その、ライラがずっと欲しいんだ。第七王子がハーレムの妃候補に見向きもせず、ひたすら執着している大好きな相手はライラ、君なんだよ」

「……はぃ?」


 ライラはぽかんと口を開けてしまっていた。


「あぁ、そういう反応だよね。うん分かってた。最近、また秘薬飲んだもんな、仕方ない。でも結構すぐ戻ってたというか、残ってたと思うんだけど」


 シンはぶつくさと愚痴のように吐き出した。しかし、秘薬を飲んだという言葉が出てきて、ライラはびくりと反応してしまう。


「秘薬ってどういうこと? それ、私が飲んだっていうの?」


 秘薬を飲んだ記憶などない。だがもし飲んでいたとしたら……記憶がないのは当たり前かもしれない。恋心に結びつく記憶もなくなるのだから。


「俺が知る限り、二回は確実に秘薬を飲んでる。もしかしたら三回飲んでるかもしれないけどな。恐らく俺が村を出た三年前と、ハーレムに出てくる時と、先日の倒れる前だ」


 まさか三回も飲んでいる? 予想外のことを告げられて、ライラの頭の中は大混乱だ。


「三年前、俺が村を出る時さ、結婚の約束したんだぞ。でも、ライラは覚えてないだろ」


 まったく記憶にない。ただ、ふいに夢の光景が蘇ってきた。


「そのとき……私は泣いてた?」


 ライラは恐る恐る問いかける。


「あぁ、泣いてた」

「私の涙を拭った後、キス……した?」

「ライラ、覚えてたのか!」


 シンの表情が驚きに変わった。

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