第4話

 ライラは部屋に入ると膝をつき、目上の方に対する挨拶をする。そして問いかけた。


「ベル様、秘薬は床にこぼれてなどいなかったんですね?」


 目の前には籐の椅子に座るベルがいる。相変わらずの無表情だ。


「そうよ、こぼれる前に私が受け取ったわ」

「すべて、ベル様の差し金ですか」

「手荒なまねをして悪かったわ。お父様との取引の為には仕方なかったの。でも、バドラ様からは助けてあげたのだから、おあいこかしら」


 そんな訳がない。弟達を拉致した挙句に毒を飲ませた。そして、それをネタにライラを脅しておいて、どうしておあいこになるのだ。釣り合わないにも程がある。

 しかし、ライラは怒りを飲み込んで質問を繰り出した。


「一つ、教えてください。ベル様の、秘薬が欲しいと言っていた理由は本当ですか?」


 ベルが話していた第三王子への想いが、ライラを釣るための嘘だったら、もう人間不信に陥りそうだ。


「そうねぇ。嘘じゃないけれど本音でもないってところかしら。第三王子と婚約していたのは本当、一回しか会っていないのも本当。第三王子の影響でハーレムに居づらいのも本当、お父様から逃げ出して自由になりたいのも本当」


 ほとんどが本当のことなのに、ライラの一番本当であって欲しいところだけ、ベルは本当だと言わない。


「ベル様……では、本当ではない部分は、なんですか?」


 答えを聞きたくない。けれど、聞かなければ進めない。


「第三王子に対して、恋心なんてないわ」


 ライラは衝撃のあまり固まってしまう。けれど、ベルは再び口を開いた。


「恋なんて、そんな甘酸っぱいものなんかじゃない。私は、あの御方を愛しているの」


 ずっと無表情だったベルが初めて笑った。少しはにかんだような笑顔だった。


 ライラを利用しようとしているのは許せないことだけれど、第三王子への気持ちが本当であったことに安堵した。ライラが考えていたよりも、もっとベルは情熱的な女性だったようだ。愛しているのだとはっきり告げるベルに、ライラは一種の感動すら覚える。


「私は第三王子をずっと愛していく。あの御方が天に召されても、その想いは変わらないわ。死ぬまで私の心の中の宝物よ。だからね、私は最初から秘薬なんて不要だったの。でも、目的のために秘薬が使えると思ったから作るように誘導した。ライラは疑うことなく信じてくれるから楽だったわ」


 ライラは奥歯を噛みしめ、自分自身への怒りを我慢する。これは騙された自分の落ち度だ。見抜けなかった自分が未熟だったのだ。ベルのことを酷いとなじっても意味がない。ベルは最初から、ライラを利用するつもりで近づいているのだから。


「ベル様の目的は何なんですか? 王子様の恋心が消えても、ベル様の利益になることがあるとは思えません」

「その通りね。得になることなんて、一つもないわ。逆に、お父様が『妃の座を狙え』って余計に煩くなるかしら」

「じゃあ、王子様の恋心を消さない方が――」

「消すわ!」


 ベルは怒りにまみれた形相をしていた。その迫力にライラは飲み込まれてしまう。


「第三王子が、いや、他の王子達が命がけで戦っているときに、あの第七王子は王宮の外で一人だけのうのうと暮らしてた。そんな奴が次の王になるだなんて酷い話よ。第三王子が命をかけて目指していたものを、何の苦労もせずに手に入れて……絶対に許せない」

「そんな……」

「『王子をハーレムへ来させるため』って理由を付ければ、お父様は私の要望をなんでも聞いてくれるから。有能なマーリを私の元に寄越して欲しいっていうのもすんなり了承されて助かったわ。でもね、これは壮大な嫌がらせなのよ。私は第七王子の大切なものをぐちゃぐちゃにしてやりたい。第七王子の一番大切なものを奪ってやるの」


 ベルにとって第三王子への想いは何よりも大切なもの。だからベルの考え得る中で、これはもっとも酷い嫌がらせなのだ。でも、勝手に人の想いを消すとか壮大すぎる。嫌がらせと言うよりも、これはもう復讐だ。


「何の苦労もせずに次の王の座を手に入れ、なおかつ自分の欲しい娘を側に置こうとか、なんて我が儘で身勝手なの。腹立たしくてたまらない。あんなやつ、不幸になればいいのよ。希望なんて粉々にしてやるわ」


 ベルは興奮のあまり手が震えている。第七王子への憤怒の感情が滲み出ているようだ。

 すると、ずっと黙って控えていたマーリが進み出てきた。


「ベル様、お怒りはもっともです。今晩、ライラの手によって王子の恋は終わります。最高の復讐ですよ」

「えぇ、そうね。そして王子がどこぞの腹黒い権力者の娘を妃に迎え、王宮の闇に囚われて行くかと思うと、その想像だけで楽しくてたまらないわ」


 ベルは壊れたように笑っている。狂気すら感じるその姿にライラは後ずさりした。


「さぁ、ライラ。自分で作った秘薬で、王子の恋を消し去ってきなさい。躊躇すればどうなるか分かっているわよね? 可愛い弟や妹達が冷たくなっても良いなら――」

「やめてっ……やめてください。弟たちには、何もしないで……」


 卑怯だと思った。理不尽さに喚きたかった。けれど、そんなことをしても状況は何も良くはならない。


 王子にとって秘薬は毒と同じだ。体そのものに傷は付けなくとも、心の大事な部分をえぐり取ってしまうのだから。薬師として、いや、人として絶対に許されない行為だ。そんなこと、したくない。絶対したくないけど……


 どんなことをしても弟たちを助けると別れ際に決めた。それが王子に対して毒を盛ることだというのなら、もうやるしかない。


 かけがえのない家族なのだ。ライラがどんな状況でも彼らは無条件で慕ってくれた、受け入れてくれた。守るべき存在であり、彼らがいるから前向きに歩んで来れた。弟たちが助かる可能性があるのなら、どんな罰でも受けよう。命を持って償えというなら、迷わず差し出す覚悟はある。だからライラは、罪を犯すことを決心した。


「王子の元へ行きます。薬を……王子の恋を消します」

「そう、決心してくれて良かった。幼い子の命を取るのはあまりしたくなかったから」


 ベルがさらりと言った。つまりは、ライラが渋るようだったら平気で殺すと言っているようなものだ。自分の言葉や行動の一つ一つが弟たちの命を左右するかと思うと、怖くて吐きそうだ。でも、弱音なんかを吐いてる場合じゃない。

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