第2話

「サリム、何を飲んだか分かる? 味とか、匂い、色は覚えてる?」


 サリムは考え込むように眼を閉じた。


「……味は妙に甘ったるくて……色は、器が黒かったせいで分からない。ただ、さっきから汗がひたすら出る……」


 サリムが出してくれたヒントを元に必死で考える。甘いのは原料のせいなのか、飲みやすくするために甘くしているのか、どちらだろうか。色が分かればもう少し絞れるのだけれど。でも、汗が出るということは発汗作用があるということだ。


「もしかして……発汗どころか、もっとその先の脱水症状を引き起こす毒?」


 脱水状態ならばすぐに死に至るわけではない。だが、確実に減らず口を叩く気力はなくなる。うるさい子供を黙らすにはちょうどいいだろう。考えられる毒の成分は、ティザーリーフだろうか。手に入れやすさを考えると、これが一番可能性が高いだろう。何はともあれ水だ。応急処置として出て行く水分を補えれば症状は緩和するはず。


 すると、背後で鍵を開ける音がした。ライラの入れられた部屋の扉が開く。


「そろそろ準備の時間よ」


 扉の前には普段の服装に戻ったマーリと、その後ろに黒い衣装の踊り子のような格好をした若い娘が二人いた。


「サリムに、弟に水を! あと解毒薬を作らせてください!」


 マーリを見た瞬間に叫んだ。けれど、マーリは微笑をたたえたまま首を傾げている。


「そんな時間はないわ」

「時間がないって……ふざけないで! そもそもどうして毒なんか飲ませたんですか。サリムでもあんなに苦しむ程の量を、エマに飲ませようとしたとか信じられません!」


 ライラが必死で噛みつくも、マーリは少しも表情を変えない。


「それは私がやったことじゃないわ。私は用があるからライラの弟妹を捕まえてきてって頼んだだけ。捕まえに行った奴が非情だっただけの話よ」

「マーリ様が……サリム達になんの用ですか。用があるのは私ですよね。どうして巻き込むんですか」


 ライラは自分の無力さに項垂れる。


「ライラはお金や権力じゃ動かないって分かってるから。ライラを動かすための駒として必要だと思ったの。あー、ここで無駄話してる時間ないのよ。ライラの支度をしないと。もちろん王子の元へ行く支度ね。それが完了してから話しましょ」

「……王子の元に? 意味が分かりません。マーリ様は私を王子の元に行かせたくないから閉じ込めてるんじゃないんですか?」

「そんなことないわ。ライラには王子に会って貰わなくてはならないもの。さぁ準備しましょう。まずは湯浴みからね」


 マーリがそう言うと、後ろに控えていた黒い服の踊り子達がライラに近寄ってきた。


「待って、サリムを助けないと。解毒薬が無理なら水をください。少しでも水分を補給して脱水症状を緩和させなきゃ」


 ライラが言い募ってもどんどん近づいてくる。そして無理矢理立ち上がらされ、扉へと向かわされた。ライラは必死で肩を揺らし彼女らの拘束から逃れようとするが、そのたびに捕まってしまう。


「せめて……せめて一瞬で良いから、隣の部屋へ行かせて。あの子達に会わせて。王子の元へ行けと言うなら行きます。だからお願いです!」


 ライラは必死だった。

 このままサリム達と別れたら、もう二度と会えないかもしれないという嫌な予感があった。それはサリムの服毒のこともあるが、自分の身の安全も分からないからだ。サリムは若くて体力もあるから処置さえすれば助かる。けれど、ライラは利用価値がなくなった瞬間に殺される可能性もある。そんなこと考えたくないけれど、最悪の場合、これが彼らに会う最期のチャンスになるかもしれない。


「そんなに会いたいの?」


 マーリが少し考えるような仕草をした。


「はい」

「じゃあ、会わせてあげてもいいわ。その代わり、今後は私たちの言うとおりに動いて貰うけど良い?」


 疑問系の形を取っているが、どのみちライラに言うことを聞かせるつもりでこんなことをしているくせに。


「分かりました」


 ライラが頷くとマーリは鮮やかに微笑む。その微笑みが震えそうなほど怖かった。

 黒い踊り子達に腕を掴まれたまま、ライラは隣の部屋に入った。途端に小さく暖かな塊がふたつ、ライラにぶつかってくる。


「姉ね!」


 妹達だった。頭を撫でてやりたいけれど、縛られているので出来ない。その代わりに、しゃがんで二人とおでこを合わせた。幼い子供の匂いに涙が出そうになる。でもライラは唇をかんで、涙腺を引き締めた。


 ライラは立ち上がると奥を見る。サリムが苦しそうな呼吸でこちらを見ていた。ライラはサリムの元へと行く。近くで見るサリムは脂汗が額に滲み、もっと苦しそうに見えた。


「サリム……巻き込んでごめん。何も出来なくてごめん。村でもサリムに迷惑掛けた。だから村を出たのに……本当に、迷惑を掛けるしか出来ない姉でごめんなさい」


 ライラは申し訳なくてすぐに視線をそらした。


「違うよ……姉さん。僕が、我が儘を言ったんだ。王都を、一度見てみたいって。だから、謝るのも僕だ……姉さんの、足枷になってしまって、ごめんなさい」

「やめてよ、サリムは悪くないから。ね、お願い。とにかく気をしっかりと持って待ってて。私が必ずサリムを助ける。どんなことをしてでもサリム達を無事に村へ帰すから」


 ライラの言葉に、サリムは何か言いたげに口を開ける。けれど声になる前に、ライラはサリムから引きはがされた。


「それは良い心掛けね。素晴らしいわ、ライラ」

「マーリ様、もうちょっと、あと少しだけ時間を」

「ダメよ。言ったでしょ、支度しなきゃならないって。ライラが素直に言うこと聞いてくれたら、弟君にお水くらいは用意してあげてもいいわよ」


 マーリの交換条件に、ライラは逆らうことは出来なかった。ライラの気持ちなどより、サリムの体の方が重要だ。水によって脱水症状の緩和はもちろんのこと、体内の毒の効果が少しでも薄まっていけば、サリムも多少ではあるが楽になるはずだから。もちろん、ちゃんと解毒をしなければ症状が長引くだけだが。


「サリム、私はもう行くわ。絶対、諦めないでね。約束だからね」


 ライラは微笑んだ。これが最期になるのなら、笑っている記憶を残していきたいから。

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