第5幕

第1話

 ライラはあたりを見渡す。てっきりハーレムに戻るのだと思っていたのだが、マーリに連れてこられたのは建物の地下だった。薄暗くどことなく空気も冷やっこい。

暗いのでマーリがランプで照らしてくれるが、影になった部分はよく見えないので、ライラは躓いて転びそうになる。


「ライラ、大丈夫?」


 すっとマーリが手を出して助けてくれるが、いちいち面倒を掛けるのも申し訳ない。


「マーリ様? あの、手首の縄をほどいてくださいませんか? そうすれば歩きやすくなって、マーリ様もお手も煩わせずに済みますので」

「……えぇ、確かにね。でも、そのままの方が私にとっては楽なのよ」


 手首を縛ったままの方が楽って……まさか。

 ライラは冷や汗が吹き出す。そんなの考えられる理由は一つしかないではないか。

 とっさにライラは、マーリに体当たりをかます。マーリがよろけた隙を突いて、歩いてきた廊下を全力で戻り始めた。


 マーリも味方なんかじゃなかった。自分を捕まえてどうにかするつもりなのだ。身分は違えど、友達だと思っていたのに。それは見せかけだけの関係だったのか。そう思うと逃げながらも、悔しさと虚しさで叫び出しそうだった。


 全力で走り廊下の角を曲がると、前方に階段が見えた。早く地下から出なければ。ライラはそれしか考えていなかった。すると、肩に小石のようなものが当たった感触がした。その瞬間、ライラは一気に煙に巻かれてしまう。


「げほっ、ごほっ……うぅ」


 先ほどの煙玉だった。思い切り吸い込んでしまったため、咳が止まらない。目も刺激で開けられず、涙ばかりが流れ出る。


「急に逃げるだなんて酷いよ、ライラ。せっかくバドラ様達から助けてあげたのに」


 咳き込むライラの背中をマーリがさすってくる。でも、それが非常に不快だった。

 どうしてマーリは平気なのだろうか。たぶん口元を覆っているから、煙をあまり吸い込んでいないのは分かる。けれど、目はどうしようもないはずなのに。


「ま、マーリ様は……どうして、見える、の」


 咳き込みながらもライラは疑問を口にする。すると、驚くべき返答が聞こえた。


「見えてないわよ。私、今目を開けていないもの。音と気配だけでライラの位置を掴んでいるだけよ」


 なんなのだ、その超人的な感覚は。ライラはぞっとした。マーリはたぶん貴族なんかじゃない。何か特別な訓練を受け、誰かの命令で動いている人物だ。そしてライラを捕まえて、どうにかしようとしているのだ。


 ろくに目も開けられないライラはマーリに力尽くで歩かされ、ある部屋に放り込まれた。問答無用で扉が閉められ鍵が掛かる音が聞こえる。

 閉じ込められた。しかも今度は地下だ。さっきの使用人の部屋だったら、まだシンが助けに来てくれる可能性もあったかもしれない。でも、こんな場所じゃ無理だろう。


 ライラを閉じ込めたと言うことは、王子の元に行かせたくないということだ。別にライラとしては、喜び勇んで王子の元に行きたいわけではない。だけど、王子の求めを嫌がり逃げたと思われたら困る。

 ライラが王子に呼ばれたのはシンが原因だとする。それでライラが来なければ、王子はどう思うだろうか。ライラに対して不快に思うだけでなく、シンに対しても嫌な感情を抱くのではないだろうか。それは困る。シンが不利になる事はどうあっても防がなくては。


 ライラが思考にふけっていると、部屋の奥から微かにすすり泣く声が聞こえるのに気付いた。音に引かれるように奥に行くと、隣の部屋との壁にたどり着く。壁の下の方に格子のはまった四角い穴があった。地下の為、空気を循環をさせる目的で作られた穴だろう。

 手が縛られているから、不自然な格好で何とか穴をのぞき込む。すると何とか見え始めた目に幻覚が映った。


「なんか……妹達がいた気がする」


 煙玉の影響はたいぶ治まったと思っていたのだけれど、まだ目がおかしいのだろうか。

 ライラは慌ててもう一度覗く。やはり、いる。


「エマ、エメ、サリム!」


 ライラは叫んだ。するとすすり泣きが止み、ばたばたと走る足音が響く。


「姉ね!」

「姉ねがいた」

 エマとエメが格子の間から小さな手を差し出してくる。それを掴んでやりたかったが、あいにく手は後ろだ。仕方ないので、顔を近づけるとぺちぺちと妹達に叩かれた。

「いた、いたっ、ちょっと、痛たたたたた」


 しまいには、エマに頬をぎゅっと掴まれて引っ張られる。久しぶりの姉との再会なのに、ちょっと酷くない? とライラが心の中で泣いていると、エメが叫んだ。


「兄にが死んじゃう! 姉ね、早くこっち来て、助けて」


 その言葉に、ライラは慌てて身をよじる。穴から隣の部屋の奥を見ると、サリムが壁にもたれて苦しそうにしていた。


「サリム! 何があったの」


 ライラが声をかけると、サリムが少しだけ目を開けた。


「ごめん……姉さん。毒っぽいの、飲んじゃった」


 荒い息を吐きながらサリムが言った。


「なんで、そんなの飲んだのよ!」


 思わずライラが言うと、エマが泣き出した。


「ごめんなざいぃ……エマの代わりに、兄にが飲んだの。エマがうるざいがらっで、飲まざれぞうになっだ」


 そういうことかと納得した。妹達、特にエマは騒がしい。捕まえたものの、うるさくて手に負えずに黙らせようとしたのだろう。


「サリム、ごめん。責めるような言い方して。エマを守って偉いよ、それに比べ私……」


 ライラは項垂れた。サリムが考え無しに毒など飲むわけがないのに。飲んだのならそれなりの理由があるに決まっている。そんなことすら気づけずに怒鳴ってしまった。


 そして、彼らがこうして捕まっているのはライラのせいだ。ライラが巻き込んだのだ。そこまで考えて首を振った。悔やむのは後、今はサリムのことだ。この状況で何が出来るか分からないがサリムの解毒をしなければ。

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