第5話
「……えっと、拗ねてるんですか?」
「そう。だって、ライラがハーレムから出たから、慌てて来てみれば、他の男と楽しそうにしゃべってるとか。そんなの面白くないに決まってるだろ」
ライラは思わず大きなため息をついた。正直、拗ねるとか面倒くさい。というか、どうしてライラがハーレムから出たと知ってるのだろうか。
「でも、まぁ我慢する。せっかくライラと会えたのに拗ねてたらもったいないし。それよりも、ハーレムでの生活はどうだ?」
シンの問いかけに、ベゼットのことを言おうか迷う。心配させたくはないのだ。だが、秘薬の事を知っている人物が王宮内にいるのは危険だ。安全だと思って王宮に来たというのにこれでは意味がないし、これ以上秘薬のことが広まると、さらに混乱を招きかねない。
「実は……先程、医者のベゼットという人に会ったんです。ベゼットは秘薬のことを知っていて、秘薬を渡せと言われました。そもそも村で破落戸が秘薬を奪いに来たのは、ベゼットがお金で依頼したからだそうです」
ライラが言うと、シンは唖然とした表情で一瞬固まった。
「はぁ? そんな重大なことさっさと言え! 何で言いだすのを躊躇うんだよ」
シンの剣幕がすごくて、ライラは肩をすくめる。
「す、すみません。あまり心配をかけたくなくて」
「そういうのを黙ってられる方が心配だから。ていうか、まさかベゼットが黒幕だったとはな。あいつは国中を旅していたから、若いけれど経験が豊富で知識も多いと、医官長が言っていたが……とんでもない奴じゃないか。ライラを怪我させた罪はしっかり償ってもらわないとな。分かった、すぐに調べて対処する」
シンが腕組みをして頷いている。
「他には? この際だ、気になることは些細なことでも良いから言ってくれ」
ベゼットのことが衝撃過ぎて、他に思いつく事が特にない。けれど、シンは瞳を輝かせてライラの言葉を待っている。何もないというのも気が引けて必死に考えてみる。
「ハーレムは快適です。皆さん思い思いに生活していらっしゃいます。ただ、そうですね、王子様の側近であるシン様ならご存じだとは思うのですが……その、肝心の王子様がハーレムにあまり関心がないらしいのです。妃候補の方が寂しがっておられました」
「王子がハーレムに行かないのも問題か。でも、まだ行きたくない……みたいなんだよ」
シンの視線があちこちに揺れる。何か思い当たることがあるのだろう。
「どうしてですか? 皆さん、王子様の為にいらっしゃるのですよ」
「そうなんだけどさぁ、王子が手に入れたいのは一人だけだから。変にハーレムに顔出して、しがらみを増やしたくないんだってさ」
心に決めた女性がいるというのは一途で素敵な話だと思う。けれど、王子の為に集められた多くの女性たちのことを考えると、やはり複雑な気持ちになってしまう。
「じゃあハーレムの方々は、無駄骨というとこでしょうか。何だか残酷な気がします」
「そこんところは王子も心を痛めてるよ。でも、国王からハーレムを作れって言われた以上、作らないわけには行かなかったんだ――やばっ」
シンが慌ててライラの目の前から去った。一瞬で廊下の柱で見えなくなる。突然の行動に驚いていると、シンが隠れた反対方向からバドラが女官を二人引き連れてやってきた。
「ライラ、こんなところで何をしてるんだい」
じろりとバドラが睨んでくる。ライラは慌てて頭を下げた。
「は、はい。薬の原料を補充しに参りました」
「ふん、そうかい。補充は手に持っている小瓶だけかい?」
「そうですが……何か問題ありますでしょうか?」
何の薬か聞かれたらどうしようか。嘘はつきたくないけれど、二日酔いの薬を作る事は何としても隠し通さなければならない。ライラはじっとりと背中に汗が滲むのを感じた。
「いくらハーレムの外に出られる手形を渡してるからといって、そう頻繁に出られちゃ困るんだよ。なるべく用事はまとめて済ますようにしな」
想定外のお叱り内容だった。
「……はい。配慮が足らず、申し訳ございません」
何の薬かを聞かれなかったのは良かったけれど、ライラの気分はガタ落ちだ。
「もうハーレムに戻るんだろう? なら、荷物を持ってっとくれ。妃候補達に実家から届いた荷物さ。検閲は済んでるからそれぞれに配っとくんだよ」
バドラの言葉を受けて、一緒にいた女官達の荷物がライラに渡された。大量の荷物に、目の前が全く見えない。女官が二人で持っていたものを、ライラ一人で持って行けとは、相変わらずの意地悪さだ。
バドラ達がさっさと行ってしまったので、ライラも慎重にハーレムへ歩き始める。すると背後から足音がしたと思った瞬間、ふっと腕の中の荷物が浮いた。驚いて見上げると、シンが荷物を持っているではないか。
「シン様、戻ってきたんですか?」
「バドラはもう行ったし、もうちょっと一緒にいてもいいだろ?」
シンが窺うように顔を覗き込んでくる。その仕草にライラの心臓は元気よく撥ねた。
「そりゃ、いいですが……って、荷物! シン様に荷物持ちなんてさせられませんから」
ライラが慌てて荷物を取り戻そうとすると、シンはひょいと逃げてしまう。
「だーめ。目の前見えてなかったじゃん。転けると危ないから、荷物のために俺に持たせろ。ハーレムの前まで運んでやる」
ライラはなんとなく気恥ずかしい気分になる。村で生活しているときは、長女ということもあり何でも自分でやってきた。父は仕事で村の外へ行っている事が多かったので、あと周りにいるのは弟と妹だ。だから重い荷物があろうと、自分で運ぶのが当たり前だった。
「わ、わかりました。その、お願いします」
こんな自然に荷物を持って貰うと、女性扱いされているようでそわそわしてしまう。
「そ、そうだ。シン様に次会えたら言おうと思っていたことがあるんです」
そわそわを紛らわすように立ち止まり、シンを見上げる。
「なになに、愛の告白? 夜のお誘い?」
「違いますから。あの、課題の時、見守ってくれてありがとうございました。シン様がいてくれなかったら、心が折れてたかもしれません。お礼が言えず、ずっと気に病んでたんです。だから、こうしてシン様に会えて、直接伝えることが出来て良かった」
ライラは照れくさくて、誤魔化すように笑う。
「うぐっ……その表情は反則。照れ笑いとか可愛すぎる……げふん、げふん」
シンがぶつくさと何か呟いているが、シンが抱えた荷物に顔を埋めたので、ハッキリとは聞き取れなかった。
「シン様、大丈夫ですか? 咳しているようですが風邪でしょうか」
「平気だから。それよりバドラはああ言ってたけど、気にすることなく外出てこいよ。その手形でハーレムから出る奴がいたら、門番から俺に連絡が入るようになってるから」
だからシンは保管室の前で立っていたのか。ライラは納得した。いくらなんでも偶然にしてはできすぎな気がしてたからだ。ということは、これからもハーレムから出れば確実にシンに会える。それは嬉しい気持ちと同時に、後ろめたい気持ちを呼び起こした。
シンに会えるのは純粋に嬉しい。慣れない後宮暮らしの中で、気負わずに話せる幼馴染みの存在は大きい。けれど……
「そこまで甘えられません」
シンに頼っていては自分の成長に繋がらない。ハーレムにいる人々は、皆一人で故郷を離れて生活しているのだ。それなのに自分一人だけ甘えていてはずるいではないか。
それと同時に、これ以上シンといたら見て見ぬ振りが出来なくなりそうだと思った。何がって、それは考えたらいけない事だ。とにかく、シンには王都に好きな相手がいる。ライラにこうしてじゃれてくるのは、あくまで幼馴染みとしてなのだ。それを勘違いしそうになるから、シンに会うのはたまにでいい。というより、たまにじゃないとダメだ。
「俺は、甘えて欲しいんだけどなぁ」
シンが残念そうに言う。
「すみません、甘えるの苦手なんです」
「まぁ、しょうがないか。べつの方法を考えるさ」
シンはそう言うと、再び歩き出す。
別の方法とはなんだ? ライラは首を傾げながらも、その後を追うのだった。
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