第3幕
第1話
ライラが目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。窓からは朝日が差し込み、小さいながらも居心地の良さそうな部屋だった。ふかふかのベッドから視線を移すと、壁に沿って木製の棚が置かれている。着色はされていないが、植物の蔦のような模様が彫刻されていて品が良い。そして、真ん中のスペースには机と椅子が置かれていた。
ライラが起き上がる。するとベッドの枕元に置いてある衣服に気が付いた。
「たぶん、これを着ろってことだよね」
そこには白いシャツに薄手のズボン。上着として水色の丈の長い衣服には刺繍が施されており、それを留める紫紺の帯が用意されていた。確か紫は王族を表す高貴な色。つまり、それを一部身につけるという事は王族に仕えている者だと示す。つまり女官だと一目でわかる印のような物なのだろう。
着替え終わり、壁に掛けられた鏡を見て髪を整えた。そして部屋を出てみると、廊下の奥から人の気配がした。ライラは恐る恐る進んでみる。
たどり着いた場所は食堂のようだった。奥には所狭しと料理や飲み物が用意されているからだ。ただしとても華やかだったので、ライラは天に召されてしまったのかと一瞬思ったが。大きな広間で天井も高く窓も多い。外からの砂避けの為に白い薄手の布がそれぞれかかっており、風に揺れている様はまさに雲間にまぎれこんでしまった気分だ。視線を上から戻すと、広間の真ん中には巨大な長い机が置かれ、その上には鮮やかな花が飾られている。
そして、広間の煌びやかさに負けない美しい娘達が食事をとったり、お喋りしたりしていた。色彩豊かな衣服が花のようで、もうどこをとっても花だらけな印象だった。
「ライラ」
立ち尽くしていたライラに突然声が掛かった。声の主を探そうときょろきょろとするが見当たらない。空耳かなと思い始めたとき、上着の後ろの裾を弱々しく引かれた。
「あの……ライラさん?」
振り向くと、そこにはマーリがいた。
「マーリ様。ということは、やっぱりここはハーレムですか?」
「うん、そうよ。ここはハーレム。ね、ライラはどうして今までいなかったの? 私、不安で、せっかくライラがいるから頑張れると思ったのに全然見つからないから、私に愛想を尽かして逃げているのかと思った。ライラを見つけてつい声をかけてしまったけれど、こんなゴミみたいな人間に話しかけられるとか迷惑以外のなにものでもないよね。うん、本当にごめんなさい。全然気が利かなくて、もう死にたい。よし、死のう」
「ままままってください。早まらないでマーリ様」
数日会わない間に、内に秘めた闇が濃くなっている気がする。
「私はハーレムにすぐ入れて貰えなくて、課題を与えられていたんです。でも、今ハーレムにいるということは、どうやら課題は合格したみたいです」
合格すれすれの出来だっただろうが、とにかく課題の達成が認められたのは嬉しい。
「ライラ、起きたようだね」
機嫌の悪そうな様子のバドラがやってきた。妃候補たちが道を空けてお辞儀をする。でも、バドラを敬っていると言うよりは、難癖付けられたくなくて距離を取っているように思えた。妃候補は誰も目を合わせようとしていない。
「おはようございます、バドラ様。私は課題を合格出来たのでしょうか」
ライラは念のため確認をする。
「あぁ、そうだよ。でも結果も聞かずに眠りこけて、とんだ無礼者だよ」
「もうしわけ、ございません」
課題をこなすためにひたすら頑張っていたのだ。そして、とどめに徹夜で追い込みを掛けて、もう体力も気力も限界だったのだから許して欲しい。
「だが約束は約束だ。課題を期日までに提出したのだから、お前の実力は認めるよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、ここでの暮らしについて説明するから座りな」
大きなテーブルの端の椅子にバドラは座った。ライラもその向かい側へと座る。不安そうにライラを見ていたマーリは、空気を読んだのか少し離れた場所で朝食を取り始めた。
「まずは仕事の内容だけどね、薬師として怪我や病気の者が出たときに、処置をすることだ。医者はすぐには駆けつけることが出来ないからね。あとは健康に関する相談事にのること。それ以外は自由に過ごして構わない」
「自由に……ですか?」
「そうさ。あんたは医術の心得を持った薬師として雇われてんだ。それ以外の事はやらなくていい。薬師としての仕事がない時は、別に昼寝してようが何してようが構わない」
女官なのに昼寝? そんな楽をしていて良いのだろうか。
「私は女官なのですから、掃除や洗濯、料理などしなくても良いのですか?」
「それは専用の女官がいるからいいんだよ。あんたにそれをやられると、その女官達の仕事がなくなる。あんたはそいつらを追い出したいのかい?」
「いえっ、そういうつもりではないんです。配慮が足らず、申し訳ございません」
「ここはね、第七王子のハーレムだ。妃候補たちはもちろんのこと、ここにいる女官もすべて王子のものだ。つまり、多ければ多いほど王子に箔が付くんだよ。それに対象が多い方がお気に入りもたくさん出来るだろうし、そうなれば確率があがるだろう?」
何の確率だろうかと一瞬考える。そして王子の寵愛を得る女性、ひいては世継ぎのことを暗に指していると気付き、ライラは思わず赤面してしまった。
「そ、そそそうですね。はい、承知いたしました」
先日、シンにも同じようなことを言われた。そのときも動揺してしまったけれど。
「分かればいい。じゃあ次にハーレム内の説明だ。身分に応じて広さや調度品が変わるが、部屋は一人一人に与えられているからね」
「それは贅沢ですね」
さすがハーレムだ。ライラは妹達と寝起きしていた為、一人部屋は初めてのことだった。
「相部屋なんかにしたら、王子が夜中に行きにくいだろう。お気に入りの元へ気兼ねなく訪れるために、女官といえども一人部屋なんだよ」
「へ、へぇ……」
あまりの徹底ぶりに若干引いてしまう。確かに世継ぎは大切だが、ここまで来るとハーレムの女性達は子供を産む道具か何かのように思えてならない。
「あんたの部屋は、今朝起きたあの部屋さ。ハーレムの端は女官達の部屋、奥に進むにつれて身分が高い妃候補の部屋となっているから。そして、今いる食堂はちょうどハーレムの真ん中さ。あとはまぁ、細かいことは先に来ている女官や妃候補に聞いとくれ」
面倒くさくなったのか、バドラは途中で説明を放棄してきた。まだ部屋のことくらいしか聞いてないんですけど、と言いたくなるが我慢だ。
「あと、これを渡しとくよ。あんたは薬師としてハーレムの外に出ることもあるだろうからね。ハーレムを出入りするための手形だ。仕事を遂行するうえで必要だから渡すが、くれぐれも軽率な行動は控えておくれ。あんたはもう、ハーレムの住人なんだからね」
バドラは嫌味と共に手形を手渡し去って行った。
手形は青い綺麗な石が雫状に加工されている。そして、小さく第七王子の紋章が描かれていた。携帯しやすいように紐が通してあり、ライラはペンダントのように首に掛けた。
これからここで新しい生活が始まる。頑張ろうと思うと同時に、ちょっとした後悔があった。寝落ちしている内に、ハーレムに来てしまったことだ。
シンに、無事に課題を合格したことを伝えたかった。バドラやザルツから伝え聞くだろうとは思う。けれど自分で結果を伝え、お礼を言いたかった。シンは毎日様子を見に来てくれて励ましてくれたから。若干、邪魔されていたような気もしないでもないけれど、シンは変に手出しをすることなく見守ってくれた。そのことがとても嬉しかった。
ハーレムに入ってしまった以上、簡単には会えないだろう。そう思うと何だか寂しかった。せっかく毎晩会いに来てくれていたのに、もっと色んな話をしておけば良かった。
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