幕間
ザルツはシンの部屋の前にいた。ライラが課題を合格した旨を報告するためだ。
「ザルツです。入ってもよろしいで――」
ザルツが言い終わる前に部屋の扉が開いた。
「ライラはどうなった?」
つんのめるような勢いでシンが聞いてくる。その必死な様子に思わず笑ってしまった。ライラのことになるとシンは昔からすぐに余裕をなくすのだ。都に来て、身分を得て、いろんなことを学び、品格とそれに伴う余裕も出てきたと思っていたけれど。ライラを前にしたら、村で自分の息子だった頃のシンに戻ってしまう。それは本当はたしなめなければならないことなのだろうけど、ザルツは逆に嬉しく感じていた。
「課題は合格です。ライラ嬢はそのまま、ハーレムに運び込まれました」
「へ? 運び込まれた……もうハーレムに入っちゃったのか?」
シンが弱々しく部屋の中に戻っていく。ザルツはその後ろに続くように中へ入った。
「疲労と寝不足で、課題を仕上げた途端、気絶するように眠ってしまったそうです」
「まあ……ライラ頑張ってたもんな。でも今夜会いに行って、あわよくばムフフな展開に持ち込もうとか、昨日から寝ずにいろいろ作戦を練ってたのに」
だから今日は眠そうにあくびをしていたのだなと、ザルツは呆れた。
どうせ策を弄したところで、ムフフな展開になどなりはしない。だって、シンの幼馴染は手強いのだ。頑固で意地っ張りで、あと色恋に関して鈍感なところが一番の問題だ。だから、いっつも二人は微妙にすれ違っている。はたから見ていて非常にもどかしい。まぁ、微笑ましくもあるのだが。ザルツはため息をつくと、臣下の仮面を外した。
「シン、もう正面から奪いに行けばどうだい。シンはどうあがいてもライラちゃんが欲しいんだろ? その結果、ライラちゃんにどんな負担を強いることになっても」
すると、シンがすっと無表情になる。
「ザルツ、嫌な言い方するなよ」
「どんな言い方したって要は同じことだ」
シンとライラでは身分が天と地との差がある。シンの妻となることは、ライラにとって敵国に一人で乗り込むようなものだ。多くの妬みを買うだろうし、嫌がらせや陰口も絶えないだろう。そして真面目なライラは、シンにふさわしくあれといろんな無理を重ねるに違いない。気持ちだけでは乗り越えられない、現実がそこにはあるのだ。
それを理解したうえで、それでもライラが欲しいとシンは言う。ならば、もう正面から正々堂々と告げればいいのにとザルツは思うのだ。けれどシンは悔しそうに唇を噛んだ。
「ライラは身分のことを気にしている。『貴族のシン』からの申し出は、ライラにとっては命令になってしまうかもしれない。それは嫌なんだ」
普段、大臣や官僚たちに冷静沈着な態度で接している青年はどこにいったのだろうか。今ザルツの目の前にいるのは、ただの不器用でへたれな我儘息子だった。
「はいはい、分かったよ。まぁ、あのまま村に居たら、村の誰かの嫁になっていたかもしれないしね。ひとまず王宮に囲うことは出来たのだから、一歩前進ってとこか」
シンが『村の誰かの嫁』という言葉にピクリと反応した。
「ザルツ。俺さ、酷い奴だよな。ライラの幸せを考えるなら、村の誰かと結婚した方が良いに決まってる。きっと穏やかに暮らしていけるはずだ」
「でもシンは、ライラちゃんが諦められないんだろう?」
シンは苦々しい表情を浮かべた。
「そうだ。どうしてもライラが欲しい。離れてみて、王都でたくさんの人にも会ったけど、やっぱりライラ以外に考えられないと思った。いつも一生懸命で、真っ直ぐに前を向いていて、自分の足で立とうしているライラが大好きなんだ。他人に頼ることが下手で、なんでも抱え込んでしまう不器用なところが、ほうっておけないんだ。ちょっと抜けてるところが可愛くて、守ってあげたくなるのに、同時に意地悪もしたくて、困らせてみたくて、泣かせてみたくもなって、俺のこと気にしててほしい、構ってほしい……こんなに色んな感情が湧き出てくるのは、ライラだけなんだ。ライラがいれば、俺はどんな場所だろうと鮮やかな気持ちで生き抜いていける自信がある」
若いっていいなぁとザルツは思う。こっちが気恥ずかしくなるほどの熱量だ。
「でもシンがそう思っていても、ライラちゃんがそう思うかは別。そう考えているから、シンは慎重にライラちゃんの気持ちを待っているんだろ?」
ザルツの指摘に、シンは素直に頷いた。
「ライラが俺の嫁になったら確実に苦労させるから。だからこそ権力なんかじゃなく、ちゃんとライラ自身の気持ちで俺を選んでほしいんだ」
だからシンは辛抱強く待つのだ。
「ライラちゃんが絡むと本当にポンコツになるよなぁ。王宮内ではキレッキレなのに」
昔からシンは目的の為なら最短の道筋を考え出す。悪戯を完遂させる速さと達成度はピカイチだったし、今は王宮内での謀でも如何なくその能力を発揮している。でもライラのことになると、ぐだぐだと考え込んでしまうのだ。
「うるさいな、仕方ないだろ。大変な思いをさせると分かってるんだから。でもその分、ライラが俺を選んでくれたら絶対に守る。俺自身も、まわりの奴らに文句言われないくらい、完璧な政を推し進めてみせる」
シンの決意を改めて聞きザルツは思う。彼を王宮に連れて来てしまって申し訳ないと。
あのまま村で暮らしていた方がシンも幸せだっただろう。大きな責任もなく村でのんびりと、大好きな幼馴染と何の障害もなく一緒に過ごせたはずだから。
だがシンはこの国の未来に必要な人材だ。たった三年で多くの知識を身につけ、民の為になることは何かを考えている。民の目線で考えることが出来る指導者は、稀有な存在だろう。だからザルツは臣下として、『息子』だったシンを精一杯支えていくつもりだ。
村での生活を捨てさせてしまったからこそ、そして、期待に応えるように努力をしてくれているからこそ、この我儘だけは叶えてやりたい。そうザルツは思うのだった。
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