第3話
石を積み上げた歪な門をくぐると、レンガと粘土で作られた立派な建物がある。そこでライラたちは身分証である小さな石版を門番に見せた。不審人物が村に入ってこないように、ここで村に出入りする人を確認しているのだ。故に、ライラを襲ってきた男は村の外で仕掛けてきたのだろう。
ポンチョを着ていてもライラの顔の殴られた痕は隠せない。門番に驚かれながらも、転んだだけだと濁して切り抜ける。
そしてしばらく歩くと、やっと家にたどり着いた。一階はまるまる薬屋になっており、接客のスペースと薬の調合部屋がある。裏庭には薬草が所狭しと栽培され、二階がライラ達の居住空間となっていた。
「ただいま」
ライラが声を上げると、先に帰ったエマが抱きついてきた。その衝撃に痛みを覚えるが、ライラはぐっと我慢する。
「姉ね、おかえり!」
「エマ、サリムを呼んでくれてありがとう」
抱きついている小さな頭を撫でる。そして視線をずらし、もう一つの小さな頭も撫でた。
「エメも。一緒にいてくれてありがとう」
二つの可愛らしい顔が、ライラを見上げている。照れたように笑っていた。
ライラは店の奥へと進み、瓶から水を汲む。そして清潔な布を浸すと、慎重に体を拭き始めた。処置をするにしても、汚れたままでは化膿してしまう。まずは清潔にすることが先だ。その後、擦り傷と打撲による内出血に、それぞれ薬を塗り布を巻く。頭の切り傷は、髪の生え際にあった。もしかしたら跡が残るかもしれないなと思い、少し落ち込む。
手当てを終えて服を着替えると、何やら妹たちの騒ぐ声が聞こえてきた。何事かと店先まで行くと、父のマルクが五日ぶりに仕事から帰っていた。
父の外見はひょろりとしていて頼りなさそうに見えるが、薬師としては優秀だ。腕と誠実な人柄を見込まれて、ここヒュリスだけでなく、近隣のオアシスからも依頼が舞い込む。
「ライラ! どうしたんだその顔。美人が台無しじゃないか!」
父が目を見開いた。間違っても自分は美人などではないとライラは思っているが、ここは触れないでおこう。下手に反論すると、親馬鹿な父は延々と語りだすからだ。
「あの薬を奪われそうになって、とっさに瓶割ったんだけど……怒り心頭で殴られたの」
「ライラ、あの薬を村の外に持ち出したのかい?」
父の声が少し低くなった。
「ご、ごめんなさい。でも、苦しんでいるスージさんを放っておけなくて」
「だからといって、ライラが大怪我をしていたら意味がないだろう」
父は呆れたように大きなため息をついた。まるでサリムのため息が移ったかのようだ。
「取り込み中すまない。そろそろ俺もしゃべっていいか?」
ふいに懐かしい声が響いた。店の入り口に背の高い男性が立っている。
「ザルツおじさん? え、どうして? 王都にいるはずじゃ……」
三年前まで近所に住んでいたおじさんだった。父と同年代のせいか仲がよく、夜になると父とお酒を酌み交わしていたものだ。昔から格好良かったが、さらに大人の渋みが増したように感じる。実際、近所の奥様方は目の保養といって騒いでいたものだ。
「うん、王都にいるよ。でも今日は王宮からの使者として来たんだ」
さすがに立ったまま聞く話ではなかろうと、来客用の椅子を勧めた。双子は裏庭で遊んでおいでと追い出し、ライラと父マルクもテーブルを挟んだ向かいに座る。
「じゃあ、とりあえず、俺の立場を説明しておこうかな。俺は現在、第七王子付きの役人をしているんだ。第七王子が十八歳を迎えられ、晴れて成人されたことは知ってるよね」
数年前まで熾烈な王位継承争いをしていたが、上の王子達が次々と共倒れになったのだ。それにより七番目に生まれたというのに、王位継承権が転がり込んできた幸運の王子である。
「その第七王子にハーレムを作るようにと国王から命令が出たんだ。それで、俺はその準備のためにあちらこちらに出向いてるってわけ」
ハーレムとは王様のお妃達が暮らす後宮のこと。つまり、第七王子は皇太子として自分の後宮を作り、お妃を選べと言われているのだ。
「……はあ、そうですか」
ライラからは気の抜けた返事がこぼれてしまう。
「あれ、興味ない?」
「まぁ、はっきりいうと無いですかね」
「えー、困るなぁ。ライラちゃんをハーレムに誘いに来たんだけど」
ザルツが困ったように笑った。
今、ハーレムに誘われたの? だが、ライラは田舎のオアシスに住むただの薬屋の娘だ。超絶美人なら分からないでもないが、どこにでもいる地味な顔だし、今なんて殴られて頬に痣作ってるし。あと音楽奏でたり歌ったり踊ったり出来るわけでもない。
「やっぱり驚くよね。でもハーレムはさ、基本的に男子禁制なわけ。もちろん体調が悪くなったら医者は来るけど、常に居ることは出来ない。そうなると、ある程度医術の心得がある女性が、ハーレム内にいてくれると非常に助かるんだよね」
ザルツの説明に、やっとまともな思考が戻ってきた。
「つまり、ハーレムのお妃候補とかではなく、お妃候補の皆さんの健やかな日々を支えるために呼ばれている……ということでしょうか?」
「その通り! ハーレムに仕える女官として誘いに来たんだ。でも、王子がもし見初めてくれたら、ライラちゃんだってお妃になれるよ?」
「お妃とかには興味ないんで」
ライラは速攻で否定する。
「じゃあ、女官として働くのは?」
この慣れ親しんだ村を離れて王都に行く。しかも王宮で働くなんて想像もつかない。けれど、医術の心得のある女性という条件を満たす人は、多分国中を探しても少ないだろう。そう思えばやりがいはある気がした。でも、一つだけ心に引っかかることがあるのだ。
「あいつもさ、ライラちゃんが来てくれたら喜ぶと思うけどな」
ザルツの意味ありげな視線に、ライラの鼓動が大きくはねた。
「あいつも王宮にいるからさ。悲しいかな、俺の上官なんだけどね。まぁそれは置いといて、ライラちゃんだって、幼馴染がいたら安心して働けるでしょ?」
ザルツの言っている人物、それはザルツの息子・シンのことだった。三年前、何が目にとまったのかは不明だが、王都の貴族に気に入られて養子として引き取られていった。その際、父であるザルツも一緒に王都へついて行ったのだ。
「おじさん、とても有難いお話だと思います」
ライラは緊張しながら口を開いた。
「じゃあ、受けてくれる?」
ゆっくりと、ライラは首を横に振る。
「いいえ、お断りします」
ザルツをまっすぐに見つめて言った。
シンは今、貴族として王に仕えているということだ。つまり、ハーレムへの誘いを受けるということは、幼馴染のシンではなく、貴族のシンに再会するということ。それは……とてもじゃないが耐えられそうに無いとライラは思ったのだ。
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