第2話
意識が朦朧としてきた頃、やっと破落戸は気がすんだらしく去っていった。破落戸の姿が見えなくなったのを確認すると、ライラはゆっくり起き上がる。体中が痛いが、幸いにも主に腹と頭を攻撃されたので、手足は無事に動かせる。ライラはよろよろと歩き始めた。
早く、妹たちの元へ戻ってやりたい。きっと、震えて待っているだろうから。
言われた場所でちゃんと待っていた妹達は、ライラの姿を見た途端、駆け寄ってきた。
「エマ、エメ……大丈夫? 怪我はない?」
妹たちが顔を上げた。そっくりな顔が二つ、ライラを見上げてくる。
「姉ね、ごわがっだぁ」
エマが泣き始めた。エマは双子の姉で、意志の強そうなキリリとした眉が特徴だ。活発で気が強いのだが、さすがに今回は怖かったようだ。
「姉ねが、怪我、してる」
エメが震えながら言う。エメは妹で、ほんの少しだけエマより垂れ目だ。気が弱く姉であるエマにいつも引っ付いている。でも、まわりを良く見ていて、気を配れる優しい子だ。
ライラは必死に笑顔を作り、目線を合わせようとしゃがむ。すると、地面にぽたりと赤い水滴が落ちた。ライラは嫌な予感がして、側頭部に触れる。あちらこちらが痛くて、血が出ていることに気が付いていなかった。頭のほかに出血している箇所はないだろうかと、ぼやける意識の中で確認していく。
「エメ、血が出ているのは頭だけだから大丈夫。頭はね、ちょっとの傷でも、たくさん血が出ちゃうものなの。見た目ほど酷くないから、安心して」
それでも、早く処置するほうがいいに決まっている。
「ほら、エマとエメも歩いて。早く村へ帰ろう」
ぐすぐすと泣いていた姉のエマが、すっとライラの前に立った。
「エマが、走って
まさか一人で行くつもりなのか。ライラが驚いていると、妹のエメがエマの手を握った。
「じゃあエメも行く」
「だめ。怪我してる姉ねが、一人になっちゃうでしょ?」
エマがお姉さん口調で、エメに言う。
「そっか……わかった、エメは姉ねと一緒にいる」
「そうよエメ、姉ねのことお願いね。兄にを急いで連れてくるから」
ライラが口を挟めずにいるうちに、双子の中で話がついてしまったようだ。
「エマ、一人で行くのは危ないわ。迷子になったらどうするの?」
慌ててライラが止めようとしたときには、もうエマは走り出していた。
「来た道を戻るだけでしょ? そんなの簡単、子ども扱いしないで!」
エマはしゃらくさいことを言いながら、止まることなく行ってしまった。残されたライラは、複雑な気持ちで見送るしかない。
幼い妹達が頼もしくて、それが嬉しいと同時に驚いていた。自分達で考えて、何が最善なのか選んでいる。妹たちの優しさや賢さに、自分こそが助けられているのだと感じた。
エマを見送ると、エメと一緒に村へ向かってオアシス沿いの小道をゆっくり歩く。
オアシスとは、砂漠の中に点々と湧き出る泉と、その水源を元に広がる緑の地域だ。そして、オアシスの大きさによって、そこに住む人口も変化する。小さなオアシスだとそれ全体が小さな村となるし、大きなオアシスになると泉を囲むようにして複数の村が出来ている。そして、ティタース王国で一番大きなオアシスが、王都シェヘラだ。オアシスを囲むように立派な壁がぐるりと築かれている城砦都市らしい。異国の商人達も行き交い、物だけでなく娯楽も多く華やかな場所だと聞く。
ライラの住むオアシスはヒュリスと呼称されており、王都からは離れているため、簡単に言ってしまえばど田舎だ。けれど、泉は大きくそれに比例して緑も多い。そのため、東西南北にそれぞれ村があり、ライラが住むのは東の村だ。
ライラは今、村と村を繋ぐ小道を歩いている。片側を見れば、木々が生い茂り、奥のほうには太陽光を反射している水面が見えた。そして、もう片側を見ると、土レンガの塀が作られている。といっても、立派なものではなく、ライラの肩ぐらいまでの高さだ。少しでも砂の進入を防ぐためで、大昔から補修を重ねて使っているのだ。
砂を含んだ風が、腰まで伸びたライラの黒髪をなびかせる。ライラは斜め掛けのカバンからスカーフを出すと、止血のためにぐるりと巻いて結んだ。
「姉ね、平気?」
エメが心配そうに、ライラのズボンをつんつんと引っ張ってきた。
「うん、エメが一緒だから、心強いよ。ありがとね」
ライラは答えながらも、内心ため息をついた。今まで目に入っていなかったけれど、服は汚れているだけでなく、あちこち破れている。上半身は上に着ていたポンチョは大きく裂けているが、その下にシャツを着ているからまだいい。けれど、下穿きであるゆったりとしたズボンは、地面でこすれたのか太ももの辺りが破れて肌が見えているのだ。
村の入り口が見えてきたころ、前方から走ってくる人影が見えた。一瞬身構えたが、だんだんと近付いてくる姿にほっと安心する。ライラの弟で、二歳年下のサリムだった。
「姉さん! ぼろぼろじゃないか」
サリムは目の前まで来ると、あんぐりと口をあけている。
「へへ、ちょっと痛い目に遭っちゃった」
ばつが悪くて、思わず自嘲した笑いがこぼれてしまった。
「笑い事じゃないから。服も破れてるし……その、殴られた、だけ?」
サリムの視線が少し泳いだ。
「ん? 殴られただけというか」
問いかけの真意がよく分からず言いよどむと、サリムの顔色が変わった。
「まさか……もっと酷いことされたの?」
「確かに殴られただけでなく、たくさん蹴られたから。服もこんなになっちゃった」
ライラは苦笑いする。
「そっか……良かった。いや全然良くはないけど、でも最悪はまぬがれたみたいだね」
サリムが安堵したように、胸に手を当てた。
「確かに。暴力は受けたけれど、薬は渡さずに済んだから。それは良かったと思ってる」
「違うから! 姉さんはもうちょっと自分の事を考えてよ。下手したら、取り返しのつかない事態になってたかもしれないんだよ。薬なんかより、もっと自分の体を大事にして」
サリムが急に怒り出した。心配かけたことは申し訳ないと思うけれど、今くらい労わってくれても良いんじゃないだろうか。ライラは悲しくなり、しゅんと項垂れる。
「なんか、ごめんね」
姉としての威厳を保ちたいのだが、いつもサリムには怒られてしまう。
「いや、まぁその、今後気をつけてくれればいいから。それより、ほら、これ着て」
サリムが口をもごもごさせながら、折りたたんだ布を差し出してきた。受け取って広げると、それは父のポンチョだった。これなら太ももの辺りまで一気に隠せる。
「ありがとう、サリム。助かるよ」
「なら、さっさと家に帰ろう。手当てしないと」
サリムはくるりと背を向けると、村のほうへ歩き出した。
「待ってサリム、伝言を頼みたいの。西の村のスージさんに、今日は薬を届けられないけど、後日改めて届けに行きますって伝えてきて。きっと心待ちにしているはずだから」
ライラが言うと、サリムはこれ見よがしにため息をついてきた。何故だろう、そんなにおかしなことを言っただろうか。
「姉さんって、本当くそ真面目っていうか、なんというか」
「何でそんな呆れたようなため息つくの? 薬を届ける約束になってたのにそれが出来ない。薬屋として、お客に謝るのは当然じゃない」
ライラが言い返すと、サリムがじろりと見てきた。
「そうじゃない。いつもはこの薬、届けるなんてしないじゃん。つまり、あの人が店に来てれば、姉さんはこんなことにはならなかったんだよ」
「でも仕方ないのよ。スージさんは村長のお孫さんで、そう簡単に外出できないの」
確かに、今回はいつもとは違う。届けるという例外を行ったために、襲われてしまった。そのことをサリムが怒っているのは分かる。
「あーもー、これだから姉さんは。お人好し過ぎだって。寝込んでるような病人ならまだしも、日常生活は普通に出来てるんでしょ。なら、自分で来るべきだと僕は思う」
サリムはスージの境遇を知らない。だから、こんな反応をしてしまうのも仕方ない。
「はぁ、分かったから悲しい顔しない。伝えてくるから、姉さんは早く村に戻って」
再びサリムはため息をついたけれど、労わるような笑顔になっている。そのことに、ほっと一安心するライラだった。
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