第9話 守りたかったもの①


「リリア様」


 早朝の受診を終え一息ついた私に、年配の女性医師が声をかけた。

 ベッドサイドにある椅子に座り、背筋を伸ばす年配の女性医師は、真剣な眼差しを、ベッド上に座る私に向ける。


「お話がございます。少々のお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」


 意を決したかのような表情と口調。

 それは、静かに診察をし、温和な様子で結果を伝え去っていく普段の様子とは全く異なっていた。

 話とは何だろうか。

 年配の女性医師の様子に、私は戸惑いを覚える。


「そ、それは、どういった内容で……」


 声を発さない事を貫いている私の内心を代弁するかのように、サーシャは女性医師に問いかけた。

 悪い話ではないだろうか。

 そう思っていることが、固く結ばれた唇や潤んだ瞳からも感じ取れる。

 無理もない。

 私は昨夜まで、3日3晩高熱にうなされていたのだ。

 

 複雑に絡み合う気持ちで眠りについた後、私は高熱に見舞われた。

 意識が朦朧もうろうとする程の発熱により、3日間の記憶はほぼないが、時折「神様、お願いです。どうか、どうか助けてください」と啜り泣く声を耳にした。

 それが夢ではなく、サーシャが発したものであったことを理解したのは、目が覚めた先程。


 よれた侍女服を着用し、腫れぼったく眼下に濃い隈のある目から涙を流し、解熱した事を喜んだサーシャの姿を見て、彼女が私の看病していたのだと悟った。

 そうして、急いで医師を呼びにいったサーシャにより、私は年配の女性医師による診察を受け、今現在に至る。



「リリア様の体調に関した話でございます。申し訳ありませんが、サーシャさんはご退室ください」


「な、なんでですか?!」


「話はまずご本人に伝える。身近な人間にどう伝えるかは、本人が決めるもの。それが、私めのセオリーにございます」


 はっきりと物申した年配の女性医師に、サーシャは目を見張った。

 真剣な眼差しだけを見せる姿は、有無を言わさぬ圧があり、抗議の意志を奪うようなもの。

 サーシャの表情は、驚きから悲しげなものに変化していく。


「……わかりました……」


 小さな声で了承の意を示したサーシャは、そのまま出口へと歩いていった。

 不安げな背中が片開きの扉に消えて間もなく、小さな音と共に扉は閉じられた。


 

 静まり返った室内。

 そこに、パラパラという紙の擦れる音だけが、異様に響き渡る。

 まとめられた冊子を捲る年配女性の表情は非常に固く、場に緊張感を生み出していく。

 ベッド上に座る私は身を硬くし、年配の女性医師のほうを注視しながら、相手の出方を待った。

 


「確認したいのですが」


 作業の手を止めた年配の女性医師が、ゆっくりと私に視線を合わせた。

 

「自分の事、置かれた状況。いずれも全て、何一つわからない。リリア様の現状は、そのような認識で間違いございませんね?」


 年配の女性医師は、じっと私の瞳を注視する。

 本当にそうなのか。そこに嘘はないか。

 疑いの意思が汲み取れる視線に、私は目を逸らしたくなった。

 しかし。

 私は私の記憶を持っている点や、リリア様の中身が私になっていること。

 嘘を述べた事、嘘をつき続けている事を悟られるわけには、絶対にいかない。


 己を守るため、嘘を貫き通す。

 そう改めて決意した私は、年配の女性医師から感じる意思に負けないよう目に力を込め、首を縦に動かした。

 しばらくの間を経て。

 年配の女性医師は、ふう、と溜め息を漏らした。



「……そうですか。では、改めてご挨拶からせねばなりませんね。私は、ロッタと申します。リリア様が眠りにつく少し前から、リリア様の専属医師をしております」


 淡々と名乗った年配の女性医師は、椅子に座ったまま頭を下げる。

 数秒して顔を上げたかと思うと、膝元にある白い冊子を片手に、もう片方の手に万年筆を持ち、何かを記述し始めた。

 

 やはり……。

 目の前に見える白髪の頭頂を見ながら、私は推測を確信に変えた。

 


 私が診察を受ける際に必ず現れる、年配の女性医師。

 ゆっくりした口調や常に口角を上げて話す女性医師からは、温和な雰囲気を感じ、強気な態度の医師ばかりが揃う王宮内には珍しい、主張が弱めな優しい医師という印象を受ける。

 長くは無い白髪を後ろで1つに束ね、目には丸眼鏡をし、猫背気味な姿勢。

 そのような風貌は、温和な雰囲気も相まって、無害であるかのように見えた。

 しかし。

 強い警戒心、それを、年配の女性医師もといロッタ医師に対し私は抱いていた。


 ロッタ医師は、王宮に仕える者としての在籍がない。

 毎度、人の入れ替わりがある際に確認が必須となる、王宮に仕える全人物の名簿。

 その中に、ロッタ医師の名や顔写真は存在しなかったという記憶が私にはあった。

 そのため、サーシャから医師だと紹介された際は疑わざるを得なかったが、診察の際に見せた言動は医師のそれであったことから、職業を偽っているわけではないと判断していた。    

 

 記憶喪失を装っている手前、何か意見や質問することはできず。

 サーシャが信頼を寄せている様子や毎回診察に来るのがロッタ医師であることから、リリア様専属の医師として、秘密に存在している人物ではないか。

 そう推測していたわけだが、私の考えはやはり当たっていた。


 ロッタ医師への応答を間違えなかった事に、私は内心で安堵する。

 彼女もまた、リリア様の味方であるはずだ。


 

「担当直入に申し上げます」


 顔をあげたロッタ医師は、真剣な面持ちで私を見る。

 

「8年の眠りから目覚めて、8日間。毎日リリア様の診察をした結果、ある事が導き出されました。それは、このままでは床に臥す状態になる、ということです」


 告げられた診断結果。

 それを聞いた私は、口を紡ぎ、膝元のブランケットを握りしめようとした。


 床に臥す、つまりは、寝たきりになるということ。

 それは、身体の不調やその理由を考察した際、脳裡に浮かんだ事柄だ。

 想定内であった為か、告知についての驚きは少ない。

 ロッタ医師の様子からして、嘘をついているとは思えず、医師が言うのであれば、その未来は間違えないだろう。


 懸念を感じた点は、寝たきりの状態になった場合、私の行く末についてだ。

 床に臥す可能性がどれ程高いのか。

 未だわからないが、その状態は、前途暗澹あんたんでしかない。

 どうすべきか…………。



「それはお嫌でしょう?私めも嫌ですし、リリア様を慕うサーシャさんやリリア様を大切に思う方々を悲しませるのは、如何なものかと」


 黙っていた私に、目を細めながら強い口調で意見したロッタ医師。

 発言や表情から感じるのは、叱咤というより非難であり、私は吃驚した。

 同時、胸中に何かが押し寄せ始めた。


 

 床に伏す事が嫌だという点は、同意する。

 しかし。

 ロッタ医師から非難を向けられた点は、理解し兼ねる。

 リリア様を思う人々の気持ち、それは嫌という程に理解している。

 だが、現状に対して私に非はない。


 リリア様になった事、体調不良、いずれも、私が引き起こしたことではなく、私自身、私の記憶があるだけで、何も理解できていない。

 分からぬ事や理解できない事が多く、困惑している中、問題が起きぬよう、1人、必死に考え、できる対応をしているのだ。

 それを、なぜ非難されなければならないのか。

 それも、



「如何ですか?様」


 リリア。

 名を強調された呼名は、静かな室内に響き渡った。

 こちらを見る女性医師の眼差しから強い怒気を感じ、私は自ずと身を硬くしてしまった。


 意に沿わねばならない。

 そう感じさせるロッタ医師の言動は、胸中に突如湧いて出た不満を消し去った。

 代わりに、脳内にある体験を呼び起こさせ、胸や腹部に締め付ける感覚を引き起こす。

 痛い。

 自分の気持ちを口にする事など、決して許されない空気感。

 それを前にした私は、ただ静かに頷くことしかできなかった。

 


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