第8話 願いの先⑤


「ゆっくり休んでくださいね。無理は絶対にダメですよ。私にできる事は……その、できる限り全力でしますから。お願いですから、無理だけはしないでくださいね」


 私を安心させようと微笑むサーシャからは、微笑みの中に不安の色が混じっているのが見てとれた。


 大切に思うリリア様への気持ち気掛かり

 自分が負担をかけてしまっている、という罪悪感。

 本当は指示を施行したくない、という強い想い。

 

 彼女の心情は複雑なのだろう。

 口角を不自然に上げているサーシャは、私の体にそっとブランケットを掛け、「お休みの準備をしてきます」とベッドサイドから離れていった。

 

 私が休みやすい環境を作ろうと、作業を始めたサーシャ。

 その背中を見た私は、視線を天井に移した。

 また、か。

 そう思った私は、顳顬こめかみの痛みをそのままに、ざわつく胸元に両手を当てながら小さく息を吐いた。


 長い間眠っていた弊害なのか。

 リリア様の身体には体力が無い。

 そのため、頭を使い続ける状態や気を張る状態が続くと、身体に不調を来してしまい、早い段階で休まねば体調が悪くなっていく。


 今回休息が必要となった理由は、鈍い頭の痛みに見舞われたからで、この不調が起きた原因は、長い間思案してしまったから。

 早い段階で休息の意志を示せたのはよかったが、胸の辺りに重みを感じ始めた様子からして、この後はしばらく眠ることになるだろう。


 

 体力が無い。

 この事柄は、思った以上に深刻だ。

 

 リリア様として、目覚めて5日。

 この身体が持つ力の限界を越えてしまい、意識を失う羽目になった事が数回あった。

 目が覚めた後に診察を受けたが、女性医師は「……原因がわからない」と静かに言い、サーシャは「リリア様に持病はないのに」と不安気に言った。


 原因不明では困ってしまう。

 そう思い、倒れてしまった原因を追求したところ、リリア様の体は、私の在り方には合わない事がわかった。

 私にとって当たり前だった、思慮することや気を張り続けること。

 それは、この身体とっては、考え過ぎ気の使い過ぎとなり、体力の無さによって倒れることになる。

 

 そうした理由から、身体に合わせて行動ししなければ ならなくなったのだが。

 身体の不調を起こさないよう対処することは、予想以上に困難だった。


 記憶喪失のリリア様を装っている以上、気を張らないというわけにはいかない。

 身体の状態を把握して以降、中身が私であることはもちろん、倒れてしまう理由を悟られてはならないと、サーシャや女性医師に対して、更に気を張ることになった。

 

 気を使うことが避けられないならば、思慮する時間を抑えればよい。

 そう思い考える時間を減らしてみたが、問題の解決には至らなかった。

 頭を使わないと、今度はなんともいえない感情が強く湧き上がり、気が休まらなくなってしまう。

 この感情は厄介で、湧き上がる理由を明確にしようとすればする程、胸のざわつきを強めていくのだ。


 適度に頭を使わなければならないが、気や頭を使い過ぎてはならない。

 今の、リリア様の身体である私は、身体の使い方にも配慮せねばならないわけだが、そのバランスがなかなかに難しく、気づけば身体に不調が生じている。

 それが私の現状だ。


 

「…………はぁ…………」


 困った状況に、自ずと溜め息が漏れ出てしまう。

 

 やらねばならぬこと、考えねばならぬこと。

 それらは山の様にあり、1つずつでも知りたい事を明確にしていかねば、懸念材料が増えてしまうだけだというのに。

 現実はこのような有様で、把握したい事柄は一向に得ることができない。


 ……どうしたら、いいのだろう。

 これまで問題が起きた際は、1人で対処をしてきた。

 誰も味方がいない私にとって、自分でどうにかする以外方法がないのはわかっている。

 しかし。

 今まで通りが通用しない、身体が思い通りに動かず状況の把握も難しい現状に対しては、正直お手上げだ。


「…………………………」


 打開策がなにも思いつかず、身体の不調も重なってか、放心状態になっていく。

 自ずと息を吐けば、爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

 ベッドサイドテーブルに置かれた一輪挿しから薫ってくるそれは、“任務”の際に身に付けていたもの。

 甘く清楚な香り。

 泥酔した彼を通して嗅いだこともあるそれは、好ましく思った事など1度も無かったが、この体は好んでいるのだろう。

 この百合の花の香りを嗅ぐと、不思議なことに身体の力が緩んでいく。

 その一方で、胸の辺りに圧迫感を感じるのは、なぜだろう。

 身体はリリア様でも、意識は私であるせいなのだろうか。

 ……息苦しい。

 香りを嗅ぐ度に、胸の周りだけが締め付けられていく。


 

「……大丈夫ですか?」


 突如、心配そうな声色が耳に入る。

 それに合わせて、いつの間にか閉じていた目を開ければ、サーシャの顔が目前に見えた。

 状況を確認しようと少し視野を広げると、閉められた天窓カーテンが目に入り、サーシャが就寝の準備を終えてベッドサイドに戻って来た事がわかった。

 

 何か、気づかれてしまっただろうか。

 気を抜いていたため、何か読み取られてしまったのではと内心焦った私だが、


「顔色が悪いですが、何かありましたか?」


 サーシャは憂虞ゆうぐだけを表情に映していた。

 ただ単に、体調が悪いことを心配しただけ。

 そう理解できた私は、痛む胸元を押さえながら、ベッド上で安堵の吐息をもらす。

 そうして首を横に降り、大丈夫であることを示してみせれば、サーシャはほっと胸を撫で下ろした。

 


「ライト、落としますね」


 サーシャがそう言うと、枕元の柔らかなオレンジライトから徐々に光が失われていった。

 灯りがなくなった部屋。

 暗くなったと感じるはずの場で、暗さを体感せずにいるのは、白いカーテンの隙間から陽の光が入るという、論理的な理由ではない。

 

 柔らかな光が差し込む、日当たりのよい部屋。

 風通りが良く、心地よい空気が循環する空間。

 白や淡いピンクを貴重とした色味で構成されている、明るい雰囲気の室内。

 花を主とした、派手では無いシンプルな装飾、温室のような心地よい温かさが保たれている環境。

 

 快適で温かみある雰囲気になるよう配慮されているこの部屋は、8年間変わらないものだとサーシャが言っていた。

 

 

「失礼します」

 

 サーシャの声掛けと共に、胸元に置いていた右手を持ち上げられた。

 優しく身体の脇に置かれたかと思うと、右手がそっと包み込まれていく。


「安心してくださいね。私はもちろん、リリア様を大切に想う人達で、何があってもお守りしますから」


 安心して。

 リリア様を大切に思う人達。

 何があっても守る。

 

 サーシャが私に向けた声掛けは、私が眠る際に、必ず聞かれるもので、それは目覚めた2日目辺りから始まった。

 なぜ急にそのような事を言い出したのか。

 理由は掴めていないが、リリア様が大切ゆえの事なのは、声の柔らかさから伝わってくる。

 泣いている子どもをあやすかの様なそれは、言葉にできない何かを胸に込み上げさせ、その一方で、思考力を鈍化させていく。


「また後ほど、すぐに会いましょうね」


 少しの睡眠をとるだけで、すぐに目覚めますよね?

目覚めてくださいね。

 サーシャの願いが込められた言葉を聞いた私の瞼は、誰かに操られているかのように、ゆっくり閉じ始める。


 このまま眠ってしまうのは、駄目だ。

 内側にある違和感を抱えたまま眠ってしまえば、目覚めてから感じるものが、心許なさになってしまう。


 そうして何かしらを考えて、気づけば体調不良になる。

 そんな悪循環に陥る形になってしまう。


 せめて、胸に感じる圧迫感を和らげなければ。

 そう強く思うのに。

 身体がいうことを聞いてくれず、眠りに入っていく。


 

 …………ああ、駄目だ。

 もう、なにも、かんがえ、られ、な……………………。


 

 柔らかな空気感と、傷心する際に必ず嗅いでいた香り。

 それに包まれる私は、複雑に絡み合う気持ちを抱えたまま、静かに意識を手放した。


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