第8話 願いの先③
サーシャのいう殿下は、おそらく彼のこと。
結婚後に知った彼のこと、彼の行動、リリア様への強い想い。
それらを考えれば、リリア様のために色々と動いていたのは彼だったと思わざるを得ない。
彼は、リリア様のために――――。
その事柄を知っても、胸中は至って冷静。
彼の心奥を知る機会は多々あったのだから、そのような話は今更だ。
問題は、サーシャのいう殿下が彼ならば、彼との対面が避けられなくなること。
彼は、この
中身が偽物であっても、本物のリリア様と同じような接し方をするのだろうか。
愛おしい、そういった感情を持った接し方を?
彼から愛情を向けられたことがない分、その姿は想像できないが、間違えなくあの瞳は向けられるはずだ。
焦点のあった、輝きのあるエメラルドブルー。
初めて見る目線を前にして、私は上手い対応ができるだろうか。
………………いや。そもそも、リリア様を強く愛している彼ならば、偽物であることを直ぐに見破る可能性が高い。
それは私にとって懸念事項であり、彼はサーシャ以上に
リリア様の中身が私だと知られた場合。
彼からの対応は間違えなく、
非の打ち所がない王子だと言われるものの、リリア様のことに関しては感情に駆られやすい、そんな彼の事だ。
私がリリア様に手を出し、このような事態になった。
そう捉えられ、被疑者扱いされてしまう可能性も想定できる。
あの時にそうだったのだから、不利な状況に陥るのは間違えない。
リリーが誰かを知るため、彼の行動範囲を調べていただけの私に対して、彼は
「リリア様?」
背中を向け作業をしていたサーシャが、私のほうを見た。
心情を悟られてはまずい。
そう思った私は、彼女と目が合った瞬間、急いで視線を外す。
「あ、」
私の反応を見たサーシャは、何かに勘づいた反応を見せた。
そうして、こちらに歩み寄り、ブランケットの上に置かれたままの私の右手にそっと触れる。
怯えている。そう捉えたのだろう。
サーシャは優しい声色で「大丈夫ですよ」と私に声を掛けた。
「殿下と言っても、あのジハイト殿下じゃないです。レオン殿下ですから」
レオン殿下。
その名を聞いた直後、私は一瞬時が止まった感覚を抱いた。
しかしすぐ様、ゆっくりと息を吐き、意志を持ってサーシャのほうを見る。
「え?どうしたんですか?」
私の行動の意味を捉えられないサーシャは、瞬きを繰り返した。
対して私は、黙ってじっと彼女を見続ける。
リリア様を気にかけていた殿下は、やはり彼だった。
そう理解した瞬間、私はある事を決めたのだ。
「リリア様、こちらを使ってもよいでしょうか」
目で訴え続ける私に、サーシャは近くにあったワゴンからあるものを取り出して見せた。
単語が書かれた表と指示棒だ。
「私が単語を指し示しますので、Yesなら私の目を見て、Noなら目を閉じるをしていただけますか?そうして貰えたら、リリア様の伝えたいことが私に伝わりますので。レオン殿下が、万が一に備えてと用意していたものですが、役に立ちそうですね」
「殿下は、リリア様が目を覚ました時のことをよく考えてましたから」と言って笑うサーシャを、私はただ静かに見つめた。
サーシャが提示してきたものは、応答や記述が難しい相手と意思疎通をとるための道具と方法。
医学書にて使用目的や方法の知識は得ていたが、使用場所は主に病床だという事から、実際に目にしたことはなかった。
自分が使用することはまずないだろう、そう思っていたが、まさか使用される側になるとは。
しかも、彼の直筆で作られたものを使うとはまた。
長年の眠りによって筋力が衰えることを想定した彼が、リリア様の目覚めた際を思って用意したのだろう。
万が一どころか、何の気配りもされない私とは大違い。
そんな事を思いながらも、自分の意志を伝えるべく、私は手作りの単語表を見つめた。
小さなノートを見ながら、サーシャは私にいくつかの質問をした。
その質問も、彼が考えたのだろう。
とても的確で無駄がないそれのおかげで、私の意思は円滑に伝えることができた。
「え……」
話の意図を汲み取ったサーシャは、動揺を隠せないという様子を見せる。
事の次第を把握できていない私が考えた、最善策。
それは、
「何も、わからない……。記憶がないって事ですか?!」
記憶喪失を装うこと、だった。
*****
私の意思がサーシャに伝わってから、事は順調に進んでいった。
サーシャによって手配された医師の診察を受けた後、私は部屋に引きこもりたい意志を示した。
彼との対面を避け、記憶喪失という設定に差し支えない範囲でサーシャから情報を得る。
そうして、身の振り方を決めようと思ったのだ。
私を診察した年配の女性医師は、私を注視した後「……そうですね。変に刺激があってはいけませんから」と言い、私の意志を後押しする記録を残してくれた。
『体力が戻るまでは安静に。面会は禁止とし、刺激は最小限になるよう留意すること』
そのような医師の指示のおかげで、目覚めて5日、彼がこの部屋に来訪することはなかった。
また、私が関わる人間はサーシャか女性医師の2人なため、中身が
彼が作った単語表を駆使した結果、サーシャから情報を得ることもできた。
記憶喪失を演じつつ、可能な範囲で話を聞き出した結果、わかったことは2つ。
リリア様の突如とした眠りは今から8年前、リリア様が18歳、彼が15歳の時に起きたということ。
彼の妻となったアンジュ・ラント・ブルーム王太子妃は、2か月前に急に倒れ、今は昏睡状態であること。
つまり。
現在は、私が私として存在していた時から2か月後。
私自身がリリア様になった訳ではなく、リリア様の中身が私になった、ということだ。
状態が入れ替わるように。
私は眠り、リリア様は目覚めた。
人の中身が入れ替わる。
そんな事が有り得るのか、と思う気持ちは強いが、その疑問に囚われていると話が進まないため、有り得ない事象について理由を見出すのは一旦放棄する。
私がリリア様の中に入ったのだとしたら、リリア様の中身はどちらに?
本来の私の中に存在するのだろうか。
それとも、リリア様の中身は目覚めていないだけで、この身体の中に在る……?
「リリア様、お待たせしました」
サーシャの柔らかな声が、思案していた私の耳に入ってきた。
扉を静かに閉め、こちらに向かってくるサーシャ。
定例業務のため部屋を出ていたサーシャだが、終わった事が余程嬉しいのか、喜色満面と戻ってきた。
サーシャの定例業務は、眠りについている私の世話。
なのだが、彼女はその業務に向かう朝方、お通夜のような雰囲気を醸し出しながら部屋を出ていった。
私の世話は、余程嫌なのだろう。
そう推測すると、外見はリリア様とはいえ中身が私という偽物のリリア様を、甲斐甲斐しく世話をするという現状に笑えてくるが。
そんな、サーシャの様子はさておき。
彼女が手元に持つある物、これから行われる一連の流れ、今はそれの対処を上手くしなければ。
「今日もまた可愛らしいお花を貰いましたよ。リリア様が好んでいた百合の花です」
薄ピンク色をした1本の小さな百合。
茎にリボンが結ばれたそれを手に持つサーシャは、ベッド上に座る私の前にそっと差し出してきた。
リリア様の故郷に咲く、リリア様の好きな花。
私が目覚めた翌日に、花を持ち帰ってきたサーシャがそう説明してくれた。
清楚な印象を感じさせる、淡い香りのに百合は、本来この時期に咲くものではないらしい。
冬季である今綺麗に花開いているのは、温室で育成されたためだということも、サーシャは私に教えてくれた。
「リリア様が我が国に来る時、15歳の時に、持参した百合の花、それも、温室で大切にお世話されていますよ。外に出ていいとの許可が出たら、あの時みたいに、みんなで観に行きましょうね」
サーシャはそう言いながら、柔らかく微笑んだ。
そうして、楽しかった過去を懐かしむかのような、切なさを含めた表情で私を見る。
‘’早く話がしたい。リリア様と”
そんな想いが読み取れるサーシャを前に、私は、YesともNoとも捉えられる、曖昧な表情を浮かべてみせた。
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