第8話 願いの先②



 リリア様だ。

 リリア様になっている。


 自分の姿形、現状を理解し始めた途端、私の心臓が激しく鳴り始めた。



 私ではなくなった。

 私は今リリア様、だ。

 なぜ、どうして。

 

(リリア様になれたならば)

 そう思ったからだろうか。

 いや。

 そう思ったからと言って容姿が変わるなど、有り得るわけがない。


 魔法や何らかの術式があるというなら話は別だが、我が国にそういったものは存在しない。

 過去を遡ってみても、非現実的な現象の記録はなかった。

 国内にある本は娯楽書以外一通り閲読しているが、身体が違う人物に変わる、誰かや何かと入れ替わるなどといった文献を、私は見ていないのだ。

 

 自分の目を疑うような光景。

 自分とは異なる美しい容貌。


 にわかには信じ難い状態。

 早鐘のようになる心臓。

 

 受け入れ難い現実と判断する思考に反して、リリア様として存在し生きているという証拠、体感を私は確かに得ている。



 わからない。

 私の知らない現象や秘密が、この国にはあったのだろうか。

 私はどうしたら


「リリア様っ!」


 激しく混乱する私の後方から、サーシャの叫び声が聞こえた。

 床に落ちていくトレー、円柱のグラスからこぼれ落ちる飲料水、こちらに向かって駆けてくるサーシャを鏡越しに捉えたが、それらは何故か鈍重なものに見えた。

 

『リリア様』

 

 サーシャが発したその言葉に、頭を殴られたような感覚になっていたせいだろう。

 

 “王命同様。言われたままを受け入れなさい”

 混乱する一方で、完璧な王太子妃として培われた冷静な自分が、目の前の現実を受け入れるべきだと助言した。

 


「……お鏡を見たかったんですね」


 私の様子を確認したサーシャは、安堵の息を漏らす。

 

「失礼します」


 そう声をかけられて間もなく、私の体は仰向けにされ、さらには宙に浮く形になった。

 俯せの状態から、抱き抱えられる形へ。

 瞬く間に変化した状況に驚いた私は、思わずサーシャの顔を見てしまう。

 

 

「大丈夫ですよ。私、力持ちですから。あの頃よりも更に力がついたんですから。ちゃんとお運びします」


 呆然とする私を安心させるかのように、サーシャは優しい言葉と微笑みを私に向けた。

 その表情を見た私は、自ずと視線を落とす。


 知らなかった。

 サーシャの明るい声色も優しい微笑みも。

 専属侍女なのに、大人の女性私の身体を抱き抱えられる程の力持ちだということも、私は知らなかった。


 初めて知る事柄に戸惑いを感じた私は、俯くことしか出来なくなってしまう。

 そうして。

 安定感のある横抱きを静かに体感しながら、淡いピンクと白の天蓋カーテンが付いたベッドへ、私は移動することになった。




 ***



 そっとベッド上に降ろされた私は、サーシャによる手際よい介抱を受けた。

 背中には柔らかなクッションを挟まれ、そこにもたれ掛かる体勢に整えられた後、足先から体幹には柔らかな白のブランケット、肩には肌触りの良いショールが掛けられた。

 次いで、飲水の介助をされる。

 口元に運ばれたストロー付きの円柱グラス、そこからゆっくり水を摂取する私は考えあぐねていた。

 

 これからどうしたらいいのだろう。

 私が私ではなくなったこと、リリア様の容姿になったことは理解し始めたが、事の詳細は何も掴めていない。

 色々と情報を得たいが、身体を思うように動かせないため、現状把握は安易では無い。

 

 目下の問題は、サーシャへの対応。

 問題を解決するためには、リリア様になりすますのが1番だろう。

 だが、リリア様の振る舞いを私は知らない。

 そもそも、私が知るリリア様の情報とサーシャの話が掛け離れており、それが問題を煩雑化させている。

 現況とリリア様について。

 それらの正しい情報を得なくては、対処の仕様がない。


 

「大丈夫ですか?リリア様」


 柔らかな声が耳に入る。

 はたと我に返れば、ブラウンアイの憂いを含んだ瞳と目があった。

 随分と温和な雰囲気をしている。


「グラス、失礼しますね」

 

 いつの間に中身が空になったグラス、それを私の口元から静かに離したサーシャは、ベッド上に座わる姿勢になった私と真っ直ぐ視線を合わせた。

 

 輝きに満ちたサーシャの瞳。

 それから目を離せずにいると、サーシャが柔らかく微笑んだ。


「いつか必ず目を覚ましてくれる。リリア様が眠られてから、ずっと自分に言い聞かせていました。けして諦めず、この8年、できることを毎日やり続けました。だから今、本当に、本当に嬉しいです」

 

 目を潤ませ、歓喜の表情を浮かべるサーシャ。

 あまりに真っ直ぐな喜びを向けられた私は、口を紡いでしまう。

 

 サーシャの人が変わったような対応と感じるリリア様への強い想い。

 未だ掴めぬリリア様の事情と人柄。

 そういった点を考慮した結果、反応に困ってしまったのだ。

 なにより。

 現時点で出した結論が、私を苦慮させ、身動き出来なくさせる。

 


 ここに居る人物はリリア様でない事、自分の事情は口外するベきでない。


 リリア様本物ではなく偽物である事を知られてしまった場合、色々と面倒な事が起こるに違いない。

 そう私は判断した。

 

 サーシャの言動。本来の私やリリア様の立場、取り巻く人間関係。

 それらを考慮したのだから、混迷した状況下で出したものとはいえ、間違いない判断だと言える。


 リリア様がどのような事情を持っていようが、私がリリア様になった理由がどういったものであろうが。

 口外禁止の結論は、変わらないだろう。


 間違った対応はできない。

 つまりは、そういうことだ。



「あ、すみません!気持ちが先走ってしまって……。診察。まずは、きちんとした診察を受けないといけませんね」


 自分の対応が良くなかった。無反応な私を見てそう思ったのだろう。

 サーシャは、謝罪の言葉と共に軽く頭を下げ、現状に焦点を当て始めた。

 そうして素早く立ち上がり、何やら周辺を整え始める。

 

「お部屋を整えた後に、診察の依頼をしてまいります。殿下への報告も。殿下、絶対に喜びますよ」


 殿下。

 その言葉を聞いた私の体が、小さく揺れた。

 

 サーシャのいう殿下とは、どちらの殿下のことだろう。

 彼なのか、ジハイト様なのか。

 彼は王太子殿下の名称で呼ばれる事が多いが、殿下と呼ばれることもある。

 サーシャが彼を呼ぶ際は、『レオン殿下』と呼名していたため、どちらを指しているかの判別がつかない。


 

「驚くかもしれませんが、殿下はずっとリリア様を気にかけていました。お花も、定期的な診察も、国王様や貴族の方々の目から守ることも、全部殿下が率先してやってくれていたんですよ」


 長い間眠るリリア様をずっと気にかけ、リリア様のための行動をしてきた殿下。

 その殿下とは、リリア様の夫であるジハイト様。

 …………だと思いたいが、ジハイト様がそのような事をするだろうか。

 女性達を囲い日々遊びに興じている、あのジハイト様が。


 嫌な予感がする。

 王太子妃になってから培った経験則により、私はサーシャのいう殿下が誰かを察知し始めた。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る