第5話 偽りの顔②
「リーエ嬢?」
リーエの様子を心配に思った私が、リーエに向かって手を伸ばす。
すると、サーガが勢いよくリーエの前に出てリーエを自分の背に隠してみせた。
威嚇の眼差し。
それを向けてきたサーガを前に、私は伸ばしていた手を静かに引き戻した。
「……す、すみません。私、あまり調子が、良くなくて…………」
「僕らは家で休んでいます。王太子妃殿下は、父様との時間をお楽しみください」
顔を青くしながら俯くリーエ。
敵意と他人行儀な言葉を向けてくるサーガ。
そんな2人の様子を目にした私は、微笑みながら小さく息を吐いた。
「わかったわ。お大事にね」
私がそう言うと、サーガはその場で礼をし、俯いたままのリーエの肩を抱きながら家の方へと向かっていた。
小さなレンガの家に入っていく2人の背を見送る私は、複雑な心情を抱く。
弟妹が見せた言動は、私を快く思わない従事者や貴族と会った際に幾度も目にしてきたものと類似していた。
私は、嫌われているのだろうか。
そう思うと胸が締め付けられもするが、それは仕方がないことだとも思う。
10年近く顔を合わせていない姉など、10歳の子らからすれば名ばかりものだ。
王太子妃になった1年前、離れて暮らしていた家族にやっと再会できたものの、片手で簡単に数え終わる程しか会いには来れていない。
そんな私に、難しい年頃に入った弟妹がすぐに心を開くというのは難しい事だろう。
「お待たせいたしました」
準備をしていた父が、私の元に戻ってきた。
弟妹がいないことを驚く父に、私が事情を説明すると、父は「そう、ですか」と小さく眉を下げた。
沈黙のまま、父の案内に従って移動した先には、絹の布がかかった木製のガーデンテーブルがあった。
椅子の部分には良質なクッション、テーブルの上には私があらかじめ送っておいた菓子とティーセットが並べてある。
数メートル先には、我が家のシンボルツリー。それに加えて、広大な芝生と澄み渡る空。
「お砂糖はいかがですか?」「お菓子は何を召し上がれますか?」など。
敬語で確認してくる父に、この場では敬意を表す必要はない、普通に話して欲しい旨を伝えた。
「「…………………………」」
黙り込む父、と、静かに紅茶を飲む私。
なんとも気まずい空気が流れる中、私はその場の空気を変えようと、当たり障りない質問を投げかける。
「お変わりない?」
「は、はい。ないで……ないよ。定期的な視察の回数が増えたのはあるけれど、穏やかに暮らせている、よ」
伯爵位を返上できなかった我がブルーム家には、王家からの定期的な視察がある。
その視察内容は、父が研究の進捗情報を報告し、何か変わった事や困っていることは無いかを問われるというもの。
善意から行われているように見える視察だが、実際は違う。
国王による監視。
何を確認しているのか、その詳細までは把握できていないが、国王は私達家族を監視しているのだ。
その事実を知った時、国王への見方や過去に国王から受けてきた親切の意味合いが変化してしまい、私は戦慄した。
しかしながら、視察に関しては、伯爵家である以上仕方がないことも貴族社会に染まった今なら理解できる。
問題は、監視をされている事とそのあり方だ。
監視がただの監視ならばまだよいのだが、監視する者は私達の事情を知らされてから任務につくため、
その視線に慣れ、冷静な対処が上手くなった私ならばまだしも、あのなんとも言えない不愉快な眼差しを家族に向けて欲しくはなかった。
それらに殆ど触れた事のない弟や妹はもちろん、幸か不幸か、視察の意味について気づいていない父に対しても。
「……そう。平穏な日々を過ごせているのね」
「ああ。あの頃に比べたら、本当に。王太子妃として頑張ってくれているアンジュには、深く感謝しているんだよ」
そう言った父は、柔らかく微笑んだ。
私は、何も返さなかった。
視察の回数が増えた事や本日の最悪な監視者は、十中八九私のせいだ。
王太子妃の職務を果たせていない私やその家族を観察し、何か粗相があれば国王に報告する為のものに違いない。
それから。
感謝されたところで、私には何にもならない。
そう思う、冷めた自分が存在していたのだ。
「アンジュ」
真剣な声色で名を呼ばれたことから、外していた視線を父に合わせる。
「アンジュは、その……幸せ、なのか?」
幸せ。
その言葉を認識した途端、ティーカップを持っていた手が止まった。
「王太子殿下は立派な方で、国中の女性が憧れる方なのは前々からよく知っているよ。アンジュが婚約者に選ばれて貴族達からの誹謗……いや、反対が起きた時も、殿下が上手く助けてくれたのも聞いていたし、多忙ながら妻を大切に愛でているとの話も聞いている。貴族、ましてや王族という色々と厳しいであろう環境下で、王太子がいい人だったのは本当に救いだと思っているんだ」
父の言葉を聞いた私の心がざわめく。
違う。
妻を大切に愛でているなんて見かけだけで、彼は私には冷酷無情かつ無関心だ。
彼が大切に愛でている相手は、私でなく義姉。
あの時、婚約者の時に助けてくれた事も、本当は違くて…………。
彼の行動の全ては、愛する
「ただ、今日も来られない程に忙しいとなると、お前が寂しい思いをしていないのかな、と。貴族の子育てはどうかは知らないが、子どもがいればまだ違うのではないかなと思って……あ、いや、不粋だったね。ほら、アンジュは昔、サーガやリーエと過ごす時間を本当に嬉しそうにしていたし、子どもがいたら寂しくなることはないんじゃないかって」
……子ども……。
王太子妃として子を成さねばならないのはわかっているし、成さなければ窮地に立たされるのはよくわかっている。
けれど、苦境の中で授かったとしても、嬉しいと思えるのだろうか。
あの環境下でも、子どもがいたら幸せだと思えるようになるだろうか。
…………オトウサン。ワタシ、“シアワセ”ジャ、ナ
――ごくり。
父とはよく話し合っていたという昔の名残から、素直な胸の内を口にしたくなった。
そんな自分を、私は、紅茶を嚥下することで思い留まらせた。
酷く苦いそれは、胸の奥底に流れていく。
「……アンジュ」
俯き加減で話す、私の心境など知らぬ父は、こちらの様子を確認することなく言葉を続ける。
「……辛い目にはあっていない、んだよね?」
父の発言を耳にし終えた途端、カチリと、目の前の景色が止まった。
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