玉座は電車の屋根の上

雛風

第1話「魔王一行の人間狩り」


 雲に覆われた空の下、駅は日影に包まれていた。


 スーツに身を包んだ男が、黒い髪を揺らして駅に足を踏み入れた。尖った耳に赤い目を持つ、二十代後半ほどの人物である。

 改札機にカードをかざせば軽い電子音が短く鳴るが、改札機の扉はすぐには開かない。


〈マギノス統治会より通達〉


 改札機から男性の声が聞こえてきた。


〈身体と魂のリンクを確認しました。当駅より先は搭乗者の安全のため、肉体と魂の分離および疑似魂の挿入を行います。衝撃に備えて改札機の取っ手を掴んでください〉


 スーツの男が指示通り改札機についている取っ手を掴んだ直後、彼の体に衝撃が走った。


 痛みはないが違和感が強く、誰かに体内をまさぐられる感覚に襲われる。取っ手を握る力が強くなった。

 続いて体内に何かを埋め込まれる感覚が走り、男の額から冷や汗が流れる。

 吐き気を催して口元を手で覆った。


〈分離と挿入が完了しました。魂はこちらで一時凍結保持いたします。それでは、良い旅を〉


 声が消えた瞬間、改札機の扉が開いた。


 男は小さく息をつき、額の汗を拭って立ち上がる。

 しわの寄った眉間を押さえ、ホーム内へと足を進めた。


 改札機を抜けると男のスーツが左右に歪んで、白いシャツと黒いズボンに変化する。

 続けて黒いコートが彼の身にまとわり、服の歪みは収まった。


 彼は駅のホームを歩き、先頭車両の停車位置まで行った。


『まもなく普通電車が到着いたします。なお当駅に到着する普通電車は、これより先は「壊掃電車」となります。お乗り間違いのないよう、くれぐれもお気をつけください』


 天井に取り付けられた機械から構内アナウンスの女性の声が放たれ、朝の冷たい空気を通り過ぎていく。


 甲高い摩擦音を鳴らして電車が駅のホームに到着し、車内にいた者たちが大量に外に出てくる。

 乗客の波を流す電車から、女性の声が聞こえてきた。


『これより先は国の結界の外、危険特区となっております。会員以外のお客様はお乗りにならないようにお気をつけください』


 先ほどの構内アナウンスの声とは違うものの、注意喚起をするその声色はどちらも冷たく無機質なものである。


『壊掃電車は全七両編成。先頭の一両目、中間の四両目、最後尾の七両目はターゲッティング対象となっております。その車両には指定会員のみ乗車可能です。通常会員の方々は二、三、五、六両目にご乗車ください』


 下車する乗客の波が収まり、続いて乗車する者たちの波が生まれる。

 スーツの男は案内する女性の声を聞き流し、先頭車両に足を踏み入れた。


 一両目は一番前に扉がなく、車両の後ろからでないと入れないようになっている。

 しかもその車両だけ異様に長く広い。


 座席は横向きに並んでおり、茶色い枠に包まれて質の良い赤い座面が埋まっていた。


『緊急の際は、各車両床に設置された帰還装置をお使いください。通常会員の方がターゲッティング対象車両に乗車するなど、当社が想定する範囲を超えた行動を行った場合は死の道に進むことをご覚悟ください』


 淡々と流れる声を浴びながら男は席に目もくれず、前に向かって歩いていく。


『なお。当社は発車後いかなる場合においても、皆様の安全の保証・命の保証は一切いたしません。それでは、ご武運を』


 ブチッと声が消えて電車が発車し始め、一両目の席に座っていた茶髪の男が鼻で笑った。


「相変わらず淡々としてるねー」


 二十代前半ほどの若い男で、尖った両耳に銀のイヤーカフを着けている。赤い目は鋭い瞳孔が覗いていた。


「機械種は私たちに何の感情も抱いていないからね」


 隣の席に座る女が呆れるようにして言葉を放った。

 茶髪の男と同じ歳くらいで、短い金髪に紫の目を持っている。

 スリッドのある黒い修道服を着ていて黒いブーツを履いていた。


 彼女の組んだ足がスリッドから覗くが、茶髪の男はそっちには目もくれず後ろから来る人物へ視線を向ける。

 先ほどの黒髪の男が、二人の横を通り過ぎていった。


「上がったらちゃんと扉閉めろよ、魔王様」


 茶髪の男が席から顔を出して、通り過ぎた彼の背中に声をかける。


 「魔王」と呼ばれた彼は、振り返らないまま歩きながら軽く手を振った。


 魔王は、一両目の一番前までくると天井の扉に手を伸ばして開ける。

 走行中の冷たい風が容赦なく車内に流れてきた。

 そのまま屋根を掴み、上に跳び乗って外に出た。


 走行中で強い向かい風が体に突き刺さる。

 しかし彼は体勢を崩すことなく、扉を閉めて屋根の上を歩いた。


 一両目の屋根上には、装飾の施された玉座が一つ設けられていた。

 彼は、風を受けながらその玉座に向かう。


 電車の屋根からは、国の景色がよく見える。その国を覆うように、巨大な薄黄色の結界が張られていた。

 その結界の先には広い高原が続いているが、結界が途切れる地点で線路は途絶えていた。

 そこに電車は突き進んでいるのである。


 風を切って進む車両は、結界を超えて線路を失うとガタッと揺れて――止まることなく進み続けた。


 いったいどうやって進んでいるのかは不明だが、何もない高原を電車は変わらず真っ直ぐ闊歩する。


 男は、風を受けながら屋根の上の玉座に座った。

 瞬間、玉座の下に魔方陣が浮かび、電車全体に薄い青色の結界のようなものが張られた。


 結界が張られた途端、先ほどまで車内にも聞こえていた走行音や風の音、揺れがなくなる。


「さて……世界の宿敵、人間退治に行きますか」


 車内の茶髪の男は、遠くに数体ある巨大な白い石像に向かって口角を上げた。


 遠くでもしっかり大きいと視認できるほどのソレは、高原に異様にそびえ立つ、彼らにとって害悪の象徴となるものだった。



 世界には様々な種族が生息している。

 皆がそれぞれに魔力を持ち、長い年月のなか多くの種族が領地や権力の主張をし、和平や対立や戦を繰り返していた。


 しかし、ある日それは急激に変化する。


 その原因となったのは、それまで生息していた既存の生物とは異なる、新たな種族の誕生だった。


 世界の生命体たちは最初こそ、新しい種族を疎ましく思いながらも衝突する他種族が一つ増えたという程度の認識だった。


 だが、その新種族は他の種族と違い知能を持たず唸り、ただひたすらに他の生命体を食らうバケモノだった。


 新種族は見境なく様々な種族の者たちを喰らい、惨状を作り出していく。

 やがて世界の全ての生命体が共通してその新種を敵として認識し、いつしか種族間で手を取り合いその新種を殲滅する道を目指した。


 「神」のお告げを受けた天使族の巫女が、その新種族の名を世に知らしめた。


 天啓に従い、この世界の生命体たちはそのバケモノたちを――「人間」と呼んだ。


「人間は猛獣だ。私たちを食らったらその味を覚えてしまう」


 電車に揺られながら、金髪の女、ファンファニフは窓枠に頬杖をつく。


 外の景色を魅せる窓ガラスに美麗な顔が映るが、その表情は不機嫌そうである。


 機嫌の悪い彼女を見て茶髪の男、レドッグは苦笑いする。


「味を覚えられたら街に侵攻しかねないから。極力食われないように全力で戦わなきゃいけない、サラリーマンは辛いよ」


 彼が大袈裟に辛そうなポーズを取り、ファンファニフは小さくため息をついた。


「それ以外にも食われたら死ぬほど痛いってのがあるでしょ」

「実際に死ぬしね」


 レドッグが笑って言えば、「いや笑い事じゃないでしょ」と彼女は呆れて指摘した。


「でも大丈夫でしょ。なんたって俺らには、魔王様がいるんだし」


 レドッグが顔を天井の方に向け、それにつられてファンファニフも視線だけを上にあげる。


 屋根の上で玉座に座るのは、ヴェンデル・スレイズ。

 この世界で最も強いとされる、魔王だった。


「そろそろ勇者の魔術射程圏内に入るぞ。気を付けろ」


 ヴェンデルが発した言葉は、外では風でかき消される。

 しかしなぜか、電車の中には車内アナウンスのようにはっきりと響いていた。


 少しの間が空いて、近くの地面にレーザーが放たれ車両が大きく揺れる。


「結界で外のものは遮断してるのにこの揺れ……やっぱり勇者は侮れないわね」


 ファンファニフは窓の外を見て眉を寄せた。

 レドッグも同じように外へ視線を移す。


「おうおう。勇者様のお出ましだぜ」


 先ほどは遠くに見えていた複数体の巨大な石像が、気づけばすぐ近くまで来ていた。


 その人型の巨大な石像は、石像と言っても動くことができる「生命体」である。


 二足歩行で速度は遅いものの歩幅は大きく、一歩一歩が大地を揺るがすもの。


 それは破壊を目的として他の生命体に攻撃を仕掛けてくる。


 この世界に突如として現れ始めた物体であり、『戦士』と呼ばれる人間の一種である。


 戦士の中でも、体内に迷宮を持つ石像がいる。

 彼らは『勇者』と呼ばれ、その体内の迷宮には人間たちが巣食っている。


 勇者が現れると内部で人間が生み出され、生成された人間が外に放たれて国々を襲う。


 それを討伐するために、ヴェンデルたちの乗るこの「壊掃電車」が作られた。


 国を走る電車は終点まで行くと、壊掃電車となり国の結界を抜ける。

 結界の先は安全の保証されていない危険特区と呼ばれており、人間がはびこる無法地帯である。


 壊掃電車に乗って人間たちを討伐する者たちは皆、マギノス統治会という企業に雇われた会社員、「掃除屋」である。


 マギノス統治会はどんな場合においても、掃除屋の安全の保証・命の保証は一切しない、過酷な仕事だった。


 人間族は思考や感情を持たず、また魔力も持たない。

 物理的な肉弾戦のみだが、戦士や勇者はその巨体の一撃で何人も屠っていく。


 中でも勇者は魔力を持っており、その射程範囲内に入れば電車に向かって魔術攻撃が放たれる。

 それを防ぐための結界を張っているのが、ヴェンデルが座る玉座である。


 近づけば近づくほど、石像の大きさが異常だと認識させられる。

 ヴェンデルたちがいくら重なったところで、その石像の胸元にすら届かないだろう。


「ひょー、相変わらずでっけーのな」

「子供みたいにはしゃぐんじゃないわよ。そうやって油断している奴から死んでくのよ」


 窓にへばりついているレドッグに呆れながらファンファニフは立ち上がった。


 後ろの扉に向かい腰元で手を開く。

 すると、彼女の手元に灰色の巨大な斧が現れた。


「お前その武器、趣味悪いからやめろって言ってんだろー。なんだよソレ、なんで刀身に目玉埋め込まれてんの。近距離特化なのにバレルが付いてる意味もわからねえし」


 石像からレーザーが電車に向かって放たれ続け小刻みに揺れるなか、レドッグは苦い顔をしてファンファニフの斧に不満をこぼした。


 斧の巨大な刀身の中央には穴が空いており、そこに赤い目玉が一つ埋め込まれている。


 しかもその目玉は、前にも後にも虹彩がある。二つの目玉が一つに合体したものだった。


 そして灰色の柄の先、斧の刃に付属するように大きな筒、銃のバレルが施されている。

 それに連動するものなのか、柄の側面にレバー式のトリガーのようなものが付いていた。


「この目玉は同時に全方位へ視線を巡らせられる。魔術で視界を私と同一化してるから、背後の攻撃も察知できるようになってるのよ。便利だわ」

「便利性を追求して気持ち悪さが生まれてるぞ」


 武器に目玉という異質な物体を、ファンファニフは便利の一言で片付けた。


「バレルはアレよ。近接戦闘武器で遠距離武器要素を兼ね備えているのは、いわゆるロマンでしょう。この武器をくれたルチラル博士が言ってた」

「ルチラル博士っていやあ、実用性と効率重視なデザイン無考慮の武器工じゃねーか。お前その武器で本当にいいのか?」

「別に、見た目はもう慣れたわ。それにヴェンデルもこれ便利で良いなって褒めてたし」


 ファンファニフは少し口元を綻ばせて付け加えた。すぐにその表情も消え、「それより」と言葉を続ける。


「アンタの武器の方が貧相じゃない?」

「ばっか。シンプルが一番なんだよ」


 レドッグは手元で黒いボルトアクションライフルを出現させる。


 ファンファニフの異様な武器とは違い、特に変哲のないもの。

 弾丸を射出する機能だけを持ったライフルである。


「多機能を追求しなくたって魔術で補填できるしな。コイツで遠くから敵を狙撃して味方の援護をする。全体の戦況を見るバランサーとして助かるって、ヴェンデルも言ってたしな」


 レドッグが煽るようにして言えば、ファンファニフは気に食わなかったのか口を尖らせた。


「しかも俺は剣も使えるから、俺は剣と銃の力を兼ね備えた男。実質、俺はその武器と一緒なのさ」


 自慢そうにするものの、レドッグは顎に手を当てて複雑そうな顔になりファンファニフの武器に目を移す。


「……いや。ソレと一緒ってのはさすがにちょっと嫌だな」

「何でよ。別にジャガーノートはそんな悪くないと思うんだけどなあ」


 ファンファニフは斧をジャガーノートと呼び、寂しげに刀身に指を這わせた。

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