= vorstellung: deines

夢乃陽鞠

ID ⅱ = 楽園について;

Minoris sign = 客星神話;

――人間という生き物は、「記憶」に支配されている。


 遙か古の時代のこと、世界がまだ二つであった頃、吹き荒ぶ嵐は幾つもの国々・人々を消滅へ至らしめ、終ぞ此の星の麗しき外殻を再生することのない渇きの大地へと変容させた。斯様な災は総て原罪持ちたる人間の仕業であり、神のみに許されしわざに因る、則ち超高温内での核融合――ヘリウム原子核発生時のエネルギーの放出や人工的に発生させた地震等々である。

 但し、奇妙なことであるがこれら災の発生要因を特定することは当時から現在に至るまで叶うことはなく、宛ら魔術的な作用により科学的ないし自然的現象を誘発したのではないかと取り沙汰されていた記録が残されている。ては其の起源とされるのが曾て極東(※当時の世界地図基準)に存在したという、各大陸から孤立した島国であったようだが、真偽は一切不明である。

 唯一判然としている事実は、人間は決して神の領域へと踏み込んではならず、無思慮に知識を追求すべきではなく、特定の領域に於いて不知による神性を保護しなければならなかった、ということだ。


――人間は夢を見る。何故か、記憶を持つ故にだ。すなわち、懐旧の夜話に今もなお固執していることもまた、記憶に因るのである。


 総てのアレテ人が差別主義者という訳でもなく、ステノ人にも正当な人権を与えるべきだと主張する者は少しずつ数を増してゆき、遂にはそれを獲得するに至る。これを一般的に『黒白の革命』と呼び、これはそれ以前に一度だけ確認されたという怪奇現象『黒白の客星』に由来する。

 黒白の客星とは、本来は有り得ないこと――夜明けと同時に灰色に包まれていた世界は静止画のような、宛ら超新星爆発のような燿きを放つ星彩を描画した――が暫し観測された彼の現象に付けられた名称である。斯の現象は、何の因果か『エリスの霹靂』の終戦と同時に発生したと言われており、現在では当現象を題材とした幼児向けの童謡・絵本として『夜明けの魔法』という作品名で書店にも並んでいる。然しながら、当時の空を収めた映像も写真も残っているわけではないため、世間では創作上の出来事ないし戦争によるストレスが引き起こした集団幻覚だったのではないかというのが通説である。尤も、どの仮説も不可解な点は拭えぬことに変わりはないのだが。


――朧に切り抜かれた記憶は歪に意識としての立ち位置を奪取し、微かに現実であった過去を変異させている。当然のことだ、記憶とは薄れ往くものであり忘却は私たちに備わった重要な防衛機能なのだから。僅かに覚える虚無などは瑣末事さまつじである。


 然りとて、黒白の客星は現実へ確かに発生したことを我々は知っている。彼の現象を齎した理論、神の理論を知らぬだけで、確かに斯の現象は実現したのである。かるが故に、我々は一般的に識られる宇宙法則に反するような秘匿されし動力を解明し、人類の発展へと転用することを使命とする。曾て「恐ろしきもの」の名を冠した国家は、当にの秘された特定の人間が持つ能力について研究し続けていたのであり、其の成果を我々は獲得している。


――だというのに、生物はどこまでも欲求からは逃れ難く、しこうして残酷なまでに〝論理的〟なのである。無論、無機的論理のことなどではない、有機的論理についての見解であることは論を俟たない。


 見窄みすぼらしい恰好の男が物語る、男の言葉を傾聴する大人たちと困惑する子供――僕たちは其処にいた。僕たちは選ばれた子らであるという、神に選ばれた子供だという。かつての人類が持ちえた能力を再現するための礎、そのための供物となることを栄誉であると僕らは教えられる。両親は粛々と聖堂において彼の言葉のままに動く、人形のように従順に迷いなく規則的に。

 僕たちはただそれだけのために産み落とされた子供たちで、僕らの存在価値は他には無かった。そんな定められた存在理由に抗うことがどうしてできようか、できるはずなどなかったのに、僕はどうしてかそれが許せなかったらしい。

 どうやったのかは覚えていないけれど、僕は我武者羅に逃げて逃げて逃げ続けた、汚泥に塗れて食物を盗み飢えを凌ぎ続けた。幸いというべきか、僕は生まれつき身体は丈夫で足が速いから今まで捕まることはなかった。それに、この国の人間は平和ボケしているから物乞いするだけで簡単に食べ物が貰えるのだ。でも、こんな子供がいるとこいつらは勝手に同情して勝手に通報して保護してもらおうなんて考える。僕は怖かったはずだ、捕まればもう一度あの場所に帰ることになると思い込んでいたのだろうから。お陰で幾度も追いかけまわされて、最終的にはある家屋に逃げ込んだんだけど、そこで出くわしてしまった子供が色々あって僕の姉となった女の子だった。

 大雑把な説明にはなるけれど、こうして僕はいま、新たな家族とともに生きている。あそこにいた子供たち、大人たち、父と母がどうなったのかなんて興味もなかった。

 僕は運が良かっただけで、他の子供たちはきっと捕まったのだろう。でも、そんなことはどうでもいい、友達でも何でもない、ただ境遇が同じだった子供がどうなろうと自分が助かったのだからそれでいい。結局、この世界で生きる限り禍福なんてものは運任せでしかない、どれだけ抗おうと最後には認知できない運が全てを決めるんだ。

 だったら、これは僕の運命と呼べるのか、それとも――


 そういえば、昔から元両親はよく神話を語り聞かせていた。それは『夜明けの魔法』と似ているようで少し異なる、小難しくて残酷で、しかし美しいお伽噺のようなものだった気がする。もう、内容は覚えてはいないけれど、気持ちだけは憶えている。

 ああ、明日は試験だからもう寝なければ。きっと姉は寝坊するから僕がしっかりしないといけない、身長はまだまだ追いつかないけど勉強ならもう負けないはずだから。

 ふと呟く。「早く大人になれたらいいのにな」って。


 ――夜明けとともに失われた記憶たちは、これより先の現象に立ち現れることはないのだろう。霧散する記憶、秘匿された記憶、保管された記憶――この記憶はどのように真に私のものであることを証明するのだろう。そんな思考さえ消えて、箱庭の日常は繰り返される。


   *


 ――夢を見ていた

「階下で物音がしたような……野良猫でも入り込んだのかしら」

 これは、「僕」が生まれた日のことだ。

「あら……パパとママ、もう帰ってきたのかしら」

 この身に「しるし」の刻まれた日の記憶であることを理解しながら、僕は二人の幼子を観ている。切羽詰まった子供に対して、その家の子供はあまりに不用心で暢気なものだった。何より、異常なほどのお人好しだった。

「あなたは誰、もしかして泥棒さん?」

 病的なまでの白髪と白皙を持つ子供と、お人好しで健康的な宍色ししいろと黒髪を持つ子供が見つめ合っている姿、未だに消えない恥ずかしさが俄かに浮かび上がる。何せこの頃の僕と言えば野生児のように野蛮で野卑であったから、他者という存在を誰一人として信用していなかったから、何よりも自分以外の存在が怖ろしかったから、僕は思わず手近にあった包丁を握って彼女に飛び掛かったんだ。言葉にもならない叫び声を上げながら。

 ところが僕は迷ってしまった。もしもこの子を殺してしまえば、もう戻れないという事実に気づいていたから。だから、子供なりに僕は自分の言葉で彼女と交渉しようとしたんだ。

「何言ってるのかわからないよ! もう、怪我したらどうする気なの、離しなさい」

 僕らの言葉はあまりにも異質で古臭いから、当然言葉は通じなかった。あの頃の愚鈍な僕にはそんなことさえ解らなかった。間抜けなことに、白髪の子供は自分の身体がいかに不健康で貧相であるかを考えておらず、歳上で健康的である彼女には力で及ばず返り討ちに遭った。その際、黒髪の子供の腕に包丁が触れ怪我をさせてしまったのだが、彼女は歯牙にもかけず僕の眼をじっと見つめて笑った。白い子供は今まで他人の笑顔というものをまともに見たことがなかったから知らなかったが、それは少なくとも敵意を含むものではないことが感ぜられた。

「うーん、流石に通じないか。ちょっと乱暴だけどしょうがないよね」

 前言撤回だ、この時の僕はある意味敵意を感じまくっていたし、実際僕は柱に縛り付けられてしまったんだ。絶対に口にはしないが、あの時は本当に怖くて泣きそうだった。というのも、突然黒髪の子供は包丁を持ち去って料理を始めたからだ。

 ああ、これから自分は切り刻まれて食べられてしまうのだと本気で思っていた。

「待って許して!」

 情けなく泣いて叫んで訴えると、穏やかな笑顔で言う。

「ちょっと待っててね。ママより美味しいものは作れないけれど、すぐに用意してあげるから――ちょっと静かにしようか?」

 思わず頷いていた。

 決して表情を崩さないまま包丁を光らせる様は、殺人鬼のそれに近い。言葉は通じないはずなのに当時の僕は直感的に喋ってはいけないことを理解して黙ることにした。情けなさ過ぎて恥ずかしいというよりは呆れてしまうけれど、仕方ないと言えば仕方ないんだ。僕の姉は普段はぼんやりとしているのに、本気で怒るとお母さんに負けないくらい恐ろしいんだ。

「よーし、できたからもうちょっと待っててね」

 暫く経って、かぐわしい匂いを知覚して空腹が増してゆき、間抜けな「ぐ~」といった音が聞こえたと思ったら、彼女は微笑んでしゃがみ込んでいた。

「ほら、食べさせてあげるからじっとしていて。このフリカッセ、私の得意料理なのよ」

 逡巡はあったが、長くは続かなかった。それほどまでに、空腹というものは耐え難いものであることを痛感して僕は大人しく口を開いた。きっとこの国の人間には一生理解できないであろう苦痛――飢餓きが――の恐ろしさは一生忘れることはできないだろう。だって、僕が人前で泣いたのは赤子のよわい以降、これが初めてだったから――泣くことさえ無意味だと諦めていたから。

 ふと、「んえ?」と腑抜けた声がこの身から漏れた。

 食べ終えたのを確認すると、目の前の子供は言葉を発するわけでもなく、静かに泣き続ける僕の拘束を解いて、ゆっくりと、ぎゅっと抱きついていたんだ。初対面の子供をさも愛おしいかのように抱き、指先が傷んだ髪を撫でる彼女は天性のお人好しに違いない。汚れきった身体からは酷い臭いがしただろうに、本当に欠片も気にする素振りを見せないんだから。

 記憶なんて無いはずなのに、母親に抱かれるような不思議な心地だったと言うべきなのか、とにかく自分が確かにここに存在することを認めてもらえた気がしたんだ。でも、色々と解釈してみたところで行き着くのは、ただ心地好いという単純明快な感想でしかないんだ。

「ようしよし、いい子だね。いっぱい頑張ったんだから、もう休んでいいんだよ。私が何とかしてあげるから、任せてよ」

 僕はもう声なんて聞こえなくなっていた。喧しい、自分の泣き声だけが気づけば聴こえていたから。この夢を思い出す度、どれだけ背伸びしたところで、結局僕というのはこの程度の存在でしかないことを思い知らされるのだが、妙なことに悪い気なんてしなかった。だって、こんなことをされて、僕がこの子のことを好きにならないでいられるはずなんて、ないじゃないか。

「私の名前はセ、リ、オ、ンっていうのよ。あなたの名前、頑張って聞き取るから教えてほしいの」

「セリ、オン? わたし……みぉ、りす……ミオォリ、ス……?」

「あら、少しは言葉がわかるのね! よかった。えっと、ミオーリス、でいいのかしら」

「うああ、違う! 似てるけど何か違う!」と身振り手振りをまじえて、違和感を一生懸命に伝えている。いま思えば実にくだらない拘りだと思うけど、当時は名前こそがある意味で僕の全てでもあった。僕という人間を示す〈しるし〉であり、自己存在の正負を判じる函数かんすうでもあったのだから。僕の言っている意味くらい解るよね?

 さて、それから色々あって、僕はこの家の家族として迎えられることになる。家族となってからも大変なことはあったけれど、少なくともそれらは不幸なものではなかったと断言できる。あまりにも運が良くて、あまりにも恵まれすぎている家族との時間は、僕の重ねた不幸をより色濃くした。

 絶対に本人に言ってやらないけれど、僕は死ぬまでセレマ――姉さん――のことが大好きなんだろう。お父さんもお母さんも大好きで、お父さんのことは特に尊敬しているけれど、僕が本当に心を許せる相手は後にも先にもセレマだけだから。

 だから、僕は時々、どうしようもなく不安で堪らない。いつまでも情けない妹ではいられないのだと、これからは独りで多くの人間と多くの会話をして、沢山の勉強を重ねていかなければいけないのだと、将来のことを考えるだけで不安だった。

 だけれど、今は多分大丈夫だと思えるんだ。だって、この命の記憶が僕の裡に有る限り、僕は前に進めるはずだから……。



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