第5話 内偵

 あれから、毎週日曜に火野コーチからデートに誘われた。

 幸いきんいちさんも毎週ゴルフに出かけている。彼からは「登山に目覚めた」と思われているようだ。

 実際に登った八ヶ岳は気持ちよかったのだが、私の目的は火野さんと会うことにあった。


 今日もかんさんにメッセージを送って八ヶ岳へ登山に行ってもらうことになるのだが、二日前にコンビニエンスストアで買った缶コーヒーとサンドイッチのレシートを速達で送ってあり、昨日の時点で到着していたはずである。

 それを持って登山している間に火野さんから指定されたお店へ向かい、途中で黄色いリュックサックに入れていた服に着替えて、登山服を詰め直してコインロッカーに預けた。


さん、今日も綺麗ですね」

 今日のために新調したツーピースを着ている。

 今では欣一さんは服装について褒めてくれることもなくなった。

 いつからだろうか。夫が私に興味を示さなくなったのは。

 火野さんのグレーのポルシェに乗り込み、まずはブランチを堪能できるお店へ走り出した。


「ご主人の不倫の件、進展があったようですよ。うちのエージェントが相手の素性を調べ上げています」

 運転席でそう言うと、信号で停まっている間にダッシュボードから薄茶色の封筒を手渡してきた。


「この中にご主人の不倫相手が書かれています。読んでみてください」


 恐る恐る薄茶色の封筒からフォルダを取り出す。そこには「調査ファイル」と書かれていた。興信所を使ったのだろうか。でも「うちのエージェント」というくらいだから、火野さんの関係者かもしれない。それにしても手まわしのよさがやけに気になる。

 調査ファイルを開くと、最初のページには欣一さんと不倫している女性のツーショット写真が印刷されていた。それをめくると女性だけがアップで写っている画像がある。その下には「氏名:ゆう」とご丁寧にルビ付きで書かれていた。


「木根佑子さんというお名前なんですね」

 そのままファイルを読み進めていく。年齢は二十四歳で、三年前から欣一さんと不倫をしているようである。三年前のことをよく調べられたと驚いたほうがいいのか呆れたほうがいいのか。

 木根佑子さんは既婚者で、夫の名はまこと、三十六歳。妻の佑子さんとは、彼女が大学生だった四年前に結婚をしている。

 しかし彼女と寝たのは三年前が最後で、それ以来セックスレスの関係だという。よくもまあ他人の性行為の詳しい年月がわかるものだ。

 もし私がこの興信所に調べられていたら、なんと書かれるのだろうか。そんなもの、怖くてとても読みたくない。


 しかし、四年前に結婚して三年前からセックスレス、そして欣一さんとは三年前からの付き合いだ。ということは、欲求不満だった佑子さんの側から欣一さんに近づいた可能性もあるのか。

 欣一さんは誘惑に強いほうだとは思えない。私との結婚だって、私と寝たことがきっかけとなって彼からプロポーズしてきたくらいだ。だから佑子さんからモーションをかけられたら、退くよりも刺激を求めにいった可能性が高い。

 やはり「男の不倫は浮気」なのだろうか。とすれば火野さんが私に興味を持っているのも、体目当ての浮気なのかもしれない。それにしては手が込みすぎているような気もするのだが。


 欣一さんは淡白なほうだけど、新しく若い女性が自分に興味を持ってくれれば俄然やる気が湧いてくるのかもしれない。

 私は二十八歳で佑子さんより四歳年上である。これなどは一般的に見て誤差の範囲だと思うのだが、毎日見飽きた妻の顔よりも、週に一、二度会う関係のほうが新鮮に映るのだろうか。


 思索から抜け出し、再びファイルを読み進めていく。よく使うラブホテルの名前と部屋番号から、よく用いる体位までもが克明に記されている。ラブホテルと部屋が割れているのであれば、監視カメラを取り付けるのもわけなく行なえるのだろう。このあたりに年中マンネリの欣一さんのクセが現れているといってよい。そのせいで自らの性癖すら暴露されることになったのだが。


 薄茶色の封筒の中には小さなmicroSDカードが入っていた。火野さんは私がそれに気づいたのを見ていたようだ。


「その中にご主人と不倫相手の木根佑子さんとの性行為の動画ファイルが入っています。仮に今ご主人が離婚を訴えてきても、それがあれば離婚の非はご主人にあることが誰の目にも明らかです。もしもに備えて、たいせつに保管しておいてください」


 事もなげに言ってのける。私にはその神経が理解できなかった。

 自分の亭主が他人と致している動画を持たされた妻の心境を考えたことがあるのだろうか。

 滅入る気を持ち直して、ファイルの続きを読んでみる。夫である木根誠さんがセックスレスに陥ったのは、何者かにより薬を飲まされたからかもしれない、と報告されている。薬を盛られたというの? 一般人にはとても考えつかない発想だ。これもプロの興信所であればつかむことができるのだろうか。これでは日本には存在しない探偵よりもたちが悪いではないか。

 人の秘密をあばき立てるだけ暴いて、あとはどうなろうと知ったことではない。秘密を暴露することで対価を受け取るのがプロというものなのだろうか。だからこの情報にもそれなりのしんぴょうせいはあるはずだ。誰かが木根誠さんを不能にした。それが誰なのかはわからない。しかしその人物が木根佑子さんを手に入れなければ薬を盛った意味もなくなってしまう。

 すると現在木根佑子さんの性のはけ口になっている欣一さんが最も怪しく感じられる。だがあの欣一さんがそこまでやるだろうか。今でも週に二回は私を抱いてくれているのだ。完全に興味を失ったわけではない。あくまでも新鮮な刺激を求めて、ようえんな誘いをかける佑子さんに引き寄せられただけではないのか。


「この木根誠さんですが、薬を盛られたというのは本当なんでしょうか?」

 交差点で停車しているとき、火野さんに聞いてみた。


「それまでは精力絶倫で毎晩奥さんを可愛がっていたようですが、あるときを境に佑子さんとはセックスレスになっているようですね。薬を盛られでもしないとつじつまが合わないのは確かです」


 私の身近で、こんな非現実的なことが行なわれていることに今さらながら戦慄を覚えた。



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