第21話 姫君、覚悟を決める
『御味方壊滅』
もたらされた最悪の報せに、気丈な義母上の顔も青ざめる。
おそらく私の顔は、もっと酷い色になっているだろう。
留守居の家老が、敵が攻め込んでくるのを防ぐべく、残された兵を領内に配置するよう指示を出している姿を、呆然と見ていた私を叱咤したのは、やはり義母上だった。
私たちにただただ狼狽えているだけの時間は無い。私は義母上の指示のもと、これから帰還してくるであろう負傷した兵たちのために、薬師や医術の心得のあるものを城内に片っ端から集め、薬草や治療に必要な道具を準備し、負傷者を寝かせられるスペースを作った。
慌ただしく動きながらも、最悪の想像が頭をよぎるが、必死に振り払う。
(虎樹丸だって無事に生まれた。史実は変えられる。泰久様はきっと逃げ切ってくるはず)
ひたすら侍女たちと動き回り、泰久様の帰りを待った。
伝令から一刻程経った頃、義父上と主だった家来衆を中心に、まとまった兵が城に帰還した。疲労の色は濃いが、大きな怪我をしている者は少ない。
「北上の若造にやられた」
義父上が苦々しく吐き捨てる。家老らも皆、怒りをあらわに手ぬぐいや杯を地面に叩きつける。
北上の異母兄は、御影の忠告を聞かず、突っ走った挙句、敵の真っ只中に御影軍、更には己の兵まで置き捨てて逃げ去ったという。大名家の当主として、武士として、いや、人として許される行為ではない。
もはや北上に対する信頼は完全に無くなった。御影家だけでは無く、従属する他の家も、北上を見限っていくだろう。
しかし、今の私には、北上が自業自得で滅ぼうが、全くもってどうでもよい。
帰還した家来衆の中に、姿の見えない泰久様のことをひたすら目で探した。
義父上はそんな私をじっと見ると、静かに告げた。
「与三郎は
ああ、史実は変えられなかったのか。夢の中の『鶴姫』が言ったとおりになってしまったのか。
地面が揺れる気がして、立っていられない。思わずふらつく私を、琴殿が支えてくれた。
「奥方様、しっかりなさいまし。若殿は殿を務めておられるのですから、遅くなるでしょうがお戻りになられます」
「お鶴!貴女は御影の嫁なのですから、もっとしっかりなさい!」
「……そうでした。申し訳ございませぬ」
琴殿と義母上に叱咤される。
二人もそれぞれ、夫と息子が戻っていないのだ。私ばかりが不幸に浸っているわけにはいかない。
第一、泰久様を信じて待つと言っておきながら、自分の情けなさに嫌気がさす。
北上の者に対する、家来らの冷たい視線を気づかぬようにし、有無を言わせず、傷口を洗い、生薬を塗り込み、裂いた布で作った包帯を巻く。
時間が経つにつれ、帰還する兵の傷は徐々に重くなっていく。
日常生活で見たこともないほど、深く抉れた傷は、思わず目を背けたくなる。
「奥方様、無理しないでくださいませ」と琴殿が気を使ってくれるが、今、御影家の人間として、私ができる仕事を放棄するわけにはいかない。
何より、目の前の仕事に没頭することで、余計な想像をしなくて良いということもあった。
さらに夜も更け、最早戻ってくる兵も少なくなってきたが、泰久様がお戻りになる気配は無く、泰久様を見たという者も現れなくなった。
「討ち取られたという話も聞かぬゆえ、まだどこかにいるのかもしれん」
義父上も流石に憔悴した様子で呟く。
「あの又七様がついておられるのですから、きっと生きておられます」
そう言う琴殿の顔には、いつもの微笑みは無く、自分自身に言い聞かせているようだった。
今日は新月で月が出ていない。真っ暗な戦国の夜、篝火だけが城を照らしている。
(どうか、どうか、お戻りください)とただひたすらに祈り続けた。
◇◇◇◇
重く張り詰めた空気の中、どれ程経っただろうか。
俄かに城門の方角が騒がしくなった気がして、顔を上げる。
義父上や義母上も、じっとそちらの方角を睨んでいる。
「申し上げます‼」
若い兵が飛び込んできた。
「若殿、生熊又七郎様とご帰城なさいました」
待ちに待ったその報に、礼儀も何も考えられず、誰よりも先に、裸足のまま飛び出した。
わき目も振らず廊下を走り抜けると、只ならぬ喧騒と、人混みが目に入った。
「早く戸板を持て、お乗せして運ぶぞ!」「あまり動かすな」「薬師を早う!」
その嫌な雰囲気に、足が突然ブレーキをかける。
「与三郎!」
立ち竦んだ私の後ろから義父母が到着すると、人混みが割れる。
そこに泰久様がいた。
整った顔は人形のように白く、返り血なのか、自分の血か分からないが、赤く染まっている。
鎧の下の着物は黒地だから目立たないが、所々色が濃くなっており、破れたところからは痛々しい傷が見える。
そして肩には、槍先だろうか。鈍く光る金属が貫通したままになっている。
生きておられるのかすら分からない。あまりの惨状に呆然となる。
「早く部屋に運べ!」
義父上の声に、家臣らが急いで泰久様の乗った戸板を持ち上げる。我に返って、泰久様に駆け寄ろうとした時だった。
「若殿に近づくな!北上の女が!」
鋭い声が響き渡った。
発したのはまだ少年のような年頃の兵だった。頭に包帯を巻き、顔や手にも傷を負っている様子のその少年は、憎悪むき出しの顔で私を真っすぐに睨んでいる。
「貴様ら北上のせいで我らはどれほど死んでいると思っているのか。若殿たちを次々殺して、挙句今度は与三郎様か。我らは貴様らの奴隷ではない!」
窘めようとする声が上がる一方、その少年と同じ目で私を睨んでいる家臣は、決して少なくない。
鈍い私でもハッキリと感じられる。これは敵意や悪意というレベルではない。
初めてぶつけられる、明確な『殺意』にたじろぐ。
「無礼であるぞ!控えよ!」
「お鶴、行きますよ」
義父上と義母上に庇われ、泰久様の運ばれた座敷に共に向かう。
義父も義母も私を責めるようなことは何も言わないし、そのような方々ではないことは良く知っている。
だが、私は確信していた。あれ程の憎しみは、最早誰にも止められない。北上家の人間として、すべて私が受け止めるほかないのかもしれない。
『鶴姫』が命をもって受け止めたように。
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