Alleluia MOEluia BLuia!ペッカトゥルム・エッセ・ニーヴェム

PAULA0125

「八日雪」

 昨日まで晴れていたのに、空が泣いている。

 涙は柔らかく、冷たいのに温もりすら感じるが、その涙を運んでくる風は、頬をひっぱたいて、咎めてくる。

「………。」

 静かに、静かに祈りを捧げる。それは国民のためではなく、ただ死者のために。

 遠くから反戦デモの声が聞こえてきて、それと同時に、未だ帰天できない―――否や、帰天しようとしない魂が、寄る辺を失って集まってくる。

「うん、うん。大丈夫だ。ここに奴らは来ない。ここには慰めしかないよ。」

 一人一人の涙を拭って、自分の涙は呑み込む。それは別に特別なことではない。千年以上前から、両国に自分の信者なかまがいる時は、こうして土地を行き来して、死者の悲しみや無念の話を聞く。こういう時、自分が人間を模した存在であってよかったと思う。信仰があるところ、普く現れることが出来る自分たちは、現地の時間に合わせて、一瞬で移動できるからだ。

 降り注ぐ炎が、涙を凍らせた朝を思い出す。

 罪を濯ぐ炎が、光を消した夜を思い出す。

 遠くから反戦デモが聞こえてくる。この教会でも、核兵器廃絶運動の呼びかけや、平和運動の行進なんかのビラが置かれている。

 自分はそれに、『日本のカトリック教会として』参加しなければならないが、心底そんなものは形骸化していると思っている。

「お前のせいじゃないよ、俺は怒ってない。神に裁きを祈りもしない。」

 ゆるすことは神の専売特許だから、教会自分にはそんなことは出来ない。

 この国を「見つけた」時、ザビエルと感動のあまり、「無原罪の御宿りに捧げる」と、そう言ったのだっけ。

 この国は聖母に何かしらの細かい縁がある。世界で1番酷い迫害を受けたこともあったし、奇跡のような再会もあった。

 だからこそ、「この日」は、特に、日本に居るのが辛い。夏が 一番生者がうるさく、冬が一番、死者が断罪を求めて集ってくる。

 永遠の滅びが救いになる―――。

 それほどに美しい良心を活かせる世界にならないのは、とどのつまり、宗教自分達の限界なのだろうか。どれほど教皇パパさまと世界に発信しても、彼らに届くことがないのは。

「こんにちは。」

 教会の中で、たくさんの魂と語らっていると、敷地の外から声が届いた。窓の外を見てみると、幼い子供が入口に立っている。

 その姿は、オカルティストであったとしても、悲鳴を上げるほどひどいものだった。そう言った存在が来ることはままあるが、その子供は今まで来たことがなかった。おそらく新しく『思い出された』か、それか、この80年余り、さまよい続けていたかのどちらかだろう。

 すぐに、どういう死に方をしたのか分かったので、急いで司祭館を飛び出して、会いに行った。自分のところに慰めを求めてきていた魂たちのいくつかが、一緒についてくる。

 子供は、教会の神父が出てきたことに気づき、不安そうな―――否、涙を堪えようと耐えていることを知られていないか不安そうな、そんな顔で、まっすぐ見上げてきた。

「いもうとが、おなかをすかせて、なけないんです。ごはんをください。」

 子供は、手を小さな椀にして、上下に動かした。どうやら、妹がどういう状態なのか、そもそも自分がどういう状態なのか、分かっていないのだろう。

「坊主。今のご時世、教会は施しはやってないんだ。来年からは、もう一カ月早くおいで。お前さんと妹と家族の為に、祈りの会が催されるから」

「おねがいします、ごはんをください。」

「………。そうだな、お前はお祈りより、ごはんがいいよな。ちょっとおいで。今から炊いてあげる。」

「たく?」

「白米。どうせなら、白い握り飯がいいだろ?」

 そういうと、子供はわあわあと泣き出した。そして、

「ぼくのもください、ぼくのもください。」「おねがいします、おねがいします。」

 そういって、弱弱しく膝を折り、土下座なのか、力が入らないだけなのか、顔を伏せて泣いた。

「もちろんだ。これから夕飯だから、もしいるなら、友達も家族も呼んでおいで。何ならお土産も持たせてやる。俺はここにずっとここにいるから。」

 どこにも逃げずに、ここにいる。

 どこにも行かずに、ここにいる。

 誰もが来ずとも、ここにいたのだ。

 誰かが来るなら、どこに行こうか。

 子供は動きそうになかったので、ひょいと抱え上げる。霊なるものだからとかそういうことではなく、子供の身体は軽い。瘦せているからだ。このには、食べ物も愛も何もかもが足りていない。

「お父ちゃんとお母ちゃんはどうした? 坊主。」

「わかんない…。」

「そうか。ならお土産持ってこうな。たくさん握り飯握ってやるからな。」

 子供は、崩れた顔を更に崩して、べろべろと泣いた。


 子供の存在が気になるのか、ある種の統一されていた霊たちは、部屋で散り散りになって、一部は居心地が悪そうだ。自炊用の炊飯器一台では足りなさそうだったので、炊き出しの時に使う炊飯器も持ってきた。子供は、他の霊を気にして小さくなっている。それと同時に、見たことのない機械に興味津々のようだった。30分ほどして、彼らも食べられる飯になると、居心地が悪そうだった霊も次々と寄ってきた。

 夕飯にするには、外は明るすぎるが、彼らを呼び集めて、号令をかけた。

「さあ、『夕飯』にするぞ。握り飯の形がいいか? 香食こうじきだけで十分か?」

 すると霊たちは、口々に、握り飯の形がいいと言った。「ニギリメシってなんだ」と言っていた霊たちにも、彼らは握り飯の意味について教えている。

 とてもおいしくて甘いんだ。貧民には食べられない高価な飯なんだ。塩だけで味付けをするシンプルな料理だ。

 盛り上がっているうちに、人間でも食べられるレベルに炊きあがったので、炊飯器を次々と開けた。白米の価値を知っているものも知らないものも、炊飯器の中を覗き込む。

 学び舎の雪の光よりも光り輝く白米に、多くの霊が涙した。餓え渇いて死んだ者たちには変わりない。そのままでも十分彼らには食べられる代物だが、こういうものは形も大事だ。

 人間ならば熱くて冷ますところを、素手で手を突っ込み、綺麗な三角に握ってやる。白米が炊飯器にまだまだたくさんあることを理解しているからか、先ほど大泣きした子供に譲ってやっている。子供はぺこんと頭を下げて、一番最初に握られた握り飯を『取って』食べた。

「お、行儀いいな。待ってな、秒で作ってやるからよ。」

 部屋の中の霊が増えているような気もするが、きちんと並んでいる。そして一つずつ『取って』、食べている。初めてニギリメシを食べるメンツも、この世に生まれ落ちてからこの方食べたことのなかったメンツも、ぼろぼろ目から透明な米粒を零して食べている。

「そんなに感動するんなら、もっと早く作ってやればよかったな。これからは一日三食、『夕食』にするか。」

 問いかけてみたが、誰も答えることは出来なかった。握り飯を食べて、満足し、もはやそこには誰もいなかったからである。



 雪が降る、雪が降る。しんしんと雪が降る。ぼろぼろと、熱い雪が降る。


 無原罪の聖母マリア、未だ天に帰らぬ霊を護り給え。


 今日は御身の恩寵を記念する日。

 雪よ、吸え吸え、罵声を吸え。反戦の大義に酔う彼らを赦したまえ。

 今は唯、鎮魂の祈りのために。ただの鎮魂の祈りのために。

 日本海も太平洋も、丸ごといだきて、死者の眠りを護り給え。


 願わくは、夏の悲劇を担わされた我等の兄弟を、冬の地獄に付き合わされた我らの姉妹を、そして彼等を護れなかった我を赦し給え。

 今日は12月8日。『開戦の日』。

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