第4話 ベルイット辺境領へ

星歴899年 5月18日 午後14時00分

アーセルト王都 神殿地下牢


 俺が高等学士(元の世界で高校生)だと知ったフィアは、書籍を差し入れてくれるようになった。この世界の歴史書や、絵物語などいろいろだ。

 突然に召喚されて、何もわからなかった俺にとって、フィアが持って来る書籍は、大変にありがたかった。俺は、この世界や、アーセルト王国の成り立ち、地理、妖魔や周辺国との関係など、書籍から学んだ。


 フィアは、ギルク伯爵の奴隷だ。

 自由に牢を出入りできるのも、書籍を持ってきたのも、すべてギルク伯爵の計らいだった。そう、俺を鍛えることが、ギルク伯爵に課せられた王宮からの命令だ。


 だから、ギルク伯爵、自らも書籍を差し入れた。

「これを読め。初歩の魔導書だ。攻撃も治癒も魔法を習得しろ」

 さすがに驚いた。

 そして、ある可能性に気づき戦慄した。


 魔導書には、治癒魔法も記載されていた。

 初歩の書籍だけに、習得できる治癒魔法は擦り傷が治る程度のごく簡単なモノだけだ。しかし、傷が魔法を唱えるだけで治る。

 現代医学ではあり得ない奇跡だ。


 そう、智菜のことを思っていたのだ。


 昏睡状態のまま意識が戻らない智菜も、異世界の治癒魔法ならば!


 と、思ったのだ。

 そのためには、より高位の治癒魔法が必要だった。

 しかし、性格的に戦闘狂のギルク伯爵から得られる治癒魔法には、自ずと限界があった。切り傷など戦闘での負傷を癒す系統の治癒魔法しか、ないのだ。


「この世界について、もっと、知る必要があるな」

 俺は、魔導書を抱えて唸った。




星歴899年 5月20日 午前9時20分

アーセルト王都 城門広場


 俺をベルイット辺境領へ移送する。

 そう決まったのは、数日後のことだ。


 安全な王都にいては、獣人の俺を鍛えることなどできない。

 妖魔が跋扈する辺境領こそが、経験値稼ぎにはふさわしい。

 そういうことだ。


 ギルク辺境伯爵が率いる陣容は、なかなかのものだった。

 出立の朝、王都正門広場に揃ったのは、騎馬は二十騎、歩兵二百名、その他兵站などを担う荷馬車が五十両。


 ギルクをはじめとする辺境伯爵には、国境を守る役目の他に、ときおり王都に出向き、交代で王都の警備を行う役目も課されているらしい。

 戦争をするには全然、不足だが、旅行の随行としては物々しい。ギルク伯爵がこれだけの陣容を伴って、王都と領地を往復しているのには、そういう理由があるようだ。


「華やかな王都を離れるのは、ちょっと残念です」

 フィアはもの悲しげにいう。

「ベルイット辺境領には、街はないのか?」

「妖魔が出没する辺境に、住みたい人なんていませんよ」

 なるほど。

 フィアが話すには、ベルイット辺境領には住人はほとんどいない。ギルク伯爵が率いる軍団が詰める砦が、荒涼とした大地にぽつんとあるだけなのだ、と。



 ◇  ◇ 



星歴899年 6月4日 午前11時40分

ベルイット辺境領 ベルメト街道関門


 王都を出発して、2週間近くすぎていた。

 深い谷底を塞ぐ形で、石積みの城壁がそそり立っていた。

 ベルイット辺境領とアズト辺境領の境目にある関門だ。


「アズトも辺境領なんです。でも、まだ、住民がいて、小さな町があります。でも、ベルイット辺境領は、本当に僅かにしか人が住んでいません」

 フィアは、ため息混じりにいう。


 谷底を塞ぐ関門は、二重の城壁となっていた。そして、二枚の城壁の間に、関所が設けられていた。妖魔がアーセルト王国領内に侵入することを防ぐため、この関所で通行人を厳重に取り調べているそうだ。


「なるほど、これは厄介だな」

 俺は、深い谷底を完全にふさいだ城壁を見あげた。この関門を迂回して、ベルイット辺境領から逃げ出すことは不可能だと悟った。


「俺は、いつ、この世界から逃げ出すことができるのだろうか?」

 ひとりごちると、フィアがふんわり微笑んだ。

「あたしは、青藍せいらんともっと一緒にいたいな」

「おいおい」

 美少女にそう慕われるのは悪い気はしない。だが、俺は、勇者王太子の複アカであり、この世界の理からも違法な存在と否定されているはずだ。長居をしても、おそらく良いことはないだろう。


「ギルク伯爵は、俺を潰れるまでシゴキあげる気だろう」

 ギルク伯爵はけして愚鈍ではない。恫喝や暴力しか知らぬ愚か者ではない。もっと危険な存在、生粋の軍人だ。任務のためなら、ためらいなく殺戮を行うだろう。

 極めて危険なタイプの獣人だ。


「ギルク辺境伯爵は、殺人鬼です。だからこそ、妖魔がはびこり、誰も住もうとはしないベルイット辺境領に、砦守りとして留め置かれているのです」

 フィアは、声を潜めていう。


「ギルク辺境伯爵は、きっと、あたしに命じて――  青藍せいらんに恐ろしいことをさせるでしょう。すみません。あたしは、ギルク伯爵の命令語には逆らえない」

 フィアは旅の途中、何度も俺に詫びた。

 ギルク伯爵は、フィアを経由して、俺に残酷な戦いを命じるだろう。

 俺はフィアの奴隷であり、フィアはギルク伯爵の奴隷だからだ。この二重奴隷契約は、俺にはどうしようもなかった。

  


 ◇  ◇ 



星歴899年 6月6日 午後20時55分

ベルイット辺境領 ベルイット砦


 王都を出発して二週間が過ぎていた。

 ギルク辺境伯爵が率いる騎馬と歩兵の軍団は、最果ての地、ベルイット砦にたどり着いた。


 俺はまたしても地下牢に囚われた。

 フィアには、砦の中に建つ城館に居室を与えられたようだが、ときおりフィアは地下牢で俺とともに過ごすようになっていた。


 そして――


 その日を境に、俺は地獄のような日々に叩き込まれた。

 フィアが話したとおり、ギルク伯爵は恐ろしいことをさせた。

 たったひとりで妖魔の大群に飛び込み、全身を過ぎだらけにされながら、ひたすらに経験値を求めた。妖魔の群れを倒しまくった。経験値を稼ぎ尽くした。

 俺に、自由や安息はなかった。



 ◇  ◇



星歴899年 6月8日 午後15時10分

ベルイット辺境領 ベルイット砦 郊外


 

「フィア、獣人に戦えと命じろ」

 ギルク伯爵は、フィアに容赦なく命じた。


「も、もう、おやめください。 青藍せいらんを休ませて、くだ、さ……い」

 命令語を使われても、フィアは必死に抗っていた。


 しかし――


「も、だ、だめ……」

 フィアが苦しげにあえぎ、命令語奴隷の魔導に屈服してしまった。


「 戦って。 青藍せいらん 〈GO!〉」

 瞳から光が消えたフィアが、人形のように、すっと指さした。

 

「ああ、やってやるさ!」

 俺は、フィアの命令語を進んで受け入れた。

 血まみれになり、刃こぼれした魔装戦斧を担いだ。

 やってやる。フィアが命じるなら、やってやる。


 すっと、フィアが指し示す先には、巨大なブラッドベアがいた。紅く血の色をした熊に似た魔導生物が、牙を剥いていた。



 ◇  ◇


 

星歴899年 6月8日 午後19時35分

ベルイット辺境領 ベルイット砦


「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 ズタボロになった俺にすがり付いて、フィアが泣いていた。


 その日の午後、狩り倒したブラッドベアは3体。十分すぎる獲物だ。経験値も収穫できた。レベルも上がったようだ。

 俺は、3体目を魔装戦斧で切り払った直後、ぶっ倒れたらしい。


 そして、気がつけば、フィアが俺の傍で泣いていた。

「大丈夫だ。獣人は頑丈だからな」

 俺は、もふもふしっぽで、フィアを撫でた。


 同時に、俺の中では、ギルク伯爵のもとから、いかにして逃れるか? という命題が浮上していた。

 そう、ギルク伯爵は生粋の軍人だ。それも政治的な駆け引きも、人道上の配慮も、自軍の兵士に対する温情も、一切ない。優秀だが、ただの殺人鬼というべき軍人だった。


 フィアをいつまでのギルク辺境伯爵の奴隷にしておくのは、危険すぎる。

 俺は、そう、認識していた。


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