第3話 獣人と少女の身の上話

星歴899年 5月16日 午前8時20分

アーセルト王都 神殿地下牢


 神殿での召喚と奴隷魔導の儀式が終わると、フィアは手当てのため魔導薬師のもとへ連れて行かれた。俺は、神殿の中庭で頭から水を浴びせられ、血を洗い流した。

 いくら大柄のオオカミ系獣人だとしても、大雑把すぎる扱いだ。


 その後は、神殿地下の牢獄に連れて行かれた。

 薄暗くて、かび臭い。しかも狭い。いや、獣人の俺がデカすぎるのかも知れない。


 首輪に、手足には鎖という屈辱的な扱いに、俺はふてくされていた。

 すると、フィアが地下牢を尋ねてきた。


「あ、あの…… すみません」


 薄暗い地下牢、鉄格子の向こうから少女の声が呼んだ。振り向くと、清楚な騎士服姿のフィアがいた。

 ギルク伯爵は確かにブタ野郎だが、俺という獣人戦士の奴隷主となったフィアには、奴隷服ではなく、騎士服を与えていた。

 後で思い知ることになるが、ギルク伯爵は軍人なのだ。

 俺とフィアを、ただの奴隷ではなく、妖魔と戦う兵器と見なしていた。


「あ、あの、あたしもここへ入ってもいいですか?」

 フィアは看守役の兵士に、牢の扉を開けさせ、自ら俺の隣に座った。

 

「おい、いいのか?」

 俺が問うと、フィアは白銀の髪を揺らした。薄暗い地下牢の中では、クォータエルフの白銀の髪は、不思議と輝いて見える。


「いいんです。あたしが獣人様を奴隷にしたんですから、そばにいたいんです」

「襲うかも知れないぞ」

 俺は、がぉっ! と牙をむいて見せた。


「そんなこと、しないって知ってます」

 フィアは平然とふんわりと微笑んだ。


「あたし、相手がどんな人なのか、見たらわかるんです。間違えることもあるけど、でも、獣人様は大丈夫ってわかります」

 他人の資質を見抜く能力か?

 少し驚いたが、その表情を見る限り、フィアは自身の能力に自信があるらしい。


「まいったな」

 俺は、ふさふさしっぽをフィアへ差し出した。

「あったかいです」

 フィアをしっぽで包んだ。



 ◇  ◇



 その後は、薄暗い地下牢で、お互いに身の上話をした。


「あたしは、フィア。クォータエルフです。両親とか故郷とか…… 何も覚えていません。数年前に、ギルク辺境伯爵の奴隷になりました。それ以前の記憶は何もないんです」

 フィアはどこか寂しげに話した。


「あのブタ野郎の仕業か? ギルク伯爵がフィアの記憶を奪ったのか?」

 俺は苦々しく吐き捨てたが、フィアは首を振った。

「わからないんです」

 フィアがいうには、ギルク伯爵のもとで小間使いのような仕事をしていたらしい。

 そして、勇者王太子の身代わりを召喚する儀式に合わせて、ギルク伯爵とともに王都に来ていた。


「異世界から王太子殿下の身代わりを召喚すると聞いていました。その身代わり獣人を鍛えあげよと命令を、王宮から受けたと……」

 ギルク伯爵は、あのとき、俺の抵抗に手を焼き、苦り切った顔をしていた。


「獣人様がこんなに大きくて強いとは予想外だったらしくて、小間使いのクオータエルフのあたしを使うことにしたんです」

 フィアは、すっと立ちあがると、再び、「ごめんなさい」と頭を下げた。


「いいんだ。ブタ野郎の奴隷になるつもりはないが、キミの奴隷になら…… そう思ったんだ」

 俺は、しっぽでフィアを撫でた。

 フィアは、俺のふさふさしっぽを両腕に抱き、頬ずりした。


 それから、しっぽで気持ちが落ち着いたのか、フィアがはあっと大きな息をした。

 青い瞳に何か決心めいたものが揺れた。


「あ、あの、見て欲しいのものがあって……」

 と、フィアが俺の眼の前で、衣服の胸元をはだけた。


「えっ!? あ、ちょっと」

 どぎまぎしかけた。

 フィアは、恥じらいながら、少しだけ胸の間をはだけてみせた。


 俺は―― フィアの胸元にある魔導の紋様を見て、急速に心が冷えるのを感じていた。そう、フィアの胸元にも、〈死の楔〉が打たれていたのだ。


「あたしたち、こんな運命も一緒、みたいです」

 フィアは、あの不思議と透明な笑顔を揺らした。



 ◇  ◇



 次は俺の番だった。

碧海あおみ青藍せいらん。高校1年生だった」

 「高校」という単語に小首をかしげるフィアに気づいて、言いなおす。


「高等学校の1年生、勉強をする身分だ」

「あ、凄いです。獣人様は、強いだけじゃなくて、学士様だったのですか。それなら、ギルク伯爵の血では魔導力が足りなかったわけですね」

 合点がいったと両手を叩くフィアの表情が、ぱっと輝いて、俺は少し照れた。


 だから、いまのうちにはっきり言わなければいけないと思った。

「俺は、元の世界に帰りたい」

 フィアは小さくうなずいた。


「元の世界には、眠ったまま意識が戻らない幼馴染の女の子が待っているんだ」

 フィアの瞳が微かに揺れた。

 だが、続けた。


 智菜が待っている。

 俺は、智菜のもとに帰らなければならない。


 異世界に召喚されて、獣人に変えられ、死の楔の魔導を受けた。そして、少女が願う奴隷の魔導を受け入れた。

 突然の出来事からの混乱が落ち着くと、元の世界に残してきた幼馴染の智菜のことが、俺の心を支配していた。



 ◇  ◇



 俺と智菜は、幼稚園以来の幼馴染。小学校も、中学校もずっと一緒だった。

 だが、高校に進学して間もなく、智菜は水難事故に遭った。

 帰宅途中、前が見えないほどの集中豪雨の最中に、用水路に転落したのだ。

 住宅地の中を流れる用水路は、ちょろちょろと水が流れる小川にすぎない。だが、突然の雷雨で水かさが増していた。雷が苦手な智菜は、おそらく走って帰宅を急ぎ、用水路に誤って転落した。


 俺が傍にいたら、こんなことにはならなかった。


 水泳部で個人メドレーの選手だった俺が、あの日、智菜と一緒に下校していたら、溺れていた智菜を必ず助けられたはずだ。

 だが、俺は部活動のちょっとした雑用で、下校時間が遅れた。


 小さな偶然が、俺からすべてを、智菜を奪った。  

 

 智菜は、救出されたが、意識は戻らなかった。

 それから、約1カ月、俺は毎日、病室で眠り続ける智菜のもとに通っていた。高校生生活は始まったばかりだった。俺は、眠り続ける智菜の傍で泣いていた。


 そして、今朝のことだ。

 俺は、登校途中に寄り道をした。住宅地を見下ろす村社にお参りに行った。

 もう、神頼みしかなかった。


 智菜を助けてください。

 智菜ともう一度会わせてください。

 智菜を救える力がほしい。 と。


 異世界からの突然の召喚は、この直後だった。

 参道を引き返し、鳥居をくぐると同時に、激しい眩暈に襲われた。


 すべてが真っ白に輝く景色を抜けた後、俺は召喚陣の真ん中でオオカミ獣人の姿に変えられて、鎖に縛られていた。


「そう、だったのですか。獣人様には大切な方がいらっしゃるんですね」

 フィアが、しゅんとなって、つぶやく。


「だが、いまはフィアが俺の主だ。俺のことは、青藍せいらんと呼んでくれ」

「はい。青藍せいらん

 俺は、しっぽでフィアを撫でた。


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