ハンター・イン・ザ・スクール アナザー・ミッション

しノ

和泥合水のフレンド・シップ

「天原ってさ、片瀬と仲いいよな」

 そう言われて、ミコトは黒く大きな瞳をぱちぱちとまたたかせてから。 

「ああ。片瀬は俺の友達だ」

 表情を変えずに――いつもと比較すれば、若干、口元を少しばかり緩ませて、それだけ答えた。

「ゆーて、片瀬って『友達』多くね?なーんか広く浅くって感じで」

「友人が多い事は、素晴らしいことだ」

「まあな? でもさー、いっつもニコニコしてて、誰にでも優しく接してるし、ちょっと気持ち悪くね?」

「……なぜ?」

 先ほどから刺のある言い方をするクラスメイトに、ミコトは眉をひそめた。

「絵にかいたような優等生って感じでさ、逆に裏がありそうっていうかさぁ。なんとなく、信用できないんだよな。誰が何言ってもニコニコ笑って流されるだけじゃん?」

 確かにこの男が言う通り、片瀬はいつも笑顔を浮かべ、周囲に隔てなく接している。

「――なんか、気持ち悪くね?」

 その言葉が先ほどの話とは結び付かず、ミコトは眉間にしわを寄せた。

「……君の言葉の真意が、わからない」

 わからない、が。

(人格者であるのに、片瀬をよく思っていない人間がいる、ということはこの数日でわかった)

 片瀬はクラスでも慕われていて、他の学年の生徒からも信頼され、教師たちからも一目置かれている。

 成績も優秀で、所属している陸上部でも、走高跳の選手として活躍している。

「…………」

 だが、彼はそれを鼻にかけることもなく、常に謙虚な態度を取っている。

 にもかかわらず、まれにこうして片瀬の陰口めいた話がミコトの耳に届くことが何度かあった。

「……君は、片瀬を貶めるために俺に話しかけてきたのだろうか」

 そうミコトが率直に訊くと、そのクラスメイトは気まずそうな顔をしてから、すこし苦笑すると、その場から立ち去った。

(不思議なものだな。攻撃されているわけでもなく、むしろ好意的に接されているのに、それを快く思わない人間が居るというのは……)

 ミコトが斜め前の席に視線をやると、いつもと変わらない調子で、片瀬はクラスメイトと談笑していた。

(……聞こえているはずの距離なのに、表情一つ崩さないのか。……少し、心配になる)

 片瀬の変わらぬ笑顔に、ミコトは眉をひそめた。

(君は、俺とは違うふつうの高校生なのに)

 そう胸の内だけでつぶやいて、ミコトは窓の外に視線を移した。



「天原ー。中庭行くよ」

「? なぜだ? 次は美術の授業だろう。美術室では?」

「今日は美術室じゃなくて、外で写生するんだってさ」

「む。そういうことなら急ごう。教えてくれてありがとう。片瀬」

「うん。じゃあ、行こうか。筆箱と、スケッチブック忘れないようにね?」

「ああ。分かってる」

(この学校には随分慣れてきたが……やはり、まだまだ知らないことが多いな)

 ミコトは内心で呟きつつ、写生に必要な道具一式を持って、教室を出た。


「写生とは何をするんだ?」

「んーっと、簡単に言えば絵だよ。風景とか見て描くんだよ。今日の課題は『中庭で見つけた花』だって」

 周囲を見渡しつつ、片瀬が言った。ミコトも習って、きょろきょろと花を探し始める。

 情操教育の一環として、白華学園では様々な植物が植えられていたり、魚の棲む池がある。そのため、写生や観察など、自然に触れる授業が定期的に行われていた。

「花か。それは、なかなか難しそうだ。俺はあまり絵を描いたことがない……」

「天原は相変わらず真面目なんだね。普通はみんな、適当に描くんだよ」

「そうなのか? だが、マニュアルには授業は真面目に受けろと書かれている」

「そうだね。天原の言う通りだ。だけど、別に完璧を求めなくてもいいと思うよ。絵って、抽象的なものだしさ。天原が見えたものを、そのまま描けば良いんじゃないかな」

「そのまま……」

「まぁ、あくまで俺の意見だし参考程度に留めておくのが良いかもしれないけどね。――この辺なら、たくさん花あるし、ちょうどいいかな」

 マリーゴールド、パンジー、ポピー……様々な花が咲いている花壇だ。ミコトも以前、ここで花壇の清掃を手伝った覚えがあった。

「じゃあ俺は……あのオレンジの花を描こうかな。天原は?」

「む……ではあの花を描こう。ケシの花によく似ている」

 そう言ってさしたのは、白いポピーの花だった。

「ケシの花……あったらヤバいけど、確かにアレって似てるよね……」

「ケシの現在の市場価格はわからないが、それなりの値段がつくはずだ。知り合いの独自のルートを知っているから、片瀬が薬物売買に興味があれば、俺が手配しよう」

 そうミコトが言うと、片瀬は目を丸くしてから吹き出した。

「ぷっ……あはははっ! 天原の冗談って面白いよね。真面目な顔して言うから、なんか本気みたいだよ」

「? 何を言っている? 俺は本気で言ったのだが……それに、今のはジョークではないぞ。麻薬は金になる」

「そうだね。ふふっ……天原は本当に面白いよ」

 肩を震わせて笑い続ける片瀬にミコトは肩をすくめて、白いポピーの花に向き合った。

 片瀬も習ってスケッチブックを開き、シャープペンシルを手に取る。

「片瀬はいつもそのシャープペンシルを使っているな」

「うん。中学の部活の後輩に誕プレで貰ったんだ。使いやすいから、ずっと使ってるんだよね」

「なるほど。片瀬は慕われているのだな。君は優しいから、下の者からも好かれているんだろう」

 ミコトの言葉を聞いて、片瀬は頭を掻いた。

「そうでもないって……。俺はただ単に先輩ってだけだし」

「そんなことは無いだろう。現に、俺だって君が居なければ、俺は今頃この学校に馴染んでいなかっただろうし」

「え、そんな大げさな」

「いいや。俺は少し特殊な環境で育ってきたせいか、普通の学生生活というモノに疎い。だから、片瀬が色々と教えてくれて本当に助かっている」

「………」

 片瀬は居心地悪そうにスケッチブックに視線を落としてから、苦笑を一つ。

「天原って、天然っぽいところあるよね……」

「ん?それはどういう意味だろうか」

「天然記念物だから貴重ってこと」

 片瀬はそう言って、またいつもの微笑をたたえた。

「……よく分からないが、そういうものか」

 片瀬の言葉の意味も、真意も分からないが。ミコトはそれ以上の追及をやめた。


 しばらく絵を黙々と描いていると、一人の男子生徒が現れる。

「片瀬ー、悪いけどシャーペン貸してくんねー? 鉛筆の芯おれちった」

「ああ。いいよ。もう一本あるし」

 使っていたシャープペンシルを片瀬は男子生徒に手渡しているのをミコトは横目で見つつ、鉛筆を走らせる。

「サンキュー」

「どういたしまして」

「終わったらすぐ返す!悪いなー」

 そう言うなり、男子生徒はそのままスケッチブックを持ってその場を離れた。


「そろそろ描き終えるとこだけど、天原はどんな感じかな」

 授業ものこり一五分ほど。描き終えた様子でスケッチブックを閉じた片瀬がミコトに声をかける。

 ミコトは一点――先ほどの男子生徒の向かって行った方向を見つめていた。

「ああ。もう少しで終わりそうだが……」

 ミコトはそこで言葉を区切る。

「どうかした?」

「……」

「お、おい。天原!?急に立ち上がってどこに行くんだ!!」

「少し様子を見てくる――……あそこには、……花があまり生えていなかったはず……」

 ブツブツ呟きながら、ミコトは池の方へ走り出した。片瀬が止める暇もなく、あっという間に見えなくなってしまう。

「あ、天原!?」

 ミコトの姿を見失わないように、片瀬は慌てて彼の後を追った。



「あ、天原……や、やっと追いついた……ぜぇ……げほっ……」

「大丈夫か、片瀬」

「いや……だいじょばない…」

「そうか」

「天原は全然平気そう……だね。ていうか、どうしたんだよ突然」

 池のほとりまでやってきたミコトは、へらへら笑っている男子生徒をするどく睨みつけている。

「悪い片瀬、お前のシャーペン落としちゃった。池にさ。後輩から貰った大事なやつなんだろ? ホントごめんなー」

 わざとらしく言う男子生徒の手には、確かに片瀬が貸したシャープペンシルはない。

 それを見て、片瀬は一瞬黙ってから、また笑顔を繕って答える。

「あはは……。別にいいよ。落としたなら仕方ないしな」

「そう言ってくれるとありがたい! マジでごめんなー?」

 にやにやしながら謝ってくる男子生徒の横を通り過ぎて、ミコトはずんずん池の方へ歩いていく。

「え、あ、天原?何するつもりだ?」

「君の大事な物だろう?」

「え、あ、いや、シャーペンくらい――ダメだって! 天原!」

 片瀬ははっとして、ミコトを止めようとした――だが、時すでに遅し・

 そのまま――ミコトはいきなり池の中へ飛び込んだ!

「ちょっ、嘘だろ!? あいつマジ!?」

「天原! 危ないよ、その池、深いんだから!」

 片瀬が叫ぶも、既にミコトは池の中に潜って行ってしまった。


(……水が濁っていて、視界があまり良くないな。それにしても汚い水だ、尾蝶会長に報告せねば)

 ミコトはそんなことを考えながら、どんどん深くまで沈んで行く。そして、ついに底にたどり着いた。

(あれだ。片瀬のシャープペンシル)

 ミコトは、岩の上に落ちていた片瀬が使っているもであろうシャープペンシルを見つける。それを拾い上げると、水面に向かって泳ぎ始めた。

「ぷは……はぁ……片瀬、このシャープペンシルで間違いないだろうか」

 ミコトは水面に出て呼吸を整えると、手に持っていたシャープペンシルを片手に持って掲げる。

 すると、片瀬はぽかんとした表情のまま固まってしまった。

「ちがうのか? なら、もう一度……」

 もう一度、潜ろうとするミコトに片瀬は我に返って慌て始める。

「そ、そんな事より早く上がって! 天原!」

「問題ない。俺は鍛えている。水中に潜る事も――」

「そういうことじゃない! いいから上がってこいよ!」

「む。分かった」

 素直に従うと、ミコトは池から上がって片瀬の元に歩み寄った。

 頭からつま先までずぶぬれだったが、しっかりと手にはシャープペンシルが握られている。

 片瀬はミコトが上がって来るなりミコトの体をぺたぺた触り始めた。

「怪我してないかっ? 痛いとことかは?」

「ああ。大丈夫だ。特に異常は無い」

「良かった……。でも、なんであんな無茶したんだよ!下手したら死んでただろ!?」

「問題ない。アマゾン川と比較したら、この池は浅い方だ」

「はァ!? アマゾン川と比較する時点でおかしいだろ!!」

 さきほどから珍しく声を張り上げる片瀬に、ミコトは目を丸くした。

 表情もいつもの優し気なものとはちがい、眉を吊り上げ眉間にしわを寄せている。明らかに――。

「……君が怒っているのを、初めて見た」

 ミコトがそう言うと、片瀬ははっとして、ばつの悪そうな顔をしてからため息を一つ。

「……とにかく、天原が無事だったからよかったけど、もう二度とこういう事はしないでよ。そんな、シャーペンくらいで……」

「……すまない。片瀬が大事そうにしていたから、なんとか取り返したかった」

「……天原……」

 ミコトが幾分か反省した様子でそう告げると、片瀬はそれ以上何も言わなかった。

「俺は愚かな行いをしたが、このシャープペンシルはお前にとって大切なものだ。だから受け取ってくれ。すまなかった」

「……ありがとう。天原」

 片瀬は、差し出されたシャープペンシルを受け取る。

「ところで、さきほどの生徒は何処に行った?片瀬に謝罪するまで池に沈めておくつもりだったんだが」

「そ、それはやめてほしいけど……もう戻ったんじゃないかな。多分だけど」

「そうか……。では、俺達も戻るとするか」

 ミコトはそう言うと、池の近くに置いておいたスケッチブックと鉛筆を持って歩き出した。その後ろ姿を見ながら、片瀬はぼそりと言う。

「天原って……ホントに変な奴だな……俺には……ないよ…………ヤツだ……」

「ん?」

「いーえ。なんでもありませんよーっと……」

「なんだ? よく聞こえなかったが……」

 不思議そうに首を傾げるミコトを見て、片瀬は苦笑いを浮かべる。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――

おまけ


「まじまじギブぐぶ……!」

 水面に上がってこようとする頭を、ミコトは足で容赦なく沈める。

「片瀬に謝罪する気になったか?」

「はあ!?だからそんなもんしら……ごぼぼぼぼ!!!」

 総て言い終える前に、ミコトはまた頭を水中に押し込んだ。ぼこぼこと水面には空気の泡が上がってくる。

「まだ反省が足りないようだな。もう少し池に沈めておこう」

「ごべばばば!!!」

「俺が軍にいたときは、よく上官にこうして水に落とされた」

「げほっ、がほっ……」

 一瞬だけ顔を上げる事に成功した男子生徒の顔は、死屍累々としている。ミコトは表情を変えず、また足を振り上げた。

「どうした?息ができないのか?安心しろ。――すぐに楽にしてやる」

「うわあああ! 天原ストップ! それシャレにならないから! ホント死ぬから! 死んじゃうから!」

「……。仕方ない」

ミコトが片手で池から男子生徒を引きずり上げると、げほげほと水を吐いている彼を容赦なく立たせ――。

「これで勘弁しておいてやろう。片瀬に感謝する事だな」

 男子生徒の腹にするどくえぐり込む一発。無論、彼は白目を剥いて気絶してしまった。

「よし。こいつは茂みの中に隠しておこう。あとで先生に叱られるといい」

(か、過激すぎるだろ……。まあ、天原らしいっちゃ天原らしいか)

 片瀬はその光景を見なかったことにし、ミコトと一緒に校舎の中へ戻って行った。

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