GHOST BLOOD

佐伯 寂

PROLOGUE - 1997

 ――1997年、アメリカ。


 イリノイ州最大の都市、シカゴ。眠らぬ夜の摩天楼に駆動音が鳴り響く。ネイキッドバイクに乗った黒スーツの男は、懐から無線機を取り出した。

「アルバート・クーパーから情報部へ。ノースニアーサイドに到着。SEHNERVセネーフによる追跡はどうなってる?」

「目標は現場から北上。1ブロック先のLトレイン駅へと向かっている」

「電車で撒くつもりか……!」

 道路上に建てられた鉄骨の高架下へと入り込み、バイクが勢い良く止まる。ヘルメットを脱ぐと、黒い髪が風に靡いた。目の前に見えるのは、高架上に建てられた小さな駅舎だ。そして、フードを深く被った男が道行く人々を突き飛ばしながら駅の階段を駆け上っていくのが見えた。

「目標を捕捉した!」

 アルバートと名乗ったスーツの男は懐から拳銃を取り出し、後を追った。駅の古びた扉を開け、改札ゲートのポールを飛び越えると電車が近付いてくる音が聞こえ、ターゲットがこちらに気が付き振り向いた。アルバートは、銃口を向け声を荒らげる。

DCC霊能対策局だ! 民間人は悪魔に近付かず避難を!」

「捜査官め……!」

 金属の軋む音。電車の起こした風は、男のフードを脱がした。男の瞳は真っ赤に染まっており、肌は鱗のようにザラザラとしていた。顔には返り血が付いており歯は獣のように鋭い。

 その姿は正しく人間ならざる者――強い霊力を伴った死者及び負の念が実態を伴った怪物、だった。

 通行人達は突然の状況に騒然として距離を取る。その時、平坦なアナウンスと共にドアが開いた。男は後退りして倒れ込むように車内に入ると、先頭車両へ一目散に逃げ出した。

「チッ……間の悪い……!」

 アルバートも後を追い、電車内は阿鼻叫喚となる。撃てば足止め出来るが巻き添えのリスクが高い。彼には追う以外の選択肢は無かった。

「クソッ……クソクソクソ! このまま逃げ切れると思ったのによお!」

 肥大し岩のように硬化した腕はスピードを伴い連結部のドアを破壊する。鉄製のドアがプレス機にでもかかったようにぺしゃんこに潰れた。その様子を見た乗客達は次々に電車から逃げ出していった。

「無茶苦茶やりやがる……!」

 電車が発進する。どうやら、先頭車両にはまだ何も伝わっていないようだ。しかし、アルバートは順調に悪魔へとの距離を詰めていく。

 もう少しで追い付かれると思った悪魔はこちらを振り向き、焦りながら辺りを見渡した。すると、酔っ払いかホームレスらしきダウンジャケットを着た老人が、電車の座席で横になっているのが見えた。

 悪魔は咄嗟にその老人の首根っこを掴むと、盾にするようにアルバートの方へと掲げた。

「そ、それ以上近付くとこいつを殺すぞ!」

 灰の髭を蓄え、ハンチング帽を深く被ったその老人は叫ばない。アルバートはその様子を見て拳銃を構える手を緩めると、一言呟いた。

「間に合ったか……」

「はあ?何言って」

 鮮血が飛び散る。

「ん だ」

 悪魔は、首元に鋭い感触を覚えた。恐る恐る目線を横に向けると、その老人の手にはナイフが握られており――頸動脈をばっさりと切っていた。

老人はナイフを振り切ると、そのまま心臓を一突きした。ナイフの血を振り払い、老人の顔はアルバートの方へと向く。

「上手く行ったな」

 その声は老人と言うにはもう少し若く聞こえたが、酒焼けしたようにしゃがれていた。アルバートは首に手を起き、疲弊の表情を見せる。

「駅に入られた時はどうなるかと」

「都市部の辛い所だな」

 彼は中年らしい呻きを上げながらその場に屈むと、悪魔の服に手を突っ込んで何かを取り出した。

「それに取り憑いてたのか」

「みたいだな」

 鈍色に光るそれはロケットペンダントだった。中にあったのは美しい女性の写真。持ち主の妻だろうか。

「事情は知らねえが、人間らしい程穢れちまうもんだな」

 淡白な声でそう言うとペンダントの蓋を閉じ、無線機を取り出した。

「……こちらジム・ヘイウッド。クーパー捜査官と共に対象の排除に成功。ああ、待てよ……ここはどのラインだったか……」

 所々適当になりながらも報告が終わると、老人に扮していた中年の男は付け髭と帽子を外して肩を回した。無精髭と白髪の混じった雑なオールバックが顕になり、ダウンジャケットのジッパーを下ろした。その下は、アルバートと同じく黒いスーツを纏っていた。

「これで一件落着だな。腰が痛いぜ」

「それもジジイの再現か? 変装にしては気合を入れてるな」

「ハハハッ。こりゃ手厳しい」

 ジムは腰を労るように座席に座った。

「つか、アンタマジで酒臭いぞ……服にかけただけだよな?」

「ああ」

 ジムはそう言いながらスキットルに口を付けた。消毒液によく似た匂いがするが、一体中身は何なのか。アルバートは呆れとも安堵とも取れる溜息をつくと、ドアへもたれかかった。






「なんで毎回事件解決の度に書類が増えるのかねえ」

「今回は改札を飛び越えたのがまずかった」

 古びたスピーカーから流れるジャズ。傍らにはウィスキーのボトルと灰皿。ロックグラスの中で氷が琥珀色に揺れていた。その隣にカラカラと音を立てながらグラスが置かれる。ウィスキーのボトルを逆さにするが何も出ない。

「ワイルドターキーを」

 アルバートはこの酔っ払いが何杯飲んだのか数えるのをやめていた。毎度のことではあるのだが、今日は休日前なのを差し置いても特別だった。

「あんたとの仲も3年か……」

「お前は俺が育ててきた若手で一番優秀だった。だが可愛げも指導のしがいも一番無かったぞ」

 ジムは手の平を前に広げてケラケラと笑った。

「そりゃどうも」

 アルバート達は徐に煙草を咥える。小気味よい金属音を立てジッポを開けると、アルバートは煙草に火を付けジムにも差し出した。煙は古びた狭い店内に広がっていく。

「で、どこへ転勤なんだって」

「ワシントンだ」

 ジムは新たに置かれたウィスキーを注ぎながら答える。アルバートは少しだけ目を見開いた。

「本局か? この酔っ払いがかよ。正に猫の手も借りたいって感じだな」

「ハハ、言っとけ」

 軽く笑いあった後、アルバートはジムの方へグラスを掲げた。

「じゃあ改めて。俺達の未来に」

「俺達の未来と酒に」




 勘定を済ませ外に出ると、秋の夜らしく涼しかった。二人は狭い夜空を見上げ煙草に火を付ける。ジムはスキットルを開け、追い酒していた。

「ま、色々あったが……アルバート、お前は本当に優秀だ。これからも上手くやってけるだろ」

「そうなるといいが」

「なるだろうよ。レナードの奴にも見せてやりたいくらいさ」

「親父か……」

 アルバートの神妙な表情をして煙を吐いた。それを見たジムの顔からは、笑みが消えていく。

 正面へ向き直り、宙を見つめた。お互い表情は見えなくなったが、その張り詰めた様子から十分に察せられた。

「アルバート。レヴェナントのことを追うのはもうやめておけ」

 アルバートの目は暗く、煙草の先端から煙が登る様子をただじっと見ていた。

「……アンタに言われるとはな」

だよ」

 人通りも少なくなり、遠くで車やバイクが通り抜ける音だけが街に響く。いつの間にか、アルバートの手元から灰が零れ落ちた。

「……ま、お前なら大丈夫だろう。ちょっと固くなりすぎたな」

 ジムはアルバートの肩を叩く。酒豪で名の知れた彼でも流石に酔っ払っているのか、あまり加減出来ていない。アルバートは驚いて一瞬目を見開き、ジムを睨みつけた。

「痛えな」

「悪魔の不意打ちはこんなもんじゃ済まねえぞ。ってことでまあ、お前は晴れて後輩の世話に回る訳だ。その歳でとは中々認められてるな。まあ、ワーカホリックも程々にしとけよ」

 煙草の火を靴で揉み消すと、スキットルをグイッと飲み干してアルバートの前に拳を出した。

「元気でやれよ、相棒」

「ああ」

 二人は拳を突き合わせ、各々の帰路へと歩く。お互い、振り返ることは無かった。

 夜のネオンが煙草の煙を妖しく照らす。アルバートの瞳の奥は暗く燃えていた。


 Federal Bureau of Demonology & Curse Control 、――通称、DCC霊能対策局

 捜査官達は悪魔を追う。

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