死にたい

夕日ゆうや

死生観(言葉不足があるかもですがよろしくお願いします)

 死にたい。

 死んだら楽になる。

 本当に?

 この意識は死ねば消えるのだろうか?

 死んでも構わない。

 そう思っていた。

 僕が死んだらみんなどう思うのだろう?

 きっと迷惑に思うに違いない。

 テレビで報道されて、すぐに流れて消えていく。

 僕の死はお茶の間のいっときの娯楽にすぎないのだ。

 じゃあ、僕が生きてきた意味は? 生まれてきた意味は? 苦しんできた意味はなんだったんだ。

 死にたいほどの苦しい思いをして、そこまでして生きてきた僕の意味は。


 産まれた者はいずれ死ぬ。

 それはこの世のことわり、真理。

 じゃあ、早く死ぬのと遅く死ぬのはどうしてだろう?

 結果は変わらないというのに。

 世間一般では早死には不幸とされる。でもそれは本当なのだろうか?

 早死にすれば、それだけ他の人の心を動かす。

 悲しみを、切なさを、苦しみを……。

 きっと早死にするからと言って幸せじゃないと決めつけるのは偏見なのかもしれない。

 それでも生きたいと願った人は未練を残し死んでいく。

 死んだ人がたくさんの人に囲まれ、悲しんで祈り、追悼する。

 それだけ多くの人が悲しめば、それだけ多くの人の心を動かしてきた証拠でもある。

 そこに幸せがあるのかもしれない。

 悲しんでくれる人がいる。それがその人の生きた証なのかもしれない。

 長く生きた者。短く生きた者。

 その境界線は、長く生きれば生きるほど、幸せになれるチャンスがあるということかもしれない。


 だから僕たちは生きていく。

 死にたいと願っても、それを叶えてくれる人はいない。

 死ぬのは怖いと知っているから、僕は生きていられる。

 生きていれば幸せになるチャンスも多くなる。

 そのために生きる。

 自分の幸せを求めて。


 死ぬことを考えてから当たり前とも思える生きることへの祝福を感じた。生きたものは世界を構築してきた。建物も、プログラムも、薬も、娯楽も、衣食住も。

 すべては生きとし生けるもののやってきたことである。

 だから全てのものに感謝を。

 何もないが当たり前。何かあるのが祝福かもしれない。


 そして死を意識した僕は、他人の死をとむらうようになっていた。

 本当の悲しみを知る僕たちは、不幸な人を幸せにするために生きている。

 様々な困難を、悲しみを、人の痛みを知る僕だからこそ――。

 人を幸せにしたい。


 もう二度と、僕のような人間を生み出さないために。


 だから、みなに幸あれ。

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