田舎に帰るので、思い出ひとつください

風月那夜

第1話 黒田

「黒田さん、本当に? 考え直さない?」

「いえ、田舎に帰らないといけませんので」

「……。そっか、残念だよ。君の真面目な所は高く評価してたからさ」

「ありがとうございます。では来月末で退職しますので、お願いします」


 分かったよ、としぶしぶ頷く部長に背を向けて会議室を出る。


 大学を卒業して5年働いた会社は、良い会社だった。人間関係も悪くなく、出来ればまだ勤め続けたいと思うほど。


 だけど田舎にいる祖母が私に帰って来て欲しいと頼むのだ。

 田舎にいるのは祖母と父の二人だけ。母は3年前に癌で亡くなった。家のことは祖母が一人でしているのだが、『足腰にガタがきてもうちっとも動けん』と連絡があった。


 それで先週末に久しぶりに田舎に帰ると家の中はグッチャグチャ。この有り様は何かと問う前に父に『早よ、片付けろ』と顎を向けられた。


 祖母は布団で横になり、起き上がるのも辛いようでしきりに『ごめんの、ごめんの』と言っていたのが頭の中でずっと繰り返されている。


「はあ」

「どうした?」


 大きなため息をついた私の横に先輩社員の三ノ宮さんのみやさんが立つ。


「いえ」


 何でもありません、そう返しながら横をちらりと見上げる。

 皺ひとつない紺色のスーツ。ネクタイは水色。薄い唇に、長い睫毛。アーモンドみたいな瞳。今日も変わらず格好いい。それは表情には出さないが、かれこれ4年はこっそりと片思いを続けていた。

 だが三ノ宮さんに声を掛けられることも、顔を見れることもあと1ヶ月半で終わりかと思えば名残惜しさが募りそうだ。


「何でもないって顔じゃないけど? あ、社内で言えないなら、……飲み行くか?」


 ――なにそれ、お誘いですか!? めっちゃ嬉しいんですけど。最後のご褒美ですか? 餞別ですか!?


「黒田?」

「……の、飲みって……、三ノ宮さんが飲みたいだけでしょう」


 ――うわ、可愛くない返しをしてしまった。三ノ宮さんの気分を害していたらどうしよう。


「あ、バレたか? いや、今月まだ5回しか飲み行ってないんだよ」

「それ、3日に1回行ってるじゃないですか」

「少ないだろ?」


 ――え? 少ないの? 多いんじゃないの? 私みたいな陰キャは誘われないから分からん……。三ノ宮さんレベルになると毎日飲みに誘われるということか?


「黒田?」

「す、少ないですね」

「だろだろ! よし、仕事早く終わらせような」

「はい」


 嬉しさを隠して返事をし、三ノ宮さんの後ろでひっそり頬を緩める。

 飲みに行くメンバーは誰か知らないけど、それでも三ノ宮さんに直接誘ってもらえたことが本当にとてもとても嬉しかった。


 お昼休み、休憩室の隅でお弁当を食べていると、後輩たちが恋話で盛り上がっていた。


 恋話には特に興味はないが、その中で「三ノ宮さん」と出て来てしまったので、自ずと会話が耳に入って来てしまった。


 いや、聞きたくて聞いたわけではない。

 盛り上がって大きな声で話すから聞こえてしまったわけで……。


「三ノ宮さん、彼女と別れたらしいよ」


 どこの情報だ、と思うが、後輩の中に情報通の子がいた。本当にどこから話しを拾ってくるのだろうか不思議でたまらない。


「でも三ノ宮さんていつも長続きしないんでしょ?」


 ああそれは聞いたことある。

 長くても半年とか。短いとひと月とか。


「飽きやすいってこと?」

「本気にならないってことでしょ」

「遊び?」

「かる〜い!」


 三ノ宮さんはそんな人じゃないよ!

 付き合ったことないから、……知らないけどさ……。


「ちょっと誰か三ノ宮さんと付き合ってみてよ。そしたら真相分かるじゃん」

「その発言もサイテーだけどね〜。でも興味はある〜」


 やめて、三ノ宮さんを弄ぶようなこと!

 そんなことするくらいなら私が付き合ってみたいよ!!


「おためしで?」

「いいじゃん、ひと月くらい!」

「思い出くらい出来るかも?」


 ――おためし、ひと月、思い出。

 全部自分に言われてるような気がしてきた。


 1ヶ月半後にはもう会うこともない人と、最後に思い出が出来るなら……。


 この気持ちを伝えてもいいのかもしれない。

 

「乾杯〜」


 ぐびっと喉を鳴らしながら三ノ宮さんが目の前でビールをあおる。

 上下する喉仏が、ああ〜格好いい。


「黒田は酒飲めなかったけ?」


 私の手にはウーロン茶がある。


「飲めますけど、今日はちょっと……」

「ん?」


 居酒屋の半個室には私と三ノ宮さんの二人だけ。他にも誰かいると思っていた私は二人きりなことに緊張し、お酒どころではなかった。


「あの、後から他に誰か来たりします」

「来ないよ。だから安心して」


 な、なにに、安心したら、よろしいのでしょうか?


「悩み事があるんだろ?」


 あ、ああ。そうだった。三ノ宮さんは心配して飲みに誘ってくれたんだった。


 だけど、退職する話しはぎりぎりまで皆に言いたくないと部長にも釘を刺している。だからここで三ノ宮さんに言うわけにはいかない。


 交友関係の広い三ノ宮さんに言ってしまえば明日には情報通の後輩の耳に入るだろうし、そうすると明後日までには全社員が私の退職を周知していそうで怖いのだ。


 とにかく、騒がれずひっそりと退職したい。


「黒田?」

「あ、あの、三ノ宮さん、お付き合いされている方は?」


 あ……。早まったかもしれない。もう少しお酒が進んでからの方が良かったのかもしれない。

 三ノ宮さんの眉間が困ったように寄っている。


「誰かから聞いた? 別れたんだよね」


 寂しそうなお顔も格好いいです。


「なに? 聞きたい?」

「い、いえ……。全然そんな、まったく……」

「聞きたいって顔してるけど。ぷぷっ」


 あ、笑った。ちょっと可愛いな。


「一緒にお酒飲んでくれるなら話すよ」

「ほんと……ですか?」


 私なんかに話していいんですか?


「何飲む? ビール? 甘い系?」

「じゃあハイボールで」

「ぷっ」

「おかしいですか?」

「いやいや、ごめんね。なんかカシスオレンジとかカルーアミルクとか言うかなって思ってたからさ」

「それ、私に似合わないですよ。なんか女の子って感じじゃないですか」

「女の子でしょ?」

「いや」

「黒田は女の子だよ。まっ、じゃあハイボール頼むね」


 三ノ宮さんは店員を呼んでハイボール2つと注文する。


「ビールじゃなくていいんですか?」

「うん。黒田と同じもの飲みたい」


 キュン。

 お、同じもの、って……。なんか、ちょっと、もう……。誤解しちゃうって……。


 胸の中でのたうち回っていると、ハイボールが届く。


「じゃ、改めて乾杯」

「乾杯……」


 グラスを持つ指がふるりと震える。気付かれてないかな?

 カツン、とグラスをぶつけるのは緊張したけど、すっごく嬉しい。三ノ宮さんと2回も乾杯出来るなんてもう死んでもい……、いや死んじゃだめ。


 喉を流れるハイボールの味は全然分からない。味覚は先に死んだらしい。

 それなら視覚を大いに働かせ網膜に三ノ宮さんの姿を焼き付けよう。なんなら聴覚もフル稼働させて、三ノ宮さんのイケボを脳内リピートできるようにしておかなければ。


 骨ばった手がグラスを回すと氷と氷がぶつかって高い音を奏でた。

 なんて言うのかな、と前置きして三ノ宮さんはゆっくりと話し出す。


「熱量が違うって言われるんだよね。彼女の好きと俺の好きのその大きさが違うって。だけど俺は俺なりに彼女のことがちゃんと好きなんだけどさ……」


 三ノ宮さんのハイボールに入っている氷がカランと虚しい音を立てる。


「でも俺は彼女のことちゃんと好きだけど、仕事も好きだし、仕事関係の人間も好きだし、学生時代の友人との付き合いも大事にしたいんだ。だから彼女を優先出来ない日もあるし」

「そしたら彼女は怒るんですね。なんで私が一番じゃないのって」

「やっぱ女の子はそうなの?」

「さあ?」

「さあって。黒田はどう? 彼氏が自分を優先してくれなかったらやっぱり許せない?」

「分かりません」

「分からない? ああ、優先してくれる彼氏と付き合ってるんだ。あ、じゃあさ、男と二人きりで飲みに来てるのとかも彼氏は怒るんじゃない? マズかった?」


 私は首を横に振り否定すると、ハイボールをぐいっと傾ける。


「マズくもないし、怒らないし、……彼氏なんていないし、そもそも、お付き合いなんてしたこともないんで分かりません」

「えっ!?」

「あ、すみません。いや私何のカミングアウトしてんでしょうね。ちょっともう酔ってるみたいです」

「いやいや違うよ。びっくりしたけど、なんか意外で。てっきり付き合いの長い彼氏がいるんだと思ってたからさ」

「どうしてです?」


 恋人がいるなんて、そんなそぶりをしたことないのに。私のどこに彼氏の影があったのか不思議で仕方ない。


「真面目だし、気は利くし、それに毎日お弁当作ってるし」

「え、どうしてお弁当作ってたら彼氏がいることになるんですか?」

「え?」


 逆に三ノ宮さんが驚いて考え込む。


「んー、あ、そうだ。同期のやつがさ彼女にお弁当作ってもらってた時期があって、それでそいつが黒田さんも誰かに弁当作ってんのかな〜って言ってたんだよ。彼女がさ、自分一人のために作るのは面倒臭いけど彼氏のためなら毎日作れるって……。そう言ってたから、てっきり黒田も……」


 彼氏なんていませんよ、と静かに首を横に振る。


 そっか、と呟いて三ノ宮さんはハイボールを傾け一気に飲み干した。


「はー。……じゃあ彼氏いないの?」

「はい」

「恋人欲しいな、とかは?」

「お、思いますけど……」

「好きな人がいる?」


 三ノ宮さんのアーモンドみたいな瞳に一瞬とらわれる。何も言っていないのに、三ノ宮さんは口ほどに物を言う私の目から何かを読み取った。


「会社の人?」


 目の前にいます。


「同じ部署?」


 あなたです。


「先輩?」


 正解です。


「後輩?」


 違いますって。


「じゃあ、……佐藤くん? 田中か? 鈴木くん? あと誰がいたかな」


 三ノ宮さんってバレてないのは、嬉しいようで悲しい。


「もしかして山本か?」

「違いますよ。全部、……全部違いますよ。彼氏は欲しいと思いますけど、好きな人なんていません」

「な〜んだよ。じゃあ俺今フリーだし、どう?」

「どう、って何ですか?」

「黒田の彼氏に立候補」


 ドクン、と大きく鼓動が跳ねる。


「か、彼氏?」

「彼氏。……嫌か? えっとじゃあ、おためしでもいいし、お互い好きな相手が見つかるまでとか」


 まさか三ノ宮さんからそんな夢のような提案が出てくるとは思わず、池から口を出した鯉のように口がハクハクと動くばかりで声が出ない。


「そ、そんな軽いからすぐに恋人に振られちゃうんですよ。それに三ノ宮さんは、私と付き合ってもメリットないじゃないですか」

「メリット? メリットあると思うけどな」

「何ですか?」

「黒田なら、好きな大きさが違うとか怒らなさそう」


 普通の女の子じゃないのでね。


「それに、『好きだ』って寄って来る女の子と違って黒田はドライで一歩引いてる感じが一緒にいて楽だよね」


 めっちゃ必死に隠してるだけですけどね。

 多分本心知ったらめっちゃ引きますよ?

 マジで気持ち悪いレベルですから。


「それに俺、黒田の手作り弁当一度食べてみたかったし」


 つっ、作りませんけどね……。


「なんか、良い付き合いができるヴィジョンが見えた気がする!」


 見えませんけど。でもその笑顔はそのままでお願いします。がっつり網膜に焼き付けるんで!


 だけどそのあとは会社の話しになり、二人で今のシステムは古いとか、こうすればもっと良くなると意気投合し、話しが盛り上がった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、そろそろお開きにしていい時間となる。


「そろそろ帰るか。明日も仕事だしな。じゃ気を付けて帰れよ」


 三ノ宮さんは通常モード。

 彼氏の話しは、ただ会話の流れなだけで本気でそう言ったのではないのだろう。


 夜道を一人で歩いていると、風が酔いを覚ましていく。


「はあ。二人で飲み会。良い思い出できたな。絶対に忘れない」


 彼氏に立候補とか冗談だったとしても、とても嬉しかった。一瞬だけ見れた夢に頬を存分に緩めながら帰路に着く。


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