五年後、あの丘の上でピクニック

九十九ねね子

五年後、あの丘の上でピクニック

 晴天。降水確率0%、丘の上の木下で。

 弁当箱を包むナプキンの端をつかみ、かたい結び目を解いていく。リュックサックを置いて、レジャーシートの上に座り込む。


「今日はピクニック日和、素敵でしょ」


 馬鹿みたいな青空の下で、君と笑いながら弁当を食べたかった。

 日が暮れて、それでも君は来ない。


 あの日はそう、本当に晴れていたんだ。いっそ憎たらしいほどに。

 1週間前から計画していたピクニック。君は楽しみに語っていた。「あの木の下で、街を見下ろしながらあなたの作ったお弁当を食べるの」って。どんなに素敵なことだろう。

 ぼくはそれを冷めた目で見ながら、内心とてもワクワクしていた。長年の付き合いの彼女はそれもわかっていたのだろう。気を悪くすることもせずしょうがないなあと笑っていた。


 ひまわりのような笑顔だった。ずっと見つめていたい、そう思えるような人だった。


 一時間経った。

 ——空腹をかんじおにぎりを食べた。葉を通り抜ける光に当てられ、心地が良かった。


 二時間経った。

 ——おかずをつまんだ。だし巻き卵はちょっとしょっぱくて、だからかなんだか泣けてきた。空には鳥が飛んでいてピーピーという鳴き声が聞こえる。


 三時間経った。

 ——とうとうもう一つの、可愛い猫のイラストの描かれた弁当を開けた。丘のすぐ下の公園で子供たちが遊んでいる。それをベンチで子供の親が微笑ましそうに見ている。


 ぼくはただ、なにもしなかった。レジャーシートの上でぼーっとしていた。

 なにをすれば良かったのかな。ぼくにはなにかしようがあったのかな。君と食べるはずだったお弁当を食べて、君のために作ったお弁当を消化していく。腹は膨れたはずなのに虚無感に包まれる。

 いっそぼくのせいであれ。そう思ってなにもしなかった。学生のころからクールだなんだと言われ続けてきたが、社会に出てからはこの寡黙が災いしてか周囲に人がいなくなった。残ったのは君だけだ。

 君はぼくのことが嫌いになった。だから約束にこなかった。そうだ、きっとそうなんだ。そう思いたかった。


 ——交通事故で君が死んだと聞かされたのは、それからずっと後だった。


「あぁ、先生のカノジョさん。亡くなったっていう」


 心底気の毒だという顔でそう言われて、最初はなんのことかわからなかった。

 その頃には約束の日から数年が経っており、ぼくは作家をしていた。売れない作家ではない、一年前に出した作品がヒットをし今ではそこそこな有名人だ。あの頃と違ってぼくの周りに人はたくさんいて毎日目が回るように忙しかった。孤独感なんて感じる暇もない。

 ……嘘だ、本当はさびしい。

 孤独ではなかった。ぼくは自分が孤独ではないという自覚がある。


 ぼくと君の関係は友人。恋人なんて関係ではない。

 小学三年生の頃、ぼくのクラスに転校してきたのが彼女。すぐに友人ができてクラスにも学校にも馴染んでいた、ちょっと特別な女の子。

 それを遠目で見ていたのがぼくだった。誰かに話しかけることもなく、話しかけられることもない。ずっと本を読んでいたからか国語の成績が良く、逆にいうとそれ以外の取り柄は特になかった。

 関係が変わったのは中学二年生の終わり。理由なんか忘れたが、彼女がぼくに話しかけてきた。その頃にはもう転校生の記憶なんておぼろげで、話しかけられて初めて彼女がクラスの人気者だと思い出したくらいだ。自分のことを忘れていたぼくを彼女は笑って許し、友達になろうと言ってきたのだ。


 奇妙なことにクラスがずっと同じだったことも幸い、もしくは災いしたというべきだろうか。ずるずると関係は続いていき、大学、大学卒業後もずっとそのままだった。就職して仕事を始めてボロボロになって、生きる気力がなくなったころ、彼女はぼくの部屋を訪れるようになった。最初は掃除をしにきたり、料理をしにきたり。ぼくの夢を知ったときは誰よりも応援してくれた。なぜかぼくよりも編集者と仲良くなって、度々連絡をとっているらしい。

 気づけば生活の一部に彼女という人が存在していた。


 ——あなた、変なところで几帳面なのよ。

 ——君は大雑把だな。


 塩をドバドバとかけて、それを上回る量の卵を投入し火にかける。卵焼きは二人分より少し多いくらいでちょっとだけ味が薄かった。

 彼女は料理は苦手だったけど、掃除は得意だった。なんでもその辺に放置するぼくとは違っていつも部屋に清潔感がある。気づけばぼくの部屋も片されており、定期的に掃除がされていたことがうかがえた。

 同居とか、もっと言えば同棲なんていう自覚はなかったが今思うとそんなものだったのかもしれない。


「あら、娘のカレシさん。ありがとう、あの子も喜ぶわ」


 ひまわりの花を仏壇に添ると、おばさんは寂しそうに微笑んだ。生きていた頃の彼女は幸せそうに微笑んでいて、顔はそっくりなのに親子でこうも違うのかちょっとだけショックを受けた。彼女に似た人はいても同一人物は存在しないということを改めて実感したからだろうか。

 君はこの世にいなかった。


「先生、カノジョさんのお墓参りですか?」

「……あ、うん」


 そんなもん、と曖昧に肯定しておく。

 カノジョだカレシだ、恋人関係というのを否定することはなかった。それがなくなったら墓の中の彼女にももう会う資格がないような気がして。友人というにはどうにもしっくりこない近距離だった。


 本当に、どうすれば良かったのだろうか。

 彼女が死んだのはぼくのせいか。いいや、そんなことはない。だってあれは事故だ。いつでも誰にでも起こりうることで、もしかしたら明日はぼくが同じように死ぬのかもしれない。

 彼女に連絡をとらなかったのがいけなかったのか。異常を感じて、すぐに電話をかければよかったのか。いいや、彼女は即死だった。どちらにせよ死に目には会えなかっただろうよ。


 ぼくの関係のないところで君は死んだ。ぼくの手の届かない、知らないところで君は死んだ。痛かったのかな、怖かったのかな、それともなにも感じなかったのかな。確認する術はない。

 それこそ、同じ目に遭わない限りは。


「…………」


 横断歩道に飛び出す。渡る、渡る、渡る。

 車が、すぐそこに。


「…………はぁ」


 信号は——青。

 君のところにいこうだなんて考え、思い浮かばない。それを考える時間はとうに過ぎている。そもそも考える暇すら与えられてなかったのだから。


 もうすぐあの丘だ。君を待ちぼうけしてた約束の場所。

 君が来ないことはわかっている。淡い期待はしているが、それが実現しないことは承知の上だ。だけどぼくは行かずにはいられない。

 あと10mもない距離に辿り着いたとき、そこにはすでに先客がいた。レジャーシートの上に座り長い髪を風に靡かせる、ピクニックに来た女の人。


 晴天。降水確率0%、丘の上の木下で。

 呆れるほど変わらない青空の下で、君が笑いながら弁当を食べている気がした。

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