エピローグ

運命について

 本書においてひとつ、大きな嘘をついていたことを謝っておきたい。冒頭で運命とな何か知らないと述べたが、実際のところ、とある友人との接触により、その正体が何か認識できるようになっており、規模的にはその友人ほどではないものの一週間範囲のものが視えている。


 その力で得た認識を説明しようにも、あまりにも感覚的なもの過ぎて形容し難いが、とりあえず言えることとして、ある程度の精神性と知識、重複的な考え方がなければ理解できないことだと思う。もっともそこを識ったところで分かることは『個人の影響力』『過去の因縁』『次に来る出来事』くらい。


 実質『人生はフラグ立て方が重要』というしょうもない事実が解るだけだ。


 きっとこの話しを聞いて、頭が狂っているのかと印象受ける人々もいることだと思う。それは間違いではないけども、いずれ――ここ十年ほどでそれが一般にも理解できる日が必ずやってくる。そして、それが当たり前となり、日常の一部になるだろうから本書ではこれ以上はあまり深く語らないでおこう。


 とはいえ、現段階として言えることは『運命にも因果にも縛られ従い過ぎないことが大事』だ。少なくとも過去とか未来とかというものは、名前が付いているか、付いていないかくらいの違いですらなく、たとえその運命の流れが決まっている概念であっても、所詮その先の未来や過去は、自分が想像した世界に過ぎない。これだけは揺るぎない真実だ。


 何を言っているのか分からない?なら、それで良い。ただ我々は近い未来、現在という存在座標に対して責任と自覚を持ち、日々を生きている方が人生はずっと生きやすいたったそれだけ。


 この物語においてひとつ大きな嘘をついていたことを謝罪しておきたい。冒頭で運目とは何かは解らないと述べたが、実際のところ妻の知人により『運命とは何か』というか、その正体について自分は本当は識っていた。


 ただ、三次元上で説明するのは非常に難しく、ギリ量子力学で説明ができるかどうか。要するに、ある程度の知識と重複的な考えがなければ、事を理解することはなかなかできないだろうから。最も識ったところで分かることは『個人の影響力』と『過去の因縁』『与えられた未来の運命』くらいのことで、実質『フラグ立てが最も大切』というだけの話だ。


 今は何を言っているのかは分からないとは思うが、あとここ五十年以内にはそれが一体何なのか理解でき——いや、きっと当たり前の日常になってしまっているはずだから、本書ではそこまで深くは語らないでおこう。


 だからと言って、運命に従い続けるのも因果に縛られることも有ってはいけない。少なくとも過去と未来というものは、名前が付いているか、付いていないかくらいの大した違いもなく、たとえその運命の流れが決まっている概念であってもその先の未来や過去は、結局自分が想像した世界に過ぎない。これだけは揺るぎない真実だ。


 意味が分からない?ならそれで良い。現在いまという自分だけの座標があって、こうしてそこに居座っている。それ以上に意味も杓子も必要ないのだから。



 本書においてひとつ、大きな嘘についていたことに謝っておきたい。冒頭で運命とは何かについて分からないと述べたが、


キズ、残滓

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