W杯、新たなランドスケープを求めて
74年西ドイツ
第1話W杯の地ドーハへ
現在2022年11月22日UAEのアブダビ空港、トランジットでドーハへのフライト待ち。夜中の12時過ぎについて、それから8時間、空港のベンチで待つ。空港での長時間待ちはブラジルやロシアでも経験積みで、空港といえども治安が不安なブラジルの空港での鞄を抱えての一晩よりはまだ良い。11月の下旬とはいえ中東は暑いという事で、日本で空港まで着てきたマウンテンパーカーやダウンをどうするか迷ったが、コインロッカーに入れて10日間で4000円は高いと思い全て持ってきた。それが正解だった。機内は非常口横の足が伸ばせる広い席で良いのだが、とにかく寒い。そこで空港で預けなかったマウンテンパーカーが役立つ。夜中についたアブダビの空港も空調が効きすぎで、ダウンジャケットまで出して防寒。中東の夜は寒い、というのが第一印象。
W杯観戦は2006年のドイツから始まって、南ア、ブラジル、ロシアと今回で5大会連続となる。フランス大会は、最終予選のジュホールバールには行ったが、本大会はチケット入手できずに断念。ただし前年のコンフェデレーション杯は現地観戦。日韓大会もチケット入手できず会社で、試合時間に近くの喫茶店へ抜け出して観戦と言ったところがW杯に関する私の戦歴となる。(コンフェデは前述のフランスの他にドイツ、ブラジルも現地で観戦)
今回のカタールW杯を機に、今までの代表をサポートしてきた事を記録に残そうと思った。というのも、今年で68歳になりサポート歴、応援歴も半世紀を越える。生まれた年が1954年で、その年に日本が初めてW杯の予選に挑戦したというのも何かの因縁かと思う。代表の正式な記録は協会にあるだろうが、それを支えてきた側の一個人の記録として残すと、正式記録には残らずに自然と忘れられてしまう事も残すことができると考えたからだ。
特にサッカー氷河期などと呼ばれる時代を経てきた事など、今では想像もできない様なことなども、W杯遠征記の合間に、昔のサッカーを一観戦者として記憶を掘り起こして記して行きたいと思う。
カタールに話を戻す。宿には11時過ぎについたが、チェックインは3時からで、出直してきてくれと荷物は預かってもらった。ところが、大きなアパート群の施設には、コンビニに毛が生えた様なスーパーが一軒。他に仮設の売店が数件に、できたばかりのレストランなのに、汚い蝿が飛んでるお店が数件。 チェックインのカウンターも仮設でそれがどこにあるか、案内板もない状態。仕方なく蝿が飛び回るレストランで、セブンアップ1缶120円ほどで3時まで粘ることにした。
カタールに着いたばかりだが、良い点もいくつか。
まず、入国審査があっけないほどスムーズ。すぎると言って良い。こんかいのW杯は、ホテルもビザも 観戦チケットも宿も、すべてHayya card と呼ばれるIDに紐付けがされている。宿をしっかり予約しないとこのカードが取れないとなっている。このシステムは前回のロシア大会から紙媒体のIDカードで始まっているが、紐付けのデータが増えていることと、全てがデジタルデータでスマートフォン経由というところが新しい。チケットも紙ではなくデジタルなので、せっかく今までチケットを記念に取っておいたが、前回で終了となってしまった。
このシステムのおかげか、先の入国審査はパスポート確認と顔写真をその場で取るだけ。反対に成田のチェックインカウンターは、Hayya cardの確認があるせいか、通常の3倍は時間がかかっている様に感じた。
このカードがあるので、市内の地下鉄やスタジアムや、めぼしい宿泊施設とメトロの駅を結ぶシャトルバスもすべてこのカードを見せるだけで無料。
おかげで、空港から10数キロ離れたこの巨大収容施設へも、シャトルバスで無料で来れた。しかも、メトロが最新でインテリアが豪華な車両があり、それも乗り放題、というのが良い点と言える。
問題の宿泊施設については、チェックインしてからにする。
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