20.小金持ち
都内某所、名前は知ってるけど何をしているのか知らないような中堅企業が軒を連ねるオフィスビル。
そのワンフロアに全日本拝み屋協会の本部がある。
といってもフロアのほとんどが拝み屋さんたちに貸し出すためのレンタルスペースだ。
店舗を持たないタイプの拝み屋さんはこのスペースを1時間いくらで借り、依頼人と話をしたりする。
本当に協会本部の部屋と言えるのは2部屋だけだ。
日本全国から寄せられる依頼を整理するための事務員さんたちが仕事をする20畳くらいのオフィスと、その奥の会長室だ。
僕はその会長室の応接ソファーに座り、今しがたお金が振り込まれたばかりの預金通帳の金額を数える。
「一、十、百、千、万、十万、百万、千万。あの、すごい見たことのない金額が振り込まれてるんですが……」
今まで三桁万円まで金額を積み上げたことのない僕の預金通帳には、一気に四桁万円を超える金額が振り込まれていた。
お狐様を依り代の女の子から引き剥がした依頼料である。
1回の依頼でサラリーマンの年収10年分くらいはもらえてしまうなんて、僕がこの金額を貰えたことよりもまず依頼人にこの金額をポンと支払う能力があることに驚きだ。
ちなみに依頼人は神崎さんの中学時代の同級生である依り代の少女、田辺さんのご両親ではない。
あの病院の院長である神崎さんのお父さんだ。
依頼金の受け取りの際に無道さんと一緒に対面したけれど、にこやかに笑ってまた頼むと言っていた。
お金ってあるところにはあるんだね。
「他の拝み屋がみんな断るような依頼だったんだ。このくらいは貰わないとまた気軽に依頼されても困るからね。協会だって会員を死なせたいわけじゃないんだ。ちなみにその金額からはすでに協会側の仲介手数料が引かれているからね」
「ほえぇ……」
この金額に更に何割かの仲介手数料まで払っていたとは。
もはや僕の口からは空気が抜けるようなマヌケな声しか出てこない。
命の危険があるというのに退魔業界が供給過多なのもやむなしか。
今回はみんなが断った依頼だったから僕が受けることができたけれど、本来ならば仕事は奪い合うものなのかもしれない。
強面な退魔師さんたちが過剰なサービスで争っている様を想像すると少し笑えてくる。
早い安い上手い、みたいなね。
次回割引券とかもらえちゃったりして。
「ところでさ、橘君」
「はい?」
無道さんとその後ろに立つ水野さんの視線は僕の首に注がれている。
僕の首に巻かれている温かそうなマフラーに。
「そ、その襟巻さ。すごく、綺麗な毛並みだよね。本物の狐の毛皮かな。珍しいなぁ、なんて……」
真冬だというのに無道さんの額からは一筋の汗がしたたり落ちる。
無表情の水野さんの顔も、少しだけ緊張しているように見えた。
やっぱり、本職の拝み屋さんにはわかっちゃうのかな。
「玉ちゃん、出てきてもいいよ」
『主様の首にしがみついておるのもなかなか楽しいのじゃがな』
狐の尻尾のように長いマフラーがシュルシュルと纏まっていき、僕の首から膝の上へと滑り落ちる。
毛玉はモフモフの子狐となって僕の膝を前足でカリカリとかいた。
「色々あって、僕の家の子になりました。ご察しのとおり、あの病室にいたお狐様です。名前は玉藻っていうそうです。僕は玉ちゃんって呼んでます。玉ちゃん、君も迷惑をかけたんだから謝らないと」
『うむ、病室を占拠して悪かったのう。わらわも悪気があったわけではないのじゃ。ただあそこは負の気に満ちており居心地がよかった。依り代となっておったおなごの陰気に引かれてつい取り憑いてしもうたのじゃ』
「タマはこの時代では別にそれほど悪さをしていないですし、なんとか許してもらえませんかね」
「ゆる、ゆる、許すもなにも。ねえ、水野君」
「別に我々は妖と見ればすべてを滅する気狂いではない。依頼が達成されたのならばその狐をどうこうする理由が我々には存在しない」
水野さんがこんなに長いセリフをしゃべっているのを始めて聞いたかもしれない。
この人も別に無口っていうわけではなさそうなんだよね。
謎な人だ。
「だけどやっぱり小心者の私なんかはその狐さんがすごく怖いんだよね。君くれぐれも頼むよ?」
「ええ、玉ちゃんも人間への憎しみをその身に宿した荒魂の一柱だということは理解しています。玉ちゃんがまた人間へと危害を加えてしまったそのときは、僕も責任をとってその罪を一緒に背負いますよ」
「そうか。それほどの覚悟を持っているならば、これ以上とやかく言うのは野暮というものだね。まあそう固く考える必要はないよ。所詮人の世の罪科なんて妖には関係のないことなんだ。妖を法律で裁くなんてことはできないからね。そしてそれは私たち異能者にも言えることだ。霊能力で犯罪を犯したとしても現行の法律で裁かれることはない」
疑わしきは罰せず。
推定無罪の法則がある限りは、確実に法律を犯したという証拠がない限りは基本的に罪に問うことができない。
あいつは霊能力で犯罪を犯しましたと通報されたところで異能者が逮捕されるわけはない。
「我々異能者を裁くための法律ってのはないんだよ。君はずいぶん粛清を恐れているようだけれどね、我々拝み屋協会は異能者のための協会であって一般人を異能者から守るための協会ではない。君が能力を使って女の子をレイプしようと、君の家の子になった狐さんが一般人を呪い殺そうと、たぶん被害者が数人程度じゃあ協会は動かないよ。我々の腰は重たいんだ」
それは意外な話だった。
忘年会パーティのとき、無道さんは力を手に入れた異能者は力を振るいたがるから協会には強制入会させられるみたいなことを言っていたはずだ。
それは協会に強制的に入会させることで好き勝手は許さないぞと脅すような意味があるのだと思っていた。
しかし今の話では協会はあまり重い腰を上げて異能者を粛清するようなことはないらしい。
じゃあ好き勝手やっていいのかな。
「もちろん好き勝手やってもらったら困るけどね。ただ、品行方正で優秀な異能者を拝み屋協会は見捨てない。たとえ日本政府が敵に回ったとしても私達は君を守るよ」
僕は無道さんのあまりのイケメン力に軽く敗北感を覚えたのだった。
髭ダンディ、恐ろしい子……。
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