17.狐憑き

「お願い、橘君。もう橘君しか頼れる人がいないの」


 いまだかつて、これほどまでに人に期待されたことはない。

 だけれど、現実問題この中の神崎さんの同級生は十中八九やばい魑魅魍魎に取り憑かれている。

 本職が封印だけして放置するようなやばいやつだ。

 僕にそんなものをなんとかすることなんてできるのだろうか。


「ごめん、ちょっと電話を1本だけさせてほしい」


「わかった。待ってるから」


 神崎さんは案外付き合ったら重い女になりそうだよね。

 それもまたよし。

 僕は一度病棟から中庭に出てスマホを取り出す。

 電話するのは先日連絡先を交換したばかりの相手、無道領郭さんのところだ。


『もしもし、私だけど。どうしたんだね橘君。なにか仕事関係で問題でも?』


「はい。あの、〇〇病院の隔離病棟の件なのですが……」


『あそこか。あれは厄介だぞ。おそらく長く現世に留まった狐だ。狐はマジ厄介でね。人を惑わせるわ発狂させるわ、おまけに長く現世に留まって力を蓄えているから物質世界への干渉力も強い。正直化け物だよ』


「そ、そんなにですか」


『ああ。そこを封じたのも実を言うと私でね。どうも狐は私と相性が悪い。いやまあ狐と相性がいい術者なんていないんだけどね』


 無道さんの話では狐の妖は精神攻撃を得意としているらしく、多くの拝み屋さんに忌み嫌われているらしい。

 マインド属性とか僕と被ってるんだが。

 おまけにこの病院にいるやつは長く現世に留まったために強大な妖力を蓄えており単純な火力も化け物レベル。

 つまりはマインド攻撃してくる大怪獣だ。

 そんなものは人類には手に負えないんじゃないのかね。

 まあおそらく多くの拝み屋さんが犠牲を覚悟してレイド戦でもやれば勝てるんだろうけど、無道さんにそれを強制させる権限はない。

 狐の討伐なんて受ける人もいない。

 みんな仕事でやっているんだから好き好んで死ぬとわかっている依頼を受けたくはないよね。

 困ったときの名門土御門一門も頭目の土御門氏がマインド攻撃恐怖症なので今回は頼れない。

 役に立たない名門だ。


「あの、その依頼僕が受けてもいいですか」


『え、君が?でも君は……』


「狐に憑依された女の子は、友達の大事な人なんです」


『……そうか。わかった。病院の周囲を結界術師に囲ませるから1時間欲しい』


「無理を言ってすみません」


『死ぬんじゃないよ。若者にはまだ未来があるんだからさ』


 無道さんの言葉は温かかった。

 退魔師という仕事は決して危険の少ない仕事ではない。

 きっと以前にも前途ある若者の死に直面したことがあるのだろう。

 僕はあの気のいい髭ダンディに、悲しい顔をさせたくないと思った。






「ごめん、待たせちゃったね」


「ううん。私こそさっきは無理を言ってごめん。たぶん、柚木の状態って普通じゃないんだよね。こんなにお札が貼られてるんだもん。危険だよね。私橘君のことなんて考えずにただ縋って、ほんと最低。ここまで来てもらって申し訳ないんだけど、今日はもう……」


「いや、行くよ」


「え、でも……」


「神崎さんは初めて会ったとき、見ず知らずの僕を家まで送ってくれた。目が覚めるまで手を握っていてくれた。うれしかった。涙が出るくらいうれしかったんだ。僕に、恩返しをさせてほしい」


「橘君……」


 神崎さんの瞳からまた一筋、涙が零れ落ちる。

 今告白したら成功するかなとか場違いな考えが一瞬浮かぶけれど、そんなことをしたら確実に死亡フラグだ。

 僕は自ら死亡フラグを立てるなどという愚は犯さない。

 ポケットに入れたスマホがブーブーと2回振動した。

 準備完了の合図だ。

 僕は神崎さんに扉から離れているように告げ、扉のお札を剥がした。

 途端に扉から重たくて冷たい妖気が溢れ出す。

 なんてプレッシャーだ。

 これが本職も手を出すことを戸惑うレベルの妖なのか。

 僕は震える手で扉に手をかける。

 ガラガラと扉を開けて中に入ると、そこは冷凍倉庫のように何もかもが凍り付いた空間だった。

 真っ白な雪が降り積り、今もなぜか高い天井のほうから雪が吹き付けている。

 思っていたよりも広いな。

 いや、よく考えたらこんなに広いわけがない。

 ここまで来るまでに見た病室は大部屋でもこんなに広くはなかったし、天井もこんなに体育館のように高くはなかった。

 これは、この部屋が異空間になっているのか。

 身体が芯まで冷えて歯がカチカチと音を立てる。

 妖とかの前に低体温で死にそう。


『ほう、この部屋で正気を保っていられるとはのう。お主、なかなかの術師じゃの』


 男の獣欲を煽るような艶のある女の声が響いた。

 それは先ほどから直視しないように意識している部屋の中央から聞こえてきた。

 広い雪原の中心、そこにはまるで何匹もの獣が丸まって暖を取っているかのような毛玉があった。

 毛玉に見えるのはおそらく尻尾だ。

 何本ものふさふさとした尻尾を携えた美女。

 それが雪原に横たわるものの正体だ。

 目の端に移る肌色の割合から間違いないだろう。

 僕の性別が男である以上は、その肢体を目にすれば色欲を刺激されて精神の均衡が崩れてしまう。

 そうなれば先ほどからずっと僕の精神を狂わせようとしてくる波動に逆らうことはできなくなり、立ちどころに狂ってしまうことだろう。

 マインド攻撃に耐性のある人間でも、さすがに興奮してしまえば精神のガードは下がる。

 凄腕のおっさん連中が手も足も出ない理由の一端がわかった気がする。

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