追憶の洞窟で

前編 ゴブリンとニンゲン

 思い出の中よりも狭くるしい横穴の向こうには、やはり思い出よりも小さな空間が広がっていた。洞窟の中は外界と比べるとわずかに涼しく、湿気っている。

 ゴブリン――グレイプという名であるらしい――がその小ぶりな身体で軽快に進んでいくのを、僕と猟師は冷たい岩肌に手をつきながら追いかけた。子供の頃よりも僅かに苦戦しながら天然の石階段を上下するうちに、見覚えのある突き当りに行き着いた。

「アンタの言うことは本当だったみたいだね」

 最後尾にいた猟師は石窟の突き当りに目を向けてから、先頭のグレイプを一瞥する。

「これで信じてくれたかい、ニンゲンの猟師さん」

 言いながらグレイプは更に数歩奥まで進み、僕らの視線を遮るようにして向き直った。警戒心を露わにする彼の背後には、何かが横たえられているのが分かる。ゴブリンの矮躯では隠し切れもしないその何かは、グレイプと同じような苔の張った岩のような肌をしており、しかしそれを守ろうとするグレイプよりもいくらか小柄に見えた。

「そこに寝かせているのが、勇者に襲われたときに怪我をした妹さ。ここまでなんとか逃げてきて、薬草でも採りに行こうかというところでアンタに――ワキヤに見つかったってワケさ」

「正直者で助かるよ、グレイプとやら。さて、正直ついでに、もう一つ質問だ」

 グレイプが表情を強張らせた。反射的に振り向いた先では、猟師の銃口がゴブリンの兄妹に向けられている。

「お、おば――」

「テメェッ、なんのつもりだ!」

 僕が呼びかけるのよりも激しく、グレイプが悲鳴交じりの怒声を上げた。当のおばさんは苛立ったような表情を浮かべながら、落ち着き払った声音で語りだす。

「騒ぐんじゃないよ。アンタに村への害意がないのか、最終確認をしようってだけさ。ゴブリンが村の外から二匹も、だなんて、いったいどこから侵入したのやら気になってね」

「さっきも言っただろう! 勇者の追跡から逃げるうちに森に入って、気づいたらこの辺りに行き着いたっていうだけさ。手当が終わったら村を出て行く。改めて言うが、この村をどうこうしようなんて気はさらさら無いんだ」

 時おり目を伏せながらも虚勢を保つゴブリンの姿は、勇者伝説の中に語られる粗暴な魔物の姿とも、姑息な悪役の姿とも違い、ただただ痛ましいばかりだ。

「ニンゲンが俺らを敵視してるのは知ってる。俺があんたらと戦っても敵わないってことも、さっきワキヤとやり合った時点で理解できてる。だけど、あの勇者よりは話が通じると思ったからこそ、逆らわず、逃げもせず、手負いの妹まで晒したんだ。あんたらがその気になれば俺は死ぬ。妹だって死ぬ。だからこそ、なあ、見逃してくれるよな」

「ごちゃごちゃとうるさいねぇ」

 ため息交じりに猟師が一喝すると、ゴブリンの濁った眼は隠し切れない恐怖に見開かれた。

「そんな態度を取られちゃあ、まるで私たちが野蛮人みたいじゃないか」

「おばさん、グレイプは僕らを信じてここまで連れてきてくれたんだ。それを蔑ろにするような真似は――」

「村の周りには魔法の結界が敷かれてることぐらい知ってるだろう」

 その一言で、彼女の言わんとすることを理解してはっとする。魔法の結界とは、駐在している通信魔法兵が村の警備用に敷いているものだ。

「害獣が近づいただけで、駐在さんはそれを検知して村中に警報を出す。それがこのゴブリンたちに至っては警報がないどころか、村の中にまで侵入を許しているんだよ。偽勇者に襲われて、怪我人を連れながらほうほうの体でアルトチューリにやって来たって言うんなら、アンタが鉢合うまでもなくこいつらの存在が知れ渡ってないと不自然なんだよ」

 まくし立てるおばさんの言い分は、思わず声が漏れるほどにもっともだった。言葉を失う僕の傍らで、緑色をしているグレイプの顔が、見る間に青ざめていくようだった。

「そんなことを言われたって、オレたちは森を通って、そしてこの洞窟を見つけたってだけなんだよ。その駐在とやらがミスをしたか、サボってたとかじゃねえのかよ」

 数秒の沈黙の後、おばさんの銃は意外にもあっさりと下ろされた。僕が拍子抜けして息をつくのと同時に、グレイプは素早く後ずさると妹を庇うように姿勢を低くした。

「まあ、とりあえずは信じておくよ」

 猟師はそれだけ言うと、くるりと踵を返して来た道を戻り始める。

「おばさん、何処へ」

「ちょっと確認したいことがあってね。日が落ちる前には戻るから、それまでそいつらのことはアンタが責任を持って見張ってるんだよ」

「日が落ちるまでって――」

 時間感覚を唐突に思い出し、アッと声が漏れる。それに対し、おばさんは僕の考えなど見透かしているのだとでも言いたげに呆れ顔をした。

「農業のやつらには説明しておくさ。この間まで散々に宴会でサボっておいて、今更アンタ一人がこんな所で油を売っていたところで誰も気にしやしないと思うけどね。それと――」

 おばさんは少しだけ振り向いて、顎をくいと上げた。こっちへ来いという合図だ。僕が駆け寄ると、グレイプを横目に見ながら彼女は声を潜める。

「おかしな動きをしたら、妹もろとも始末するんだよ」

「そんな」

「甘ったれたことを言うんじゃないよ。それに、あくまでも、もしもの話さ。私は、あのゴブリンは放っておいても悪さはしないと踏んでる。さっきの態度からすれば、そんな無謀なことをするほどの馬鹿には見えないからね」

「分かりましたよ。それで、おばさんは何を確認しに行くって言うんですか」

 ひそひそ声での質問に、猟師はしわの目立つ精悍な顔を洞窟の外へ向けた。

「あのゴブリンの仕業かどうかはこの際置いておくとして、勇者気取りの余所者までが侵入していたってことは、村の検知網が機能していない可能性があるだろう。他にどんな魔物が近づいてきているか分かったもんじゃあないし、駐在さんがどうしちまったのかも気になる。さしあたっては、青年団への声掛けと、駐在さんの安否確認をしないとね」

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