【幕間1】動き出す一夜

 かの〈とばり〉で大暴れし、祭典を潰した張本人と名高い〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉。

彼女に生死問わず七千万という莫大ばくだいな賞金がかかった。手配主は町の振興組織〈リドー〉とやら。


 町に特上の獲物えものが現れたという一報に、夜のフォリトリロは異様なたかぶりをはらみ出す。


 当の〈帳〉の騒動に関わったことで、例の少女はカトーとパトラッシュにとっては他人とは言い難い存在でもある。

 カトーはいつになく重たい溜息ためいきいた。


かたきを追っていたのが、今度は追われる側だなんて……あの娘も難儀なんぎなもんだ」

「て、なんであのコが大金付きで命狙われてるんスか⁉ あんなにかわいいのに!」

「……本人の及ばんところで厄介やっかいごとに巻き込まれた──てところかね、まったく」


 暗く呟くカトーの手は、客から注文されたチョリソーと香草を手際よくいためている。


「なんにせよそのへんのチンピラに倒されるような手合いじゃない。うかつに野次馬してチンピラどもの流れ弾をらう方がよっぽど危険だ。お前も下手に近付くな」

「まぁ確かに……たまたま町に居合わせてラッキーとか思ったっスけど、再会の挨拶あいさつなんてしてる場合じゃないっスよね」


 パトラッシュもすんなりと興奮を納め──しかしすぐにカメラを手に立ち上がった。

「でもやっぱ周辺パトロールしてくるっス! 賞金目当ての連中が町中で大騒ぎしてんスから、警備兵けいびへいや〈ガトス〉が動く可能性も! つまりはシャッターチャンス!」


「いや、賞金懸けてんのは政府じゃなくて新興組織だろが。関係ねえはずじゃ、」

「その〈リドー〉ってのがきな臭いじゃないっスか! 〈ガトス〉関連で!」

「何を根拠に、」

カンっス!」


パトラッシュは気持ちいいほどきっぱりと断言する。

「大丈夫っスよマスター、戦闘現場にはまず近寄らないんで、オレの心配は無用っスから」

「お前の心配はしてねえよ」

「善は急げ、波に乗れ、風を読め! つーわけでオレ行ってくるっスわー!」


 パトラッシュは軽やかにバーを出て行った。

 カトーは呆れ混じりの視線を、調理中の食材に戻した。

 ああ見えて調査員としてのパトラッシュは、かなり有能の部類に入る。


 彼が【風】の精霊持ちとして有する独自技能『霊髄クオリア』は〈順風耳じゅんぷうじ〉という。


 空気にのった声の振動を【風】で拾って情報収集をするという、かなりの技巧ぎこうに富んだ能力だ。正義感が強すぎるところがあるものの、状況に応じた自身の立ち居振る舞いはできる、はず。

 ……まあ、下手に巻き込まれることはないだろう。


「──気になることでもあるのかい?」


 香ばしく出来上がった炒め物を皿に盛りつけたところで、カウンターから声がかかる。

 顔をあげると、小柄な老女が薄い笑みでこちらをじっと見つめていた。


「……いらっしゃい。ご注文は」


 客が増えてきた店内には気を払っていたつもりだったが、老女はいつの間にかカウンターに座っていた。その姿をにしたカトーはかすかな動揺どうようを抑え、気のない声で応じる。

「初めて見るお客様ですね」

「客? 何言ってるんだい。アタシはこの店のオーナーだよ」

「オーナー?」

 思わずおうむ返しすると、老女は肩をすくめた。

「まぁ、アタシに関してよそ者にごちゃごちゃ喋るなとは言っていたから仕方ないか」

「大変失礼しました。先代からひと月の間一時雇われでこの店を任されました。カトーです」


「バルバロだ」


 老女──バルバロは酒焼さけやけながらよく通る声をしていた。小柄で細身、年相応のしわはあるが、ぴんとまっすぐな背筋にくっきりとした目鼻立ち、鋭い眼差まなざしが総じて闊達かったつなオーラを身にまとわせている。


「かなりいい感じの店にしてくれてるじゃないか。この町では珍しい、落ち着いた雰囲気だ」

 カトーは皿を注文した客へ運ぶと、あらためてカウンター越しに老女の正面に立ち、

「恐縮です」

 平凡な雇われマスターの態度に徹し、素っ気なく頭を下げた。

 その様子に、老女は目を細める。

「こういう雰囲気はね、内装や酒の品ぞろえと違って仕入れることができない。この町で長く育った血の気の多い連中では醸し出せないものさ。

 町の奴らはよそ者を嫌うが、やっぱり洗練された雰囲気ってのはよそ者に限るよ」

「よそ者も、この店のお役に立てたようで」

「ああ、全くその通りさ」

バルバロは快活に笑う。


「特に帝国の人間は違うね。洗練の具合も、共和国とは段違いだ」


「──」


 思わず眼を上げる。次にカトーは聞こえないふりをしてとぼけようとしたが──一瞬にしてそれは叶わなかった。

 一分いちぶの隙も無い捕食者ほしょくしゃのような眼が、カトーを見ている。

「カトー。オマエ、帝国から来た調査員だろ。何の用でこのアタシの町に来たんだい。

 返答次第では、もてなしてやる。アタシら〈ガトス〉一同総出でね」


 この町をとりしきる一大民間組織〈ガトス〉。その頭目である老女・バルバロはカトーの耳になじませるように、ゆったりとした口調でそう言った。



 しくじったか。


 カトーは内心、直前にとった自分の行動を後悔していた。

 彼女が名前を名乗った瞬間、とっさに出来上がった料理を別の客に出すために動いた。さりげない挙動きょどうで動揺を隠したつもりだったのだが──相手の方が一枚上手だった。


 バルバロ。その名前はフォリトリロに潜り込む前から調査済みだった。


 長年反政府テロ組織に属し、国内各地で活動後、十年前からは故郷であるフォリトリロで民間組織〈ガトス〉を結成。頭目とうもくとして町で横暴を振るう政府警備兵との抗争を続けており、徹底して政府にあだなす半生はんせいだ。


 警備兵対策のため〈ガトス〉幹部の素性は不明点が多く、名を知るのみであったが、まさか頭目が自ら、しかも単独で無造作に接触してくるとは。


 バルバロは、こちらの緊張をなだめるように、先ほどと変わらぬ鷹揚おうような態度で、

「アンタが素直に答えればことは平和に納まる。アタシだって無暗むやみに事を荒立てたくないのさ。ただでさえ日頃から融通ゆうずうの利かない警備兵どもを相手にしてんだから」


「お互い平和が一番ですね」

 カトーがかたい口調で返すと、バルバロは満足気に頷いた。

「その通り。物分かりの良い男だね」

 カウンターに身を乗り出し、大きな眼でこちらを覗き込む。

「それで、どういうつもりだい。人の庭で大捕り物なんておっぱじめやがって」


「それに関しては、一切無関係ですよ」


 カトーはカウンターに素手を置いて見せ、隠し立てがないことを暗に示す。

「目立った真似をするつもりは毛頭ありません。むしろ貴方にとって悪くない話を差し出したいと思っているところです」


「ムシの良い事言ってんじゃないよ」


 静かな声が、にわかに凄みを帯びる。

「大人しく町に紛れてりゃ文句言われないとでも? オマエらは存在している時点ですでにこの町に干渉してるんだよ。若いのが記者のフリして撮影程度なら見過ごしてやってたのに、デカい騒ぎが起きた途端とたん、無関係のていで逃れようだ? そうはいかないよ」

 カトーは内心の動揺どうようを抑えた。

 自分達の正体はとうに把握はあくされていたのか。おそらくやとわれ店長と流れの記者として町に潜り込んだ段階で、まずは様子見ようすみで泳がされていたのだろう。

 ふと、視線を感じる。その先にいたのは、いつも安酒一杯で居座る胡麻塩頭ごましおあたまの老人だった。しわでたるんだまぶたの奥で鋭く光る眼が自分をとらえている。


 ──奴が見張りだったか。

 

 この町に立った時点で、彼女のてのひらの上にいるも同然。

 これがこの町の実質的支配者〈ガトス〉の頭目・バルバロの力か。


「おっしゃる通りです。おびします。言い逃れはしませんよ」


 カトーは再び素直に相手の言い分を認めた。駆け引きで張り合おうとするのは逆効果だ。下手を打てば、今外に出たばかりのパトラッシュが危ない。


「ですが、正直に話しても今夜の騒動に関して我々は無関係です」


 フン、と機嫌悪そうにバルバロは鼻を鳴らした。

「心当たりは」

「ありません」

「上から言われるがまま、町に潜り込んで調査してるだけってかい? ロクに考えず命令に流されて、テメエの頭使わなくなったらおしまいだよ」


「……そう思っていた時期もありましたよ」


カトーの声から抑揚が失せた。

「でも自分で考えて動いた結果、地獄を見たら──頭を使う気が失せる」

 干渉すべきでない。余計なことは考えない。深くは追求しない。


 ──ただ、任務にのみ忠実たれ──


 それが帝国に仕えて四半世紀しはんせいきを経たカトーが、常におのれに言い聞かせている「鉄則」だ。

 

 その表情に何かをはかったのか、バルバロは「まあいい」とつぶやいた。


「今、オマエが知ってることを言いな」


「今夜、新興組織〈リドー〉が生死問わずの懸賞金を懸けた。標的は〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉と呼ばれる娘だ。七千万ヴィズの賞金に、町の連中が目の色変えて娘を探し回っている」

「なんだ、流れてる噂程度の情報かい」

「ええ。なぜ新興組織が〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉を狙っているのか検討けんとうもつかない。何者なんです、〈リドー〉というのは」


「知らんね」


 町の全てを掌握しょうあくする彼女による即答に、思わずカトーは面食らう。


「あなた方〈ガトス〉でも知らない組織ということですか?」

「そう。リドーってのは確か昔の詩歌で使われていた貴族用語だったか……フン、妙な集団が突然町で名乗りを上げて、娘一人を追い回すため金をチラつかせて町中で見境ないドンパチ始めやがった。〈無法者の町〉なら、何してもいいと思ってんのかね」


 言葉尻ことばじりに怒りがともる。


「どいつもこいつも敵だ。昔、政府をツブそうと国のあちこちでテロ活動したもんだが、腐れ役人ってのはどんだけ処分してもウジみたいに涌きやがる。


 最近は──〈学者がくしゃ〉だったか、奴ならかなりいいセンまで政府を追い込むだろうが、相手がウジじゃ限界もある。排除はいじょ以外の手段を使うとなれば話は別だがね」


〈学者〉──アビと名乗る反政府派の筆頭だ。

 

 先の〈とばり〉にも出場し〈帳事変とばりじへん〉にも関わっている。

 その後、政府関係者を標的とした本格的なテロ活動を展開し、ついに共和国は彼を指名手配犯として大々的に発表した。


「……アタシは十年前に降りた。キリがないってんで故郷に戻ってみれば、ここでもくされ役人どもが市民を食い物にして足蹴あしげにしていた」


 怒りを核に、〈ガトス〉は結成された。

 それに呼応こおうした市民は少ない。鉱山での過酷な労働の果てに使い捨てられた者や、町のおろそかな法治のもと大量に発生した孤児たち──彼女の統率力のもと結束は強固となり、今や政府に拮抗きっこうする町の一大勢力となっている。


「政府ってのは何しても状況ややこしくするしか能がない。最近じゃ、町で市民に扮して〈ガトス〉を追い込もうとするスパイ気取りまで増えてきてね。面倒になってきた所だよ」


 スパイ気取り──この町では「モグラ」とも呼ばれている連中だ。

 市民にふんした警備兵が町の情報を漁っては、〈ガトス〉の勢力をくじこうと暗躍しているらしい。


「わかるか? なんのつもりか知らないが、この町で〈リドー〉だの〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉に騒がれても、迷惑千万めいわくせんばんでしかない」

「〈リドー〉はともかく、〈女徒手拳士〉は巻き込まれただけでは」

「知るかね。〈帳事変〉の首謀者だか知らないが、そもそも貧乏人にとっちゃ、国のお祭りなんざ興味ない。アタシの庭を荒らす奴は誰であろうと敵だ」


 有無を言わさぬ宣告に、カトーは押し黙った。


 あの娘──賞金首とは別の理由で、〈ガトス〉にまで目を付けられた。

 もはやこの町全てが、〈女徒手拳士〉の命を狙っている状況だ。


「カトー、オマエには今から働いてもらうよ」


 針のような緊張が、カトーを刺す。

「無関係とはいえ、アタシを出し抜こうとした罪は重い」

「出し抜こうだなんて。ただ、帝国の立場から貴方がたのお力添えができればと」

「武器や物資と引き換えに、この町を帝国のセーフハウスにでもさせてくれってところだろ? 話にならないよ。オマエに交渉権なんてない。死にたくなければいう通り動きな」


 ……時間をかけて持ち出そうとしていた交渉はあっけなく一蹴いっしゅうされた。


「〈リドー〉をツブすか、〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉を殺すか、どちらか選びな」


 あまりにもシンプルな命令に、カトーは言葉を失う。

「たしかに、どちらかがいなくなれば、騒動は収まるでしょうが」

「町を荒らす連中は警備兵だろうとよそ者だろうと〈ガトス〉がツブす。

 

 だが、今回の騒動はどうにもきな臭いんだよ」

 

 偶然か、つい先刻店を飛び出したパトラッシュと同じ言葉を、バルバロは口にした。

「下手に〈ガトス〉の子らを動かしたくない。状況がはっきりするまでは、よそ者に動いてもらうことにする。よそ者なら厄介な前線にも送り出しやすいからね」

「……なるほど」

 醒めた眼差しと気持ち良いほどの言い分に、思わずカトーは頷いていた。


 返す言葉もない。

 それに今余計な問答で時間稼ぎでもしようものなら、バルバロは外に出ているパトラッシュを殺すだろう。この厳然げんぜんたる眼は、下手な思惑を即時に見抜くはず。


 カトーは頭のバンダナを取りカウンターを出ると、そのまま店の扉を開けた。

 店内の異変をいぶかしむ客はいなかった。つまり今日の店の客は全員〈ガトス〉関係者だったのだ。


「……とんだ茶番だな」


 正直、地味に落ち込む事態だった。調査員として慎重に動いていたつもりだったが、こうも相手の手の内だったとは。


 ──向いてないのかね。だからって、エージェントに戻る気はさらさらないが。


 気を取り直すと、カトーは酒場を抜けて人気のない建物を見つけ、屋根によじ登った。見晴らしのいいへりに立ち、町を巡る乾いた風にからださらす。


 ──〈リドー〉をツブすか、〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉を殺すか──


 どちらを取るか、確かめるまでもないが。なんにせよ部下の力は必要だ。


「パトラッシュ、緊急招集きんきゅうしょうしゅうだ」


 流れる風に、カトーはその声を乗せた。


「俺らの命がかかってる。この騒ぎに一枚むぞ」

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