47 靴職人令嬢、靴を守ろうとする


「ザックさん! これはいったい……っ!? いまから品評会じゃ……っ!?」


 リルジェシカの言葉に、ザックが「へっ」と唇を歪める。


「俺みたいな無作法者には女王陛下に拝謁する栄誉は与えられねぇんだとよ。くそっ! ドルリーの奴め! 俺を馬鹿にしやがって……っ!」


 怒りに顔を歪めたザックが、地面につばを吐き捨てる。


 リルジェシカを睨みつけた目には、危うげな光が浮かんでいた。


「お前だって、心の中では俺のことを嘲笑あざわらっているんだろう? お前が色仕掛けで売り込んだ程度の靴しか作れねぇ職人だと……っ!」


「ち、違いますっ! そんなこと、思ってもいませんっ! それに私、色仕掛けなんて……っ!」


 もしそうだったら、どんなにかいいだろう。ほんの少しでも、フェリクスがリルジェシカに魅力を感じてくれていたら。


 一瞬、心をよぎった甘美な誘惑を振り払うように、ぶんぶんとかぶりを振る。


「はっ! 清純そうなふりをいつまで続けられるやら! すぐに化けの皮をはがしてやるぜ。どんな靴を作ったのかは知らねぇが、お前を品評会に行かせるわけにはいかねぇんだ」


「っ!?」


 憎悪のこもった視線に、びくりと震えて胸元の木箱を抱きしめる。


 いますぐ逃げ出したいが、前にはザックが、後ろには見知らぬ男が二人、薄ら笑いを浮かべてリルジェシカをなめまわすように見つめている。


 すぐそばに視線を遮るように荷馬車が停まっているせいで、誰もその陰にリルジェシカがいると気づかぬだろう。


 しかもこの辺りは人通りが少ない。声を上げたところでどこまで届くか。


 恐怖に足ががくがくと震える。かちかちと鳴る歯をぐっと噛みしめ、リルジェシカはザックを見返した。


「わ、私を足止めしてどうする気ですか!? 品評会にはもう――」


「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! おい!」


 ザックがあごをしゃくると同時に、男達が動く。


「っ! 誰か――」


 叫ぼうとした口を荒れた手にふさがれる。


 これだけは何があっても放すものかと木箱を強く抱きしめ、身をよじって男達の手から逃れようとするが、リルジェシカの力では男二人にはかなわない。


 両足を抱えこまれ、口をふさがれたまま持ち上げられる。必死で足をばたつかせた拍子に、右足の靴が脱げ落ちた。


「おいっ! 早くしろ!」


 ザックの声と同時に、荷物みたいに馬車の荷台に投げ込まれる。肩から床板にぶつかり、痛みに呻く。抱え込んでいた木箱が荷台にぶつかり、硬い音を立てた。


 身を起こし、馬車から逃げようとするより早く、ザックと男達が乗り込んでくる。


 同時に、ぴしりとむちを振るう音が聞こえ、急に馬車が動き出した。


「ひゃっ!」


 横倒しになりかけた体勢をなんとかこらえる。


「その箱をよこしな」


「嫌……っ! 嫌です……っ!」


 正面に立ち、へたりこむリルジェシカを見下ろすザックの言葉にかぶりを振り、守るようにぎゅっと布を巻いた箱を抱え込む。


 この箱だけは、絶対に渡したくない。


 すがるように箱を抱きしめたリルジェシカの耳に、じれたような男の声が届く。


「ザック、箱なんざいいじゃねぇか。どうせ、品評会には出られねぇんだからよ」


「それよりも、楽しませてくれるって話だろ? だからお前の誘いに乗ったんだぜ?」


 男達の言葉に、ザックの口元が暗く歪む。


「ああ。この娘なら好きにしな。いろんな男をたらしこんできたんだ。きっとさぞかし楽しませてくれるぜ?」


「ち、ちが……っ!」


 恐怖に喉が詰まってうまく言葉にならない。舌なめずりする男達の下卑げびた視線に、歯の根が合わなくなる。


「こいつは好きにしていいが、その箱は潰すなよ。俺は御者に指示を出してくる」


 ザックが恐怖に身動きも取れないリルジェシカの横を抜け、御者席へと向かう。


「わかったわかった」


 ぞんざいに男の片方が返事をすると、もう一人の男がにたりと唇を歪ませ、笑みを浮かべた。


「くくく……っ。怯えちゃってかわいいねぇ」


 少しでも男達から距離を取ろうと、震える足をなんとか動かし、座ったままずりずりと後ずさる。が、すぐに背中が荷馬車の木枠に当たり、絶望が心に押し寄せてくる。


「いや……っ」


 すがるように木箱を抱きしめ、ふるふるとかぶりを振った視界の端で、碧いリボンが揺れる。


 逢えるはずがないのに、心の中でフェリクスに助けを叫ぶ。


 こんな男達に好きにされるなんて、絶対に嫌だ。


「清純そうな演技なんかしなくていいんだぜ? いつも他の奴にやってるように、俺達を楽しませてくれよ?」


 怯えるリルジェシカの反応を楽しむように、男達がわざとゆっくり寄ってくる。


「いや……っ! 来ないでください……っ!」


「来てくださいの間違いだろ? 素足を放り出して誘ってるじゃねぇか」


「っ!?」


 リルジェシカが乱れたスカートの中にしまうより早く、屈んだ男が靴が脱げ落ちた右の足首をぐっと掴む。


 そのまま、力任せに引き寄せられ。


「嫌……っ!」


 恐怖にリルジェシカは悲鳴をほとばしらせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る