四日目の話
明くる日、私は何の障害もなく手を重ねることができた。
吊り革を持つと、それまで誰にも相手をしてもらえなかったのが不満だったのだろうか、私の手を握る力は昨日よりも強くなっているようである。
光栄なことだ。
誰でもない、私が、孤独を癒してやることができているのだ。
有名な百貨店の看板が通り過ぎ、背の高いホテルが後退し、人気のない踏切が置き去りにされていく。
星よりも明るく疎らな光たちが各々のペースで車窓を横切り、姿を消してはまた生まれ変わる。
無音の風景に包まれた車内には穏やかな時間が静かに流れていて、俯く乗客たちを見渡した私は痺れるような幸福を感じていた。
私が手と繋がっているいるように、皆、誰かと繋がっているのである。
幸福感が心の余裕を生み出すものなのか、心の余裕が幸福感を連れて来るものなのか。
私は周りに優越感を抱いていた自分の視野の狭さを恥じ、周りを孤独と称していた自惚れを改めた。
皆、きっと、孤独ではないのだ。
俯いて手元を見ている彼らは皆、端末によって片手だけで誰かと繋がっているのだろう。
私とは繋がり方が違うだけなのである。
他の乗客たちは私と同じで孤独ではなく、私が手を重ねるのは彼らがやっていることと本質的には同じであるのに違いない。
ただ一つ、異なるのは。
私はもう、彼らと同じ方法では満足することができないということだ。
この手に触れてもらわないと、私はこの幸せの箱の中で、ただ一人孤独になってしまう。
憂鬱に沈みかけたとき、電車が停まった。
降りたことのない、見慣れた駅だった。
普段から乗り降りの少ない駅である。
扉が開いても待っている客はおらず、車内では俯いていたうちの一人が立ち上がり、スマートフォンを片手に持ったまま車窓の薄闇の中へと溶けていった。
若い男だった。
彼はこの列車から降りていっても尚、孤独ではないのだろう。
その発想は、半ば強引なものだった。
隠し切れずに暴れだしつつある独占欲を、孤独感と強引に結びつけるためのものだった。
昨日、この手を侍らせていた紳士を思い出す。
一昨々日にこの吊り革を握っていた女と、その次にやってきた男を思い出す。
もう、目鼻立ちなど覚えていない。
覚えているのは、乗っている手に気づかない愚かで呆けた顔ばかりである。
あんな奴らにも、この手は等しく相手をしているのだ。
だけどそんなことに、果たして意味はあるのだろうか。
手は存在することにすら気づいてもらえず、彼らの孤独が手によって埋まることなどあり得ないではないか。
私にとっては、この手でしかあり得ないというのに。
扉が閉まり、列車が動きだす。
手は、指の先が白くなるほど強く、私の手を握っている。
こんなに求められているのならば、
連れて帰れないだろうか。
悪魔が囁くようだった。
私はたった今、この瞬間、否定のしようもなく、おかしくなってしまったのだった。
喉が上下するのを自覚して、生唾を飲み込んだことに気がついた。
こちらを見つめる爪を意識しながらも、私の目は泳ぎだす。
手を汗に濡らす私は分かり易く興奮し、焦っていて、激しい動悸の音が耳に届いてそれを裏付けた。
吊り革を掴む、私の左手。
私の左手を掴む、私しか知らない右手。
短い爪を載せたその指先に、私は欲に塗れた右手を伸ばした。
手は僅かにぴくりと反応したものの、私の思惑を知ってか知らずか、逃げだす様子はない。
そのまま私はすべすべの手の甲へ指を這わせ、輪の向こう側の手首をぐっと捕まえた。
私の指の中で細い手首は驚いたような動きをするでもなく、ただ、指の力をゆっくりと和らげた。
手首を輪の中から引き出し、また更に引っ張る。
手は、腕は、まるで魔法のようにずるずると吊り革の中から引き出され、肘の辺りで輪っかに引っかかると今度は釣り革ごと私の引く方向へと動き、もうそれ以上は出てくることができないらしかった。
吊り革から腕が生えている。
冗談のような光景である。
無理だったか。
手を離すと、放された腕はだらりと垂れ下がった後、緩慢な動きでするすると輪の中へ戻って行き、いつものように吊り革の向こう側へと消えていった。
私は、笑った。
残念に思う気持ちは確かにあった。
しかしそれを補って余りあるほど、手のことをまた一つ知ることができたという喜びが大きいので、私はそれがなんだかとても可笑しくて、笑った。
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