第3章 岐阜県と平湯温泉

11湯目 岐阜県に行こう

 シニカルで、意地っ張りで、感情表現が少なくて、人付き合いも苦手。どこか「野良猫」のような雰囲気を持つ、花音ちゃんが加入してから、私の部活動、いや同好会活動は、徐々に変化していった。


 6月初旬。花音ちゃんが加入してから2週間くらい経った頃。


 それまで、彼女を「慣らす」ためにも、近場の温泉ツーリングに行っていた我々だったが。

「次はどこに行くかなあ」

 放課後、狭い部室のパイプ椅子に座って、だらしなく足を伸ばした、我らがまどか会長殿が呟いた。


 みんな考えているのか、それとも行く場所が咄嗟に思いつかないのか、私も、琴葉先輩も、フィオも一瞬、間が空いた。


 その間隙を縫うように、ボソっと呟く声があった。


「岐阜県」


「えっ」

「岐阜県?」

 無論、花音ちゃんだった。


「なんで、岐阜県なんだ? 大体、遠くないか? 一泊しないとキツいだろ?」

 まどか先輩の危惧も当然で、山梨県からは長野県を越え、さらにその先の北アルプスの山々を越えないとたどり着けない。


 山梨県民でも、どちらかというと東の甲府盆地外縁部に位置する甲州市に住んでいる私たちにとって、むしろ東京都や神奈川県の方が地理的に近い。

 ところが、


「あるアニメを見たら、岐阜県が出てきまして。それがめっちゃ走りやすそうな風景だったんです」

 花音ちゃんは、目を輝かせていた。

 アニメやゲーム、漫画に影響される辺りは、単純というか、子供っぽいと私は思っていたが。


「しかしなあ」

「岐阜県って言っても広いし、第一どれくらいの時間で往復できるのかしら?」

 まどか先輩は渋り、琴葉先輩は早速携帯の地図アプリから検索していた。


「嫌なら、いいです。私一人で行きますから」

 相変わらずというべきか、花音ちゃんはどこか達観している、というか「一人でいるのが好き」なところがある。


「ここから高山市までは高速と下道で3時間半、岐阜市までは高速で4時間ってところね。まあ、無理すれば日帰りできなくはないけど、どうせなら一泊したいわね」

 琴葉先輩が早速、調べてくれたのだが。


「っていうか、花音ちゃん?」

「はい」


 彼女が不機嫌そうな瞳を向けてきた。何というか、いつも不機嫌というか、眠たそうな顔をしている。やっぱりどこか「猫」っぽいと私は内心、思うが、気にせずに聞いてみる。


「岐阜県のどこに行きたいの?」

「高山です」

 花音ちゃん曰く。


 そのアニメは、東京から岐阜県にツーリングにやって来た男の物語で、その男は会社を辞めてふらふらと旅をしているところで、たまたま岐阜県で知り合った女性と恋仲になり、結婚して岐阜県に移住するのだそうだが。


「いやいや。そいつプータローじゃねえか。仕事辞めたのに金あんのかよ。さっさとバイク売れよって思うし、その女はよくそんなプータローについて行くな」

「そうね。しかも行きずりの女性とねんごろになって、いきなり結婚するのはどうかと思うわ」

 まどか先輩と琴葉先輩が苦言を呈していた。どうでもいいが、「ねんごろ」って今時使わないと思う。


 などと私が思いつつ、

「じゃあ、高山周辺を回りたいんだね?」

 一応、確認してみると、その不機嫌な猫のような彼女は、


「はい。まあ、その辺りをがんがんかっ飛ばしたいと言いますか」

 相変わらずスピード狂の片鱗を見せるような一言を吐いていた。


「しかし天気がなあ」

「そうね。悪い予報なのよね」

 まどか先輩と、琴葉先輩が顔を見合わせる。ちょうど、花音ちゃんが行きたいと言っている、次の土日の天気は、曇り時々雨。降水確率は70%だった。


 さっきからフィオが静かだな、と思って、横に視線を向けると。

 案の定、彼女はパイプ椅子に座ったまま、目を瞑っていた。


「フィオ!」

 さすがに気づいた琴葉先輩の大きな声で、ようやく目を開けるも、彼女は大きなあくびをして、目をこすっていた。

 こっちも、「猫」っぽいと私がほくそ笑む中、彼女は、大きく伸びをして、また目を閉じようとしていた。


 それを慌てて、私が起こして、一応、彼女に説明して意見を聞くと、

「別にいいんじゃないかナ。岐阜県でも」

 相変わらず眠そうな声で、適当な返事を返してきた。


「でも、天気が悪いの」

「天気? ああ、大丈夫、大丈夫。ほら、よく言うでショ。『案ずるよりオムライス』って」

 瞬間、私を含めて、全員が大笑いしており、狭い部室に響く大きな声で、かえってフィオが目覚めてしまった。


「なんだよ、『案ずるよりオムライス』って! めっちゃ美味そうだけど」

「あなた、芸人になれるわよ」

 特にツボに入っていた、まどか先輩と琴葉先輩が、いつまでも笑っていた。


「あれ、違ったっけ?」

「『案ずるより産むがやすし』よ、フィオ」

「あー。そうなんだ」

 仕方がないから、私が笑いながら彼女に教えてあげた。


 珍しく、滅多に笑わない花音ちゃんまでもが、薄っすらと口元に笑みを浮かべていた。

 相変わらず、フィオはことわざが苦手だが、こういうところが、ちょっとした癒しになる。


 そして、ようやく起き出したフィオが、意外な一言を切り出してきたのだ。

「天気を気にして、行かないなんて、そっちの方がもったいないネ。どうせ降られても少しだヨ」

 その瞬間、みんなは頷くが、携帯電話から天気予報を見て、気にしているらしい、琴葉先輩だけは、


「大丈夫かしら」

 妙に深刻そうな顔をしていた。


 こうして、ひょんなことから、1泊2日の岐阜県ツーリングが決まったのだ。


 早速、温泉ツーリング同好会に相応しい、岐阜県内にある「温泉」を探すことになったが、花音ちゃんだけは、あまり興味がないらしく、ツーリングコースを考えているようだった。

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