【怖い商店街の話】 写真屋

真山おーすけ

写真屋

学生の頃、写真が趣味だった父からお下がりのフィルムカメラをもらった。フィルムが少し残っていたから、それを使い切るつもりで友人や近所を撮っているうちに興味が沸いて、気が付けばどこに行くにもカメラを持ち歩くようになっていた。けれど、当時はお小遣いもそんなになくて、フィルムの現像やプリントも気軽には出せなかった。


そんな時、商店街の写真屋でアルバイト募集の張り紙を見た。お小遣い稼ぎにもなるし、何より特典のスタッフ割引に惹かれた。面接をすると、すぐに採用された。その店は西島さんの趣味が高じて出来たもので、地下には銀塩プリントが出来る暗室があった。ほとんどは機械による印刷で、デジタルが主流になった今ではパソコンとプリンターを使う。だが、中には銀塩プリントを求めるお客さんもいて、その時は地下にある暗室を使うのだ。


暗室は文字通り、暗い部屋の中で赤い照明がぼんやりと照らしている。そこにはフィルム現像や印画紙に焼き付ける為の道具や液体が揃っている。


西島さんは店を閉めた後で、時々暗室に籠っては、現像処理したりプリントしたりしている。そのうち、僕にも銀塩プリントの方法を教えてくれて、それが面白くてすっかり写真にはまってしまったのだ。費用もスタッフ割引のおかげで、ごく僅かでやらせてくれた。


僕は、フィルムを印画紙に焼き付けた後、現像液に浸けている時に少しずつ画が浮かび上がって来るところがたまらなく好きだった。許されるなら、一日中でも籠っていたいところだ。


けれど、西島さんとの決まりで、暗室を利用していい時間は1時間だけだった。それを過ぎることは許されず、必ず暗室から出るように言われていた。理由は特に聞かされていないが、きっと材料や電気の使い過ぎ防止だろうと思った僕はあまり時間を気にするタイプじゃないので、夢中で暗室で作業をしているといつの間にか一時間経ってしまう。そんな時でも、西島さんがわざわざ地下に下りてきては、ドアをノックして知らせてくれた。


ある時、店に常連の田村さんがやってきた。田村さんも若い頃からカメラが好きで、よく店を利用してくれる。特にフィルムカメラが好きで、銀塩プリントの利用者だ。カメラを持って全国を旅するのが、定年後の楽しみのようだった。


田村さんはバッグの中から、フィルムをカウンターの上に一個置いた。フィルムに貼られたシールが、かなり薄くなっていて相当古いものだと僕でもわかった。田村さんの話では、亡くなった叔母の遺品整理をした時に出て来たものらしい。叔母は写真が嫌いだったようで、叔母の写った写真はあまり残ってはいなかったそうだ。そんな中で出て来たフィルムだった。田村さんは、非常に興味深いと言った。そして、銀塩で頼むと言って、店を出て行った。


引き渡しは、翌日ということになった。


すると、西島さんがその古いフィルムの現像を担当すると言って暗室に向かおうとしたが、今度は白いワンピース姿の野村さんという女性が入店してきた。


写真が好きなのか、野村さんも店によく来てくれる常連さんだ。持ってくるのは、いつも写真データの入ったメモリーカードだった。暗室に向かおうとしていた西島さんは、野村さんが来店するなり引き返してきた。野村さんの担当は、いつも西島さんがしていた。印刷された写真は、何故か毎回入念に何かをチェックしている。そのため時間もかかる。


「今回もよろしくお願いします」


消え入りそうな声でそう言うと、野村さんはメモリーカードをカウンターに置いて、頭を下げて出て行った。


「私は野村さんの方を担当するから、田村さんの方お願いできるかな」


そう言って、僕に田村さんから預かったフィルムを渡した。


「はい。わかりました」


「いいかい。作業が終わらなくても、1時間以上暗室にいてはいけないよ」


「わかってます」


そして僕は、いつものように地下に下りていき、暗室の中に入った。


部屋の赤い照明をつけると、さっそく作業を始めた。古いネガフィルムを抜き出し、現像用のケースに入れて現像液を浸し、少し経った後で今度は停止液と入れ替えて、それから定着液と入れ替える。こうして現像されたネガフィルムを水洗いして、そのネガフィルムを一時乾かした。ネガフィルムには撮影したものが現れ、それは随分昔の恰好をした人や、平屋建てばかりの街並み、一つの部屋で大勢映っているものもあった。


だが、ほとんどのコマがまるで墨汁をこぼしたように真っ黒になっていた。


ネガフィルムを乾かし、機械にセットして印画紙に焼きつけた。僕は一枚焼きつけた後で、それを現像液に浸した。液の中で印画紙を揺らすと、ぼんやりと白黒の画が浮かび上がってきた。それから、停止液、定着液に浸けた水洗いした印画紙を赤い照明にかざしてみた。その写真は、子供たちがブロック塀の前で遊んでいる様子だった。女の子はおかっぱで、男の子は坊主で、服装も今よりずっと貧しそうだが、みんないい顔で笑っていた。いい写真だと、思った。


次の写真を印画紙に焼き付けた。現像液を浸すと、画が浮き上がってくる。それは、どこかの和室で小さな台を挟んだ両脇に男女二人が座っていた。女性の方は、着物姿に大きなかんざしをつけて化粧をしている。男性の方は、袴姿で整髪されて凛々しい顔つきだった。一見、とてもおめでたい写真のように見えた。だが、写真を見ているうちに、二人の間に立ち上る煙のような黒い影が現れてきた。


僕は焼き付けに失敗したのだと思い、もう一度印画紙に焼き付けた。そして、現像液から定着液までの過程を終えてから赤いライトに照らしてみた。


しかし、そこにはまた黒い影が写り込んでいて、それがさっきよりも大きく濃くなっていた。その影は、よく見れば女性の立ち姿のように見えた。


僕はそれを処分した。


次のネガフィルムを印画紙に焼き付けた。そこには袴姿の男性が写り、右半分が白い靄で隠れてしまっていた。それも、よくみれば白い靄も女性の顔のように見えた。ネガフィルムを確認すると、確かに半分が白くなっているようだった。脳裏に浮かぶのは、心霊写真というもの。


それから、すべてフィルムを印画紙で焼き付けたのだが、ほとんどが白い靄、黒い影が写り込んでしまっていた。結局、普通に写っていたのは五枚ほどで、一枚は着物姿で微笑んでいる女性だった。


西島さんから、変なものが写っていたらまとめて処分するから別にしておいてくれと言われていた。そういう写真は、うちの店ではお客さんに渡さないようにしている。


「これはダメかなぁ」


そう呟きながら、僕は一息ついた。


夢中になりすぎたせいか、急に肩が凝ったように重く感じた。僕が肩に手を当てていると、耳元でボソボソと誰かが呟く声がした。それも一人ではなく、複数聞こえた。


西島さんが僕を驚かせようとしているのかと思ったが、振り返ってもそこには誰もいなかった。ぼんやりと赤い照明が不気味に部屋を照らしている。視線を戻すと、そこには顔に見える白い靄の写真がある。


僕は身震いをしながら、時計の針を見た。すると、暗室に入ってからすでに一時間十分を超えていた。西島さんは、あの白いワンピースのお客さんのプリントで忙しいのだろうか。僕は、片付けをしてから上に戻ろうと思った。


ふと入口にドアを見ると、床に黒いシミのような淀みが出来ていた。


水漏れ?


僕は天井を見上げたが、水が滴っている様子もない。


そのうち、黒い淀みから黒い影が手を伸ばすように僕の足元に近づいて来た。僕はそれを見て、反射的に黒い影を避けた。


すると、黒い影が吸い寄せられるように淀みに戻ると、今度は淀みが波を打って姿を変えた。まるで影送りのように、人の形となった。顔はない。


ただ、真っ黒な影が実体となってそこに立っているだけ。赤い光の中で、黒い人影がこちらを向いている。


その影に見られていると、僕は何だか内臓を掴まれているような圧迫感を感じた。暗室から出たくても、その黒い人影は入り口に立っている。どんどん気分が悪くなっていき、脂汗まで出て来た。


今にも倒れそうだ。


視界が歪んでくる。


その時、西島さんが慌てた様子で暗室に入って来た。黒い人影は、煙の如く消え去った。


「大丈夫かい!」


西島さんが僕に駆け寄って来た。


僕は西島さんに支えられながら暗室から出た。「すまない。いつも君が暗室に入る時は、一時間を超えないようにタイマーをかけているのだが、今日は鳴っていることに気づかなかった」


「僕こそ、決まりを守らずスミマセン」


僕は、店の隅にある椅子に腰かけた。


「少し待ってて」


西島さんは店から出て行くと、五分ほどして裏口に僕を呼んだ。


西島さんは、障られたかもしれないと、粗塩を僕の体に振りかけた。なんとなく、肩の凝りが和らいだ気がした。ただ、「障られた」とはどういうことだろう。それを聞こうと思ったが、西島さんはすぐにまた作業に戻ってしまった。


僕は少し休憩した後で暗室に戻ろうとしたが、西島さんに止められた。


「今日はもう入らない方がいい。あとは私がやっておくよ」


と言ってくれた。


「あの暗室って、何かいるんですか?」


「あまり詮索しない方がいいぞ」


そう言って西島さんはニヤリと笑った。


その笑顔が少し怖かった。


西島さんはずっとパソコンで写真画像のチェックをしているようだった。画像を見る限り、野村さんのデータだろう。画像データを隅々までチェックして、ある画像はおもむろに削除された。何をしているのか尋ねても、はぐらかされるだけだった。


僕は、その後ずっとレジやデジタルプリントの担当をして、閉店一時間ほど前になった頃、西島さんはやっとパソコン作業が終わったのか、背伸びをしながら立ち上がった。一体、何をそんなにもチェックしているのだろうか。僕は気になって、プリンターから出て来た野村さんの写真に目がいった。一見すると、特に問題はないようだが。違和感があるとするならば、やたら白いワンピース姿の写真が多いことぐらいだ。


印刷された写真を西島さんは素早く手に取り袋に入れているのだが、あれほどチェックしたというのにまた一枚そこから抜いた。袋に入れたものは仕上がり箱に入れ、抜いたその一枚を手に取った。


そして、営業が終了した後で、僕に「お疲れ様」と言った後、西島さんは数枚の写真を持って地下一階に下りていった。


僕は気になり、西島さんが暗室に入った後で地下に下りた。暗室の中からカーテンを引くような音が聞こえた。


西島さんお足音が聞こえると、僕は慌てて一階に戻ると、帰り支度をして店を出たのだった。


あの暗室には何かある。


僕はそう直感した。


数日経った頃、僕はフィルムの現像をしたいと西島さんに嘘をつき暗室に入った。照明のスイッチを入れると、部屋はぼんやりと赤い光が灯る。四方の壁には黒いカーテンが掛かっている。あの日聞いた音は、このどれかのカーテンの音だろう。


僕は一番手前の壁から順繰りカーテンをめくった。そこは何もない壁だった。壁にはシミのようなものと、当たり傷のようなものがあった。


一つは作業台の向こう側にあり、カーテンは動かせそうになかった。


もう一つも棚があってカーテンは動かなかった。


そして、最後のカーテンをめくると、壁の真ん中に四角い大きな凹みがあり、収納場所になっているようだった。手前には何枚もの写真が並べられていた。三方向の壁にも、写真が数多く貼られていた。壁には収納ケースが置かれ、中はすべて写真のようだった。見れば、どれもお客さんの写真のようだが、白くなっていたり、赤っぽい光が入っていたりと失敗作ばかりだった。


なんでこんなもの集めているんだろう。


そう思いながら、壁に貼られた写真を見た。どこか違和感のある写真だった。そして、僕はその違和感に気づいた時、全身の毛が逆立った。


写真には三人の女性が着物姿で並んでいるのだが、真ん中の女性の首から上が写っていなかった。その隣の写真を見ると、事故を起こした車のフロントガラスに、悲痛に歪む人の顔が写っているようだった。


心霊写真?


そこのスペースに置かれた写真は、すべて心霊写真のようだ。僕がこの間焼いた黒い人影の写真も、他の写真とともに置かれていた。


何より驚いたのは、壁に貼られた写真の中に、野村さんが写っているものが多かったことだ。顔を近づけてみると、一枚は野村さんのスカートに女性の顔が、一枚には野村さんの肩に老人の顔、もう一枚には足元に赤ん坊が写っていた。他にも、野村さんが写る写真は白く靄がかかっていたり、黒くなっていたりした。


西島さんの作業姿が目に浮かんだ。


「ダメじゃないか。人の趣味を勝手に覗いては。それとも、君にもそういう趣味があるのかい?」


声に驚き、持っていた写真を下に落とした。振り返ると、そこにはニタリと笑っている西島さんがいた。入って来たことに、まるで気づかなかった。西島さんは、僕の隣に立った。


「す、すみません」


僕は呟くように謝った。足がガクガクと震えてくる。西島さんはバラバラになった写真を綺麗に並べている。


「普通の写真は飽きてしまってね。こういったものを集めるようになったのさ。そうしたら、変なものまで集まって来てしまってね」


「変なものって何ですか?」


「さぁ、私にもわからないよ。ただ、そいつらは一時間を超えると、暗室にいる人に悪さをするんだ。前に仲間がここで、心臓発作で死んでね。その時は、一時間半ぐらいいたかな。困ったものだよ」


「何か対策はしないのですか」


「しているよ。気づかなかったかい?」


西島さんは、そう言って部屋の隅に指を差した。そこには、三角に盛り塩された小さな皿が置いてあった。それも四方すべての角に。


「今度お札を買おうと思うんだ。まぁ、ルールさえ守れば大丈夫。安心したまえ」


西島さんはそう言って、黒いカーテンを閉じた。


それを聞いてから、僕は怖くて暗室に入れなくなった。


田中さんに、焼きあがった数枚の写真を見せると、着物姿で微笑んでいるその女性が叔母だといった。遊んでいる子供たちは、田中さんのお父さんだと言って、満足して帰っていった。野村さんも、出来上がった写真を満足して帰っていった。半分ほどのデータは西島さんによって消されたが、それも許可を得てのことだったようだ。


僕は、それから数年後に就職を機に店を辞めた。


地元も離れてしまったから、店や暗室が今もあるかどうかは知らない。

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