青い季節が過ぎても

塩ぱん

1.再会

「南……さんだよね? 南弥生みなみやよいさん」

「えっ!?」

 プロフィールカードを渡す前にフルネームを口にされ、弥生は目を大きく見開いて素っ頓狂な声を上げた。

 相手の男性の顔をまじまじと見る。短く刈り上げた髪に、太く濃い眉。少しつりあがった意志の強そうな黒目がちの瞳。通った鼻筋。見覚えのある気はするが、ピンとこない。弥生は眉をひそめ、首を小さく傾げた。

「ああオレだよ、由木剛志ゆぎつよし!」

 男性は弥生の不審げな表情を汲み取り、左手でおでこを隠して名前を名乗った。

「あっ、えっ、あ! 由木くん!!」

 弥生の脳裏に、瞬時にあの頃の記憶がよみがえる。甘くもほろ苦く、そして今となっては色あせてきた遠い遠い記憶。

「そうです。髪も薄くなり、体もだいぶ大きくなりましたが、あの由木くんなんです」

「いや、そんな」

 おどける由木に弥生は即座に否定したが、おでこに手を当てられてピンと来たのは事実だった。あの頃は少し癖のある髪を眉の上まで伸ばし、筋肉は薄く細身だった。それが今目の前にいる由木は、後退したおでこを隠すことなく、短く刈り上げた髪をツンツンと逆立てて、体つきはがっしりとしている。


「南さんは、変わったけど変わってないね。すぐ分かったよ」

 褒められているのかよく分からないが、由木の『すぐ分かった』という言葉に、弥生はさっと頬を赤らむのを感じた。

「よく私のこと、覚えていたね」

「そりゃそうでしょ。同じクラスだったこともあったし」


 五月のよく晴れた、仏滅の日曜日の昼下がり。シティホテルの最上階にある披露宴会場に、弥生はいた。披露宴会場だが、披露宴ではない。男女各三十名ほどが集まった、いわゆる婚活パーティである。

 同じ県内とはいえ、地元はここから電車で一時間半かかる県の外れだ。まさかこんなところで、同級生に遭遇するとは。


「へー市内の不動産会社で働いてるの」

 弥生の動揺など全く気にも留めず、由木は手にした弥生のプロフィールカードに目を落としている。

「南さんはてっきり医者になるのかと思ってた」

「医者!?」

 思いも寄らぬ由木の言葉に、弥生は再び目を丸くする。医者など目指したこともない。そもそも目指せるような成績でもなかった。

 やはり自分じゃない誰かと勘違いしているのだろうか。そうは思いつつも、由木のプロフィールの方が気になる。弥生も手元のカードへ目線を落とした。

 

「スポーツ整体師……」

 由木は今でもスポーツの道にいるのか。安堵にも似た気持ちで弥生が呟くと、由木は右手を後頭部に当てて笑みを浮かべた。

「そうなんだよ、プロ野球選手にはなれなかったんだよねー」

 由木は弥生の呟きを、別の意味に捉えたらしい。いやそんなと弥生は即座に由木の言葉を打ち消したが、伝わっただろうか。


 プロは狭き門だ。努力だけではどうにもならないことは、縁のない弥生にだって分かる。そして由木がプロにならなかったことも、弥生は知っていた。

 カードの気になっていた箇所へと視線を滑らせる。結婚歴、あり。子ども、なし。


 強く早く鼓動し始めた心臓を意識しながら弥生が顔を上げると、由木は椅子から立ち上がったところだった。

「またね」

 軽くそう言い残すと、由木は次のテーブルへと向かっていった。三分の自己紹介タイムは終わり、次の男性が弥生の前に座った。

 爽やかな青いレモンのようなコロンの匂いを漂わせる男性は、爽やかに話しかけてきたが、弥生はもう上の空だった。

 

 中学で、由木は入学するなり野球部で頭角を現した。一年ですぐにレギュラーとなり、先発ピッチャーだった。意志の強そうな印象的な瞳にすらりと背も高く、彼に憧れる女子は多かった。一方で弥生は、特に得意なこともなく、大して容姿にも恵まれず、時折姿を現すニキビとぽっちゃりし始めた体形に悩む中学生だった。


 あの頃よりはメイクも覚えたし、多少は痩せた。だけど今でも決して美人でも可愛くもない。由木の目には、今日の自分はどう映ったのだろう。弥生の胸はきゅっと締めつけられるように小さく痛む。

 さっき由木は、変わったけど変わってないねと言った。それはやっぱりあの頃のように、パッとしないということだろうか。

 今日は今までの自分を変えるために決心して来たというのに、また36年間抱えていたコンプレックスがむくむくと胸のなかを支配し始めていた。

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