E・E・L
姫路 りしゅう
1.まずは目的地を設定しよう
「おう、まだ生きてるか、竹山」
二年ぶりに日本へ帰国した戸川は、病室の扉を開けると同時に、ベッドに横たわる竹山に向かって声をかけた。
「なんとか生きてる。っていうか開口一番それかよ」
竹山は上半身を起こして気さくに笑った。
「マジで帰ってきてくれたんだな、俺のために」
「ああ、って言っても一泊して明日の夜にはまた飛行機に乗んなきゃいけねえけど」
「激務すぎる。逆によく帰国できたな」
戸川は照れたように笑って頭を掻いた。
「それなりに無理した。まあ、親友の最期だからな」
出来るだけ暗い雰囲気にならないよう、あっけらかんとした口調で言う。
竹山は、もうすぐ死ぬ。
彼が余命一ヶ月を宣告されてから一週間が経った。日に日に体が痛む時間が増え、体力が落ちていくのを彼自身も自覚していた。
「言わないんだな」
竹山がポツリと呟く。
「なにを?」
「まだ若いのに、だとか、本当に死ぬのか、とか。ここを訪れてくれる人の全員が口を揃えてそう言うからよ」
「言ってほしいのか? なら言うけど。まだ若いのに」
二人はぎゃはは、と豪快に声を上げて笑った。
「実際死ぬには若いけど、もうだいぶ歳を取っちまったみたいなところはあるよな」
戸川と竹山は同い年で、二人とも今年四十歳になったばかりだった。
戸川の言う通り、四十歳という年齢は、二〇三二年の現代日本において死ぬにはかなり早い年齢である。
「兼好法師もそれぐらいが死ぬにはいい日だ、って言ってなかったか? まあ座れよ」
「そんな海賊みたいな言い方はしてなかったと思うが……」
戸川はベッドの横の椅子に腰掛けた。
「今朝は何時くらいに成田についたの?」
「朝の五時くらいかな」
「朝早いな。時差ボケとかは?」
「アメリカから日本に来るときはまだマシな側。逆が地獄なんだよね」
竹山はそうなんか、と呟いて時計を見た。
時刻は午前の十一時過ぎ。戸川が空港についてから六時間ほどが経過している。
この病院は東京都内にあるので、本来であれば二時間程度で到着するはずだったが。
「そこから六時間は久しぶりの日本観光か」
戸川は乾いた声で笑う。
「空港着いてさ。朝飯食おうとマック行って」
「アメリカ帰りにマック行くなよ」
牛丼とか行けよ、と突っ込む。
「ハンバーガー片手に店内で『この街も変わんねーな』って割とデカ目の声で呟いたんだけど反応なくて朝からガン萎え」
「ハンバーガー師匠じゃん。そのネタもう二十年くらい前のネタだろ伝わんなくて当たり前だわ」
「SNS投稿してもいいね2つ」
「やめろ! 親友が痛いおじさんになっていく過程を見せるな!」
「ちなみにビジネス垢のほうね」
「もっとダメだわ、最悪だよビジネス垢でしょうもない大昔のネタを擦る中年!」
竹山は久しぶりに大きな声を出した。昔からずっと、戸川と話しているときだけは、辛いことや悲しいことが頭から消えて、ただ馬鹿な話に集中することができる。
「もう中年か……」
「駄目になったねぇ~~~!」
「ネガティブなもう中のモノマネやめろ、もう二十年以上前じゃねえかそのネタも!」
突っ込んでから竹山は目を伏せて、しみじみとした声色で「まあ、こんな風に老いていってしまう悲しみと別れられるって思うと、死は悪いことばっかりでもないわな」と言った。
人間は、死んで完成すると言ったのは誰だっただろうか。
部屋が少しだけ沈黙に包まれる。
それを感じ取った戸川が、わざと明るい声を出した。
「さて、じゃあ俺がお前に会いにきた本当の理由を明かそうと思う」
その改まった物言いに竹山は思わず姿勢を正した。
「なんだ、なんかの勧誘でもされるのか?」
「死にゆくお前を詐欺に引っ掛けてなにを得られるんだよ俺は。なんの成果も得られませんよ!」
「それでも進め!」
「斡旋すな。いや、お前って今はまだ外出できるだろ? ちょっとやっておきたいことがあってさ」
戸川はそこで少しだけ間を置いて、窓の外を見る。
「竹山はさ、天国って、あると思うか?」
怪訝な顔で応えると、戸川は慌てて手を振った。
「待て待て、今はなにも宗教の話がしたいわけじゃねえ。天国でも極楽でも、冥土でもあの世でもいいさ。ともかく、そう言った死んだ後の世界をここでは天国と呼ぶことにする」
竹山は顎に手を当てて「もちろん余命宣告を喰らってからそう言うことは考えたけど……まあ、結論としては、あるといいなあ、かな」と言った。
戸川は微笑んで、指を一本立てた。
「そんな天国について、これはとある筋から仕入れた有力情報なんだが……」
やけに勿体ぶる戸川だったが、彼の語りが回りくどいのは昔からなので、竹山はむしろそれを懐かしく感じていた。
「知ってるか? 今天国では海の美しさについて語るのが流行ってるんだ」
「……」
「竹山、海は見たことあるか? もし海を見たことがないなら、置いてけぼりにされちまうぞ」
「……」
「……」
その言葉を咀嚼した竹山は、呆れた顔で言う。
「言いたいことがふたつ。ひとつ目。海くらい見たことあるに決まってるだろうが。ていうか一緒に食っただろう大洗であんこう鍋」
「美味かったなああれ」
「んでもうひとつ。これも知ってると思うんだけど、そのセリフの元ネタの『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』は、俺の一番好きな映画なんだわ」
戸川の言った”とある筋”とは、一九九〇年代のドイツ映画のことだった。
余命宣告を受けた二人の若者が、天国で話題に乗り遅れないために病室を抜け出して海を見に行くロードムービーである。
竹山の一番好きな映画だ。そして戸川も、もちろんこの映画が大好きだった。
「そもそも俺が戸川に教えたんじゃなかったっけ?」
「そうだよ。まだ大学生の頃だった気がするから出会った直後とかじゃねえか? 確か、お互いに『百二十分を越える映画はちょっとしんどいよな』って話で盛り上がった後にお勧めされた気がする」
「戸川は『スタンドバイミー』を持ってきたんだっけな」
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』も『スタンドバイミー』も、両方九十分しかない映画である。
その短さに反して心に大きなものを残す二作品が、二人は大好きだった。
思い返せば戸川と竹山は、知り合ってからの二十年間、ずっとおすすめの映画や小説、漫画の話ばかりしてきていた。
そのおすすめし合ってきた人生の最後を、出会ったの頃の思い出の作品パロディで締めるのも悪くないな、と竹山は思った。
思ったものの、彼は海を見たことがあったので、天国での流行についていけないと言ったことはなさそうだった。
「確かに余命宣告を受けた俺が病室を抜け出して海を見に行くのはとても詩的でやってみたいんだけど、生憎海有り県で生きてたからなあ」
戸川は口元を引きつらせながら、そうだよなと声を絞り出した。
その後数秒押し黙った後、「あ」と手を叩く。
「ほら、今天国では富士山の高さについて語るのが流行ってるんだ」
「海の話題はどうした」
「話題なんてすぐに移り変わるものさ」
「天国の人たちもミーハーなんなんだなあ」
しかしこれまた生憎ながら、竹山は富士山有り県に住んでいた時期もあったので、天国での話題に乗り遅れなくて済みそうだった。
「……あ、じゃあ!」
「じゃあって言ったな今」
「トレンドカラーはブラウンらしいけど」
「ファッションの話!?」
「ああ、もう鰻! 今天国では鰻が流行ってるらしい! 鰻食ったことあるか?」
「や、だからさすがに鰻も食ったこと……いや、待てよ?」
竹山は顎に手を当てて考える。
「鰻自体は食ったことあるんだけど、俺、ひつまぶし食ったことないわ」
ひつまぶし。
名古屋めしの一つで、鰻の切り身をお櫃に入ったご飯にまぶした料理である。
お櫃から茶碗に注ぎ、ネギやワサビなどの薬味と合わせて食べたり、お出汁をかけてお茶漬けにするなど、多様な食べ方が楽しめる料理である。
戸川は小さくガッツポーズをして椅子から立ち上がった。
「じゃあ、ひつまぶしを食いに行こう!」
「……え、今から? この辺にそんな店あったかな」
電子デバイスを操作し始めようとした竹山の手を掴んで、戸川は宣言する。
「なに言ってんだ? 行くだろ、名古屋」
「……お前の方こそ、なに言ってんだ?」
こうして二人は、弾丸的に名古屋市へと向かうこととなった。
これは、どこにでもいるサブカル好きだった男が、死ぬ前に鰻を食べに行くだけの、平凡な物語である。
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