皆様、私は人形でした

星 高目

皆様、私は人形でした

 学校の屋上の淵から見る街の景色は、今にも沈みそうな夕日に照らされて存外綺麗だった。

 ここから見えるいくつものきらめきは、それぞれに温かい人の営みを映し出している。

 私はというと、寒々しく吹き付ける秋の風と、どうしようもない寂寥感に包まれているというのに。

 屋上のフェンスを乗り越えたその向こう側、人がようやく立てるかどうかというところに行こうと思ったのは、今日特別嫌なことがあったとか、誰かに虐められているとかそんなニュースでよく取り上げられるようなものではない。

 ただ、どうしようもなく心が寒々しかったのだ。

 それが苦しくてたまらなく、どうしてだろうと考えたときにただ絶望した。


 昔から、私には友人と呼べる人はいなかった。

 人に誘われて遊ぶことはあったが、そのどれもでいずれ遊ばなくなってしまった。

 

 幼稚園の時分におままごとに誘われたことがある。

 私は母親役だった。

 母親というのは、子どものためを想ってなんやかんやと子どものやることなすことに口を出すものだと理解していたから、私はその通りにした。

 ピアノを弾いてみよう、勉強をしなさい、その遊びは汚いからやめなさい、そんな言葉づかいはいけません。

 初めは笑っていた子どもたちは、やがて辟易したようで私を無視して遊ぶようになった。


 小学校の時分に、ドッジボールに誘われたことがある。

 初めはボールをうまく投げることができずに、ボールを当てられて転んでばかりいた。

 グラウンドでやっていたものだから、砂に塗れて帰った私を母は詰った。

 あなたの服は砂で汚れていいものなんかじゃないの、そんな時間があったら勉強をしなさい、中学校はちゃんと選ばないとだの。

 どうしていけないのかというと、決まって母はこういう。

 それはあなたのためよ。私たちより幸せに生きてもらいたいの。

 それから仕事から帰ってきた父に母は同意を求めた。

 父はどうでも良さそうに言った。

 遊んでもいいが、絶対に一番になれ。一番を目指す経験は将来に活きるのだと。

 母は悔しそうに顔を歪めたが、私がドッジボールで遊ぶことを許してくれた。

 私はその日からしばらく、スカートではなく動きやすいズボンを履き、毎日のように休憩時間にはドッジボールに参加した。

 それでもまだ一番には程遠い。

 だから暇を見つけてはボールを壁にぶつけては取る練習を何度も繰り返した。

 突き指は数えきれないほどした。潰れたボールは両手の指の数を超えた。

 やがて私はドッジボールでも負けない様になった。

 例え男子が相手でも当てるし、アウトは取られない。


 でも一番にはなれなかった。

 やがて男子は私を狙わなくなり、私に味方がパスすることもなくなった。

 どうしてかと問うと、皆こういうのだ。

 お前とやるとつまらないから。

 一番というのは、皆が憧れて、羨んでやまない存在であると理解していたから、そうなれなかった私はドッジボールをやめた。

 

 私の両親は私に常に厳しく接している。

 テストで百点以外を取ると怒られるし、通知表に少しでも瑕疵があれば説教される。

 けれどクラスメイトは百点でなくても怒られないし、成績が悪かろうとなんでもなさそうにしている。

 なぜと母に問うたことがある。

 母はそれは周りが馬鹿なだけよと言った。

 今度は父に問うた。

 一番でなければ意味がないからだと父は言った。


 私には二人の答えがよくわからなかった。

 周りの人間にも私に近しい成績の子はいる。

 けれどその子たちは百点でなくとも誇らしげだ。

 百点を取ったときには、誇らしげに周りに自慢して褒められている。

 私もまねをして百点のテストを母に見せたが、それが当たり前だという顔で、次の勉強を促されただけだった。

 父も似たようなもので、そうかと一言言って風呂に入ってしまった。

 一番の私は褒められることもないのに、一番でない子たちは褒められる。

 なら、この一番に一体何の意味があるというのだろう。


 こんな私でも一度、恋の情熱というものに身を焦がしたことがある。

 クラスでは目立たないいつも一人でいる男の子。

 そんな彼に酷く心惹かれた。

 今思えばそれは恋心ではなく、ただ仲間が欲しかっただけなのだろうと思う。

 思い切って彼に告白したけれど、振られてしまった。

 僕ではあなたに釣り合わない。きっともっといい人がいるよと。

 次の日は私が彼に告白したことで学校中の話題は持ちきりで、彼は一躍人気者になっていた。

 仲間だと思っていた彼はまんざらでもなく嬉しそうで、私はそこでようやく思い違いだったことに気づいた。

 どうも耳聡い母にもそのことを聞きつけたらしくいつものように私を叱り、相応しい相手を私が見つけるから勉強に集中しろと言った。

 父は面倒くさそうに、一番に相応しいやつがいるだろうとだけ言った。

 私はそういうものなのだろうかと、もうどうでもよくなった。

 

 それから私にはこれという想い出がない。

 文化祭や体育祭といった学校行事も、一番を目指すだけのただの作業でしかない。

 けれどクラスメイトはそのたびに協調性やいい思い出を作ろうといった言葉を吐いている。

 それなら一番を目指そうと私が言っても、彼らは何かと事情をつけては練習をさぼるのだ。

 それで一番以外をとっても、彼らは満足そうに抱き合っている。

 私はまた怒られる。

 時には本気で一番を目指そうという人たちもいた。

 その時には私は嬉しくて、少しの瑕疵も見逃さないよう改良点を提起していった。

 彼らは初めこそそれを受け入れていたものの、やがて私は練習に誘われなくなった。

 そしてクラスは一位を取った。

 喜ぶクラスメイト達の中に私は入ることができなかった。

 クラスメイト達が私抜きで練習を重ねていたことを知ったのは、担任が行事前日までみんなが練習していたことを褒めたからだ。

 彼が私に向ける目は冷たかった。

 私は、なにが正しいのかわからなくなった。

 

 そして高校に入って一週間が経った今日、私は陰口を聞いた。

 あの子、人形みたいで気味が悪いよね。

 

 それでようやく私は私のことを理解したのだった。

 

 私の人生は空っぽだ。

 私は人間という生き物の一人としてではなく、ただ肉の器に収まり人間のまねごとをしている人形だった。

 周りが当たり前に持っている心などない。

 共感や喜怒哀楽、そういったものがどうしてか私にはないのだ。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 夕日は刻々と沈み、私の存在に気付いた生徒たちが騒ぎ始める。

 その中には携帯のカメラを嬉々として向けている者もいた。

 職員室にも騒ぎが伝わったようで、先生方がぞろぞろと校庭に出てきた。

 考え直せ、私たちに相談してみて、まだ先は長いのよ、などと口々に凶行を止めようとしている。


 誰も、わかっていないのだとより一層寒気が増した。

 考え直したところで、何も変わらないのだ。

 相談したところで、両親もクラスメイトも、何も解決はしないのだ。

 先が長いからこそ、絶望がいや増すのだ。


 私のこれまでは、ただ両親に操られる人形でしかなかった。

 なら私のこれからは何になるというのだろう。

 人形が人間になるために多くのことを学んで、それでようやくスタートラインで。

 そしてこれまでの私の全てを否定すればいいのか。

 私の今までは、一体何だったのだろう。

 勉強に割いた時間も、一番になるためにした努力もすべてが無駄で。

 今まで怒られてきたことが人間として正しかっただなんて。

 なんて馬鹿馬鹿しいことだろう。


 眼下を見やる。

 夕日に照らされて赤く色味づいたアスファルトが、のっぺりと私を待っている。

 ここから飛び降りたとき、私の体からぶちまけられるのは肉か綿のどちらだろうか。

 とてつもなく痛いだろうか。苦しみは一瞬で終わるだろうか。

 あの人たちは人形を失ったことを嘆くのか、娘を失ったことを悲しむのか。

 眼下の彼らは生涯に一度あるかないかの出来事に歓喜するのだろうか。

 私の死に、だれが心の底から涙を流してくれるだろう。


 やがて夕日が沈んだ。

 屋上のドアがばたんと開けられた。

 振り返れば、クラスメイトの男子が息を切らして立っていた。


「君が好きなんだ!だから自殺なんてやめてくれ!」


 ああ。

 私を好きだと言ってくれる人がいたんだ。

 の、この私を。


 私は宙に一歩踊りだした。

 一番星だけが私を見下ろしていた。

 彼が手を伸ばしている。

 けれどその手が私に届くにはあまりにも遠くて、すぐに屋上の淵に隠れて見えなくなった。

 もし私が初めから人間であれたなら。

 そうしたら幸せに生きられたのかな。

 

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