偶然を装う

津多 時ロウ

偶然を装う

 ――津軽塗つがるぬりという伝統工芸品がある。

 その技術は青森県の西半分、津軽地方の職人たちによって代々受け継がれてきたという。


 私は、弘前ひろさきへの長期出張のかたわら、休日ともなれば、店舗に併設へいせつされた工房をガラス越しに見学できる漆器店へ顔を出すようになっていた。外へ出ず、店舗の中からベンチに腰掛けて眺められるのがありがたい。

 男の一人暮らしに少しいろどりを加えてみよう、そして折角だから地元のものを見てみようと思い立ったのがきっかけだった。しかし、清水きよみずの舞台から飛び降りる気持ちで、一通り什器じゅうきそろえた後は、これも職業柄しょくぎょうがらだろうか。もっぱら、その製造工程への興味と熟練の職人たちの手際てぎわの良さを眺めるために足を向けていた。


 私は、国内で高いシェアを持つ金属部品加工会社に大学を卒業してすぐに就職し、営業、経理と経験をさせてもらった。その後、総務課長を務めているときに、工場での経験がないにもかかわらず、工場長補佐として品質管理を任され、凡庸ぼんようながらもどうにか頑張って働いてきた。全く同じ品質の、全く同じサイズの金属部品を顧客に送り出し続けられるようにと。

 それが認められたのか、はたまた会社の異動命令にこれまで一切の不満も漏らさず、無難にこなしてきた都合の良いコマとしてか、今度は青森県で建設を予定している新工場について、その候補地を見つけてこいとの出張命令が下されたのだ。


 人のことを何だと思っているのだと、初めは戸惑いもしたが、息子と妻に相次いで先立たれていた哀しい男のひとり身。断る理由も見当たらず、じきに弘前市内で候補地を巡ることになった。


 或いは――

 或いは息子が自殺などせずに今も生きていれば、妻も死なず、私にも違う選択肢があったのかも知れない。どうして自ら命を絶つことを選んでしまったのか、実行してしまったのか。残念ながら思い当たる節がなかった。

 息子は小さい頃に漫画家になりたいと言ったことがある。息子が漫画を大好きなのは知っていたし、私も漫画は大好きだ。だからこそ、漫画家として食べていけるだけの収入を得るのは難しいことも知っていた。それに、息子の絵にはどう見ても才能が感じられない。ひもじい思いをさせたくない一心で、どうにか諦めさせたものだった。

 その後もプロ野球選手になりたい、海外の大学で植物の研究をしたいなどと言ってきたが、私の子供がプロになれるほど運動神経がいいはずはないし、外国語を使いこなせるようになるわけもないと、お前には特別な才能などないから私と同じように会社勤めをするしかないのだと散々説得した結果が、入社2年目の自殺だった。

 私の育て方が何か間違っていたのだろうかと、虚空に問うてみても、返事はない。

 息子が生きていれば答えてくれたかも知れないが、もう分からなくなってしまった。


 或る休日のこと、例の如くガラス越しに津軽塗つがるぬりの職人たちを眺めていると、今日の店番のおきなが私に声を掛けてきた。いつもは工房で作業をしている大ベテランだ。


お前おめさん。最近、よくここへ来なさるね。気に入って頂けたかね?」


「ええ、とても。一つ一つ、一日一日、完成に近づいてゆく様子が見られるのは、実に面白いものです」


「分かるよ。も、他の職人たちも毎日変わる表情を楽しみにしてんだ」


「なるほど。ところで、このお店においてある唐塗からぬりって、とても手間がかかるようですけど、何工程くらいあるんですか?」


「そうだな。まず下地したじ作り、津軽塗つがるぬりだと堅下地かたしたじっていうんだけども、これが17工程。その後、唐塗からぬりが25工程あるから、42工程くらいあるってことだな」


「漆って塗った後、いちいち乾かさないといけないんですよね。それだけ工程があるとかなり時間が掛かるんじゃないですか?」


「おお、その通りだ。塗っては乾かしを繰り返すから、出来上がるまでに1,2ヶ月はかかっちまうね」


「へぇ、手間暇掛かっているんですね」


 それから私とおきなは再びガラス越しの風景をしばし眺める。

 年配の女性の職人が横長の厚紙のようなものを持ち、小さな鍋から熱せられた漆をすくい上げて台に移すと、色を加えて手早くこねる。その次は、先端が図案化された太陽のようになっている特殊なヘラ――おきなによれば仕掛けベラというらしい、それを使って先ほどの漆を手際よく置いてゆく。


「あの漆を点々に置いている独特な形状のヘラですけど、あの工程を工夫したら同じがらの商品を作れるんじゃないかと思うんですけど、やらないんですか?」


お前おめさん、よく見てなさるね。確かに、技術を持った職人たちが頑張れば、全くとは行かないまでも同じがらを再現出来る可能性はあるよ。でも、それだと工場で印刷した安物と見た目は変わらない。それに、みんな同じだなんて面白くもなんともないじゃないか。あのまだらに置かれた漆と、何層にも塗り重ねられた色漆いろうるしを削る。これを人の手でやるからこそ浮かび上がる偶然の味わいというものがあるんだ」


「偶然の味わい……。皆がそれを良いと思わなくなったら、……良いと思う人が一人もいなくなったらどうします?」


「そんな余裕のない世の中になってしまったら、いよいよ店仕舞みせじまいして、じじいは南の国で悠々と暮らすとするさ」


 ああ、そういう事だったのか。

 私は結局のところ、人はそれぞれ違うということに気が付いていながら、自分の子供だからと規格化してしまっていたということなのだろう。


 息子が偶然をよそおうことを、父親の私が愛しさえしていれば、息子は、そして妻は今も元気だったのかも知れない。

 8畳の冷え切った城で”けの汁”を飲み干した後、その津軽塗つがるぬりの透明な黒漆に浮かぶ星をまじまじと見つめながら、私はひとり呟き、深く溜め息をいた。


「人のことを、なんだと思っているのだ……」


〔完〕

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