短編集『ニアリーイコール』

ふとんねこ

『一匙の毒で』 純文学

 私は浅ましくも、貴方を独占しようとしています。


 その浅ましさ、愚かしさを理解しながらも、私は、どうしても貴方から離れることができないでいるのです。



 こんな私をどうか赦してください。



――――――



 私はとても不器用です。

 皆のように上手に生きられないのです。


 人付き合いは苦手です。

 けれど孤独は耐えられない。


 何故でしょうか。

 どうして私はこう生まれついたのでしょうか。

 それを教えてくれる人はいません。


 私には呼吸することでさえ痛く苦しい。

 まるで、どろりと重たい酸を流し込まれて肺腑を焼き焦がされるように。


 普通に生きるということがあまりにも難しい。

 まるで、終わりなき干天の下の道を、冷たく痛い鎖を引いて歩いているように。


 死んでしまいたいと呻きながら、自ら命を断つ勇気もなく、私は今日も死人の如くずるずると足を引きずって重苦しく生きているんです。




 だから、だからこそ。


 貴方の存在は、私が生きていく上で重要なんです。

 上手に生きられない私と、まるで正反対な貴方。

 上手に生きながら、私の手を引いてくれる貴方。


 どうしようもなく大切なんです。

 貴方無しでは、私は生きていかれないのです。

 貴方といる時だけ、私は生きた人でいられるんです。




 貴方に、他に親しい人がたくさんいることを知っています。

 当然です。貴方は私と違って上手に生きられる人だから。


 輝かしい生を謳歌して、同じく命の煌めきを瞬かせる者たちと触れ合い、私の知らない話をしている。


 貴方の口から、小鳥の囀りの様に楽しげにそれらの名前が転がり出てくるのを、私はいつも黙ったまま、じっと微笑んで聞いています。


 微笑みは私の仮面です。

 弱くて、愚かで、生きながら死んでいるような私が、この痛く苦しく重たい生を背負っていくために必要な仮面です。

 この仮面を被っている時、私は他と何ら変わりない生者のふりをしています。


 貴方の口から転がり出てくる私の知らない名前を、じっと砂を食むように聞きながら、微笑みの裏で、私は目を見開き、叫んでいるのです。


 私だけの貴方でいて、と。




 どうかどうか、赦してください。


 生きながら死んでいる、そんな私が、傲慢にも、輝かしい生の煌めきを持った貴方を独占したいと叫ぶことを。


 これは赦されざることです。


 私のような者が、いいえ、誰であれ、他人である者を独占しようと考えることは間違っているのですから。


 でも、考えずにはいられないのです。


 貴方が私だけのものであったら、と。




 貴方が私の知らない名前を喜ばしげに口にするたび、途方もない怒りが、私の底の方で、骨髄の中で、ふつふつと煮えているのです。


 その怒りは、体の内側から、細い針で刺すように、じっと、私を苛むのです。


 どうして私の前で、そんな楽しげに、私の知らない人のことを話すことができるの、と。


 そしてひりつく酸性雨のような妬心が身を焼くのです。


 嗚呼、羨ましい。

 私も貴方のように上手に生きられる人であったら、と。


 それから訪れる底無しの淵のような罪悪感。そしてひりひりと肌を焼くような自分への嫌悪感。


 何故私はこんなにもすべてを欲しがるのでしょう。

 今与えられているものすら、私には過ぎたものなのに、何故。




 貴方にも、夜眠れなくなるくらいの悩みがあることを知っています。

 上手に生きられる貴方の悩みを聞きながら、私はいつも震えているのです。


 貴方の悩みを聞くことができるという喜びに、体の芯から震えてしまうのです。


 嗚呼、なんて浅ましい。


 貴方が悩み、大切だと言う人々との関係に、貴方の知らぬ間にそっと毒を吹き込んでしまう私は、きっと、いずれ地獄に落ちるでしょう。


 そうまでして、貴方を独占したいと思う私の心に気づいた時、貴方は何と言うのでしょうか。




 上手く生きられない代わりに、私は昔から周りを壊すことが得意でした。


 まるで綿菓子みたいな甘くて柔らかな関係には、そっと一匙の毒を注ぐだけ。

 細い細い飴の糸を伝って、毒はいずれ綿菓子のすべてを溶かすでしょう。


 ぶつかり合いながらも、常に離れないドロップたちの関係には、一粒ずつ、違う香りの毒を塗り付けるだけ。

 ドロップたちは、いつも通りぶつかり合いながらお互いを削り始めるでしょう。




 どうして私はこう生まれついたのでしょうか。

 あまりにも浅ましく、それを理解しているから恐ろしいほどに息苦しい。


 だから、貴方だけなのです。


 喘ぐように息をしながら、腐りかけた腕を精一杯広げて貴方を囲うのです。


 何も知らない貴方を、甘い毒で囲んで、私だけのものにしたいのです。

 囲んだ私も、囲まれた貴方も、最後は共にぐすぐずに溶けてしまうまで、一緒にいたいのです。


 ……あと少しなんです。


 蜘蛛の糸のように細く広く、周到に巡らせた毒がそろそろすべてを溶かすのです。


 そうしたら、貴方には、私しかいなくなるのです。


 私には、貴方しかいないように。




 もしかしたら貴方に知られてしまうかもしれないという恐怖すら、もう、今の私にとっては、その甘やかさに痙攣してしまいそうな程、魅力的なのです。


 あまりの緊張に息が詰まります。

 時間がかかりすぎて、どこか壊れてしまったように私は浅い呼吸を繰り返しています。


 貴方がすべてを知った時、しとしととその両の目を濡らすであろう涙の雫が、きっと天上の甘露のように甘かろうと想像するだけで、熱い溜め息が漏れてくるのです。




 これが最後の一匙です。


 私は浅ましくも、この毒によって貴方を独占しようとしています。


 その浅ましさ、愚かしさを理解しながらも、自分の毒によって壊死した私の手は、どうしても貴方を離せずにいるのです。


 こんな私をどうか赦してください。


 そしてどうか、お互いが混ざりあって境目が見えなくなるまで――――


 ずっと、私のそばにいてください。


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