反撃(2)
トゥナがついにそう叫ぼうとしたそのときだ。グリムの首筋に凍えるように白い刀身がが突き立てられた。
「………!」
グリムが凍り付いたように動きを止めた。むさ犬だった。むさ犬が手にした太刀をグリムの首筋に突きつけていた。しかも、刃をグリムの首に向けて。
あと少し、ほんの少し腕に力を込めただけでグリムの首をはね飛ばせる。そう言う構えだった。
「いい加減にしろ。年端もいかぬ小娘をいたぶるなど、おれの趣味ではない」
「な、なんだと?」
グリムはむさ犬を睨み付けた。
「き、きさま、イヌっころの分際でご主人さまに歯向かう気か……」
グリムはむさ犬を睨み付けたが、額から一筋の汗が流れ落ちていた。内心では怯えきっているのが一目でわかった。
――ざまあみろ!
トゥナはこんなときにも関わらず、心の底からそう叫んでいた。
むさ犬はいつも通りの死を見据える目でグリムを見ていた。静かに言った。
「おれはイヌではない。
「む、む……」
グリムの表情が赤くなり、青くなり、それから紫になった。その変化はまったくもって見苦しいもので、グリムに対して少しでも反感をもっている者なら『ざまあみろ!』と快哉を叫ばずにはいられないものだった。
トゥナは少しどころか徹底的にグリムに対して反感と嫌悪感をもっていたので、足を振り上げて、チアリーダー気取りでむさ犬を応援してやりたいぐらいだった。
「グググ……」
グリムの顔面で冷や汗と脂汗が混じり合い、滝のように流れ落ちた。もちろん、グリムもわかっている。自分が何をどうしようがこの男に対抗しようがないと言うことは。怒らせるわけには行かない、敵に回すわけには行かない。そんなことをすれば自分が殺される。
我慢とか、他人に譲るとか、そう言う一般的には美徳とされる要素とはまったく縁のないグリムであったが自分の生命は愛していた。死んでしまえば他人を思いきり苦しめ、切り刻むことも、名誉と尊厳を踏みにじり、汚泥のなかに踏みつぶしてやることもできなくなってしまう。
自分はまだまだその楽しみをタップリと味わうのだ。なぜなら、それこそが『強者』としての自分の権利なのだから。ここで死ぬわけには行かなかった。
「ふ、ふん。好きにするがいい。せいぜい逃がさぬよう見張っていろ!」
グリムはそう言うと腹立ち紛れだろう。ドスン、ドスンと不自然なほどに足音高く牢を出て行った。何とも子供じみた態度だった。グリムという人格にはよく似合っていたけれど。
「……ねえ」
トゥナは残ったむさ犬に声をかけた。意識してせいぜい可愛く、甘えたように聞こえる声を出した。グリムに対してはとうてい、そんな媚を売る態度はとれないが、この男ならまだしも許容範囲内だ。この男はグリムとはちがう。あの一馬が憧れに近い感情を抱くほどの本物の武芸者。自分を鍛え、高みに駆け上がることを知る人間なのだ。
この男だけが唯一の希望だった。もし、この男が味方になってくれれば、ひとりでグリムとその手下全員を斬り伏せ、アネモネを助けることができる。そのためだったらこれぐらい……。
「ねえ、何であなたみたいな人が、あんな奴に使われているの? 別に恩義があるとか、そう言うわけじゃないんでしょう? だったらさ……」
ジロリ、と、むさ犬はトゥナを見た。その視線ひとつでトゥナは何も言えなくなった。
「お前はおれに戦いの場を与えられるか?」
「えっ?」
「おれは〝強いヒト〟だ。戦うために作られ、戦うために生み出された。にも関わらず、世の人間たちは戦いを禁じている。戦うために作り、戦うために生み出しておきながら、それを禁じる。それがどれほど理不尽で苦しいことか、天然ものにわかるか?」
「むさ犬……」
「戦うことは〝強いヒト〟の本能。そういう風に作られている。その本能を満たせないことがどれほど苦しいことか。戦い、殺すことを認めないならなぜ、戦う本能をもつ人間など作った? だから、おれは鎖を外し、地下世界に潜った。地下世界にならば戦いの場があるからだ。命を懸けた戦いができるからだ。お前の言うとおり、あの男には何の義理も恩義もない。だが、あの男といる限りは、おれは命を懸けた戦いの場を得られる。よりよい戦いの場を提供できる者が現れない限り、あの男に付く。それだけだ」
むさ犬は背を向けた。
「用事ができたようだ。せいぜい、おとなしくしていろ」
そう言い残し、〝強いヒト〟の剣士は去って行った。
「トゥナ……」
アネモネが呟いた。トゥナを見上げる目が心細そうだ。その目を見て、トゥナの胸は締め付けられた。
「ごめんなさい。とうとうあなたまでこんな目に遭わせてしまった……」
「な、何言ってるの! だいじょうぶ。絶対、助けて見せる! そして、ふたりで力を合わせて〝美しいヒト〟の国を作るのよ」
――そうよ。あきらめてたまるもんか。
トゥナは必死に自分にそう言い聞かせた。
――絶対に帰るんだ。あたしの家へ。おばあちゃんの農場へ。そして、アネモネと一緒に〝美しいヒト〟の国を作るんだから!
その頃。
森の木陰からグリムのアジトの様子をうかがう人影がいた。コッソリと言うよりもオドオドと言う表現がピッタリくるその態度。大切な人を救うために乗り込もうかというのに勇敢さではなく、怯えばかりが目に付くその姿。それはキオのものだった。
役立たずと罵られようが、もともとは宇宙開発用に作られたロボット。センサー類だけは充実している。そのキオにとってフライングカーの航跡を感知し、あとを付けるのは難しいことではなかった。
「……もう、エネルギーが残り少ない。せいぜい二~三時間ってとこか」
内心の心細さそのままに震える声でキオはそうこぼした。
「で、でも、やらなくちゃ……おれがトゥナを助けなきゃ……おれしかできないんだ。おれがやらなくちゃ……」
ヒヤリ、と、首筋に冷たいものが触れた。キオは悲鳴をあげた。飛びあがった。その勢いで首を落されずにすんだのはまったく、相手のおかげだった。キオが飛びあがるのに応じて太刀を引いてくれたからこそだ。そうでなければ、確実にキオの首は地面に落ちていた。
「お、お前……」
キオは凍り付いた。恐怖で震えはじめた。キオのすぐ目の前、そこに太刀を構えたむさ犬が立っていた。
「忍び込むつもりなら、少しは気配を消すことだ。そんな態度では一キロ先からでも関知できる」
むさ犬が言った。
「戦士に有らざる者は立ち入るな。そう警告した。何をしにきた?」
「ト、トゥナを……」
キオはガクガク震えながらようやく、言葉を絞り出した。人間ならボロボロと涙をこぼしながら言っているところだ。
「トゥナを返せ……」
その一言を言うのがやっとだった。それ以上は指一本、動かせない。
むさ犬は静かにうなずいた。
「戦士となったか」
キオがこれほど怯えているのでなければ、その声のなかに確かな賞賛の念があることを感じ取ることができただろう。しかし――。
それは完璧なる死刑執行宣言。殺してよいとする宣誓だった。
むさ犬の腕が動いた。太刀が満月を描いてキオの脳天を狙った。屈強の騎士たちを一蹴してのけたその腕の冴え。キオに見切れるはずもない。太刀は易々とキオの脳天にめり込み、その頭を真っ二つに断ち割った。
「ふん」
むさ犬は鼻を鳴らした。目を閉じた。太刀を引こうとした。
その瞬間、むさ犬の表情が変わった。信じられない。生まれてはじめてその表情を浮かべた。
キオの腕、頭を真っ二つされ、死んだはずのキオの両手がむさ犬の右腕をつかんでいた。すさまじい衝撃がむさ犬の全身を包んだ。キオのありったけのエネルギーを注ぎ込んだ電撃だった。
手のひらからの放電。まだこの世の現実を知る前、『人間の役に立つ参考に』と読んだマンガに影響されて取り付けてもらった、キオのたったひとつのロボットらしい技だった。
いくらDNA操作されていようと、いかに気違い染みた鍛錬を積んでいようと、人間は人間。激しい電気ショックを受ければ心臓が耐えられない。
むさ犬の巨体が地面に沈んだ。キオは真っ二つにされた頭部を両手で押さえながら呟いた。
「……悪かったな。おれたち〝心を持つ〟ロボットは人間の心を再現するために普通よりずっと大きな機械脳をもっている。おかげで頭部には納められなくなって、大きなスペースを確保できる胸に納めてあるんだ。頭部はただのセンサー類なんだよ」
『胸を狙われていたら、どうする気だったの?』
後にトゥナにそう問われたとき、キオは――。
何も答えられなかった。
そう問われてはじめて、何も考えていなかったことに気がついたのだ。まったく、完全に幸運だけで得た勝利だった。
キオは残ったエネルギーをチェックした。たたでさえ残り少なくなっていたのに先ほどの放電で一気に消耗した。あと、せいぜい二〇分。その時間が過ぎてしまえばもう一歩だって歩けなくなる。それがロボットの宿命だった。
「あと二〇分。その間にトゥナを助け出さなきゃならないわけだ」
やれるのか?
「やるしかないだろ。やるんだ、なんとしても。自分がどんな存在か証明するんだ」
キオは駆け出していった。
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