すべてを奪われて(3)
それは暗い嵐の夜だった。
季節外れの台風が吹き荒れ、激しい風と雨に打たれていた。そんななか、おびただしい悲鳴があがった。いくつもの声が連鎖し、響き渡った。そのうちのいくつかは『逃げろ!』と叫んでいるようだった。
トゥナは何事かとあわてて外に出た。アネモネとキオもつづいた。三人が見たものは追い散らされる騎士たち、そして、岩のような巨人と対峙する一馬の姿だった。
「逃げろ、トゥナ!」
一馬が叫んだ。それが命取りだった。叫んだ隙に白刃がきらめき、一馬の体を左肩から袈裟斬りに斬り裂いていた。
「一馬!」
トゥナが悲鳴をあげた。
「逃げろ……トゥナ」
一馬はその声を残して地面に倒れ込んだ。その体はもうピクリとも動かなかった。
単なる肉塊と化した体を見下ろしてそびえ立つ者がいた。三メートル近い長身。岩のような頑健な肉体。侍を思わせる袴。巨大な太刀。そして、死を見据える冷たい視線。
むさ犬。
トゥナの知る最強の怪物がそこにいた。
「ちっ、殺しちまったのか」
下卑た声がした。思い出したくなどなかったが、その下卑た声を聞けばいやでも思い出してしまう。
あいつだ。
キザったらしく葉巻をくわえたマフィアコスプレ男。グリム。
グリムが闇のなかから姿を現わした。顔中に包帯を巻いているのは以前、一馬に殴られた傷がそれだけ深かったと言うことだろう。憎々しげな視線で地面に倒れた一馬を見下ろした。
「殺すなと言っただろうが! こいつには借りがあるんだ。とことんまでいたぶって『頼むから殺してくれ』と哀願させて、こいつの手でそこの小娘を殺させてやるつもりだったのに……」
グリムは心から残念そうに語った。まるで、生涯の事業を台無しにされた篤志家のように。
むさ犬の態度は素っ気ないものだった。
「おれは、お前の趣味を満足させるためにいるわけではない」
「……ふん」
言われてグリムは鼻を鳴らした。不満たらたらと言った様子だがやはり、むさ犬相手に強くは出られないらしい。
トゥナはそんなふたりを睨み付けた。
「あんたたち……よくも一馬をぉっ!」
血の涙を流すようにして叫んだ。飛びかかろうとした。その体を小さな体が必死に抱きとめた。アネモネだった。アネモネが全身でしがみついてトゥナをとめていた。
自分を見上げるアネモネの表情。それを見てトゥナは冷静さを取り戻した。ここでむさ犬に飛びかかったところで勝ち目などない。かすり傷ひとつ付けられずに斬り捨てられるだけだ。死ぬことが怖いとは思わなかった。でも、アネモネを残して死ぬわけにはいかない。自分は何としてもアネモネを守らなくてはならないのだ……。
トゥナはそっとアネモネの頭に手を置いた。優しく微笑んだ。いま、この場で、そんな表情を作れることに自分で驚いていた。
気がついてみれば騎士たちで立っている者はひとりもいなかった。全員、むさ犬の太刀の前に斬り倒されていた。そこかしこに肉塊となって転がり、地と雨が混じって泥沼を作っている。
そして、周りにはグリムの手下たち。全員が銃を構えている。どうやっても娘ふたりと気の弱いロボット一体で切り抜けられる状況ではなかった。
――でも、どうして?
どうして、グリムはここにくることができたのだろう。騎士団が全力をあげて捜索していたはずなのに。フライングベースに強襲用弾丸バイクまで出動させていたのに。
いくら、むさ犬が化け物であっても、空飛ぶ機械の塊までは太刀一本で斬り倒すなどできないはずだった。
その答えはすぐにわかった。ズシン、ズシンと音を立てて何かが近づいてきた。その巨大な頭が夜の闇のなかにヌッと姿を現わした。トゥナは絶叫した。
「フォレスター!」
そこにいたのは紛れもなく森の主であるドラゴン、トゥナが幼い頃から親しんできた存在、祖母が全力をもって守ったフォレスターだった。
フォレスターが咆哮をあげた。巨大な首を振るった。地面を揺らし、突進した。その強靱な脚が畑を踏みつぶし、長大な尻尾が鞭となって家をなぎ払った。
「やめて!」
トゥナとアネモネが同時に叫んだ。
「ヒイヒャハハハ! どうだ、ざまあ見たか! そいつはお前のババアが必死になって守った秘蔵っ子らしいな。お前にとっても昔からの友だちだったんだろう? そんな奴に自分の家を壊される気分はどうだ?」
「卑怯者! フォレスターを改造したわね!」
トゥナは血を吐くようにして叫んだ。
事情はすぐにわかった。グリムはフォレスターを捕え、脳を取り除き、その代わりに機械脳を取り付けたのだ。自在に操れるようにするために。
奴隷としたフォレスターを使ってフライングベースを、強襲用弾丸バイクを破壊し、そして、ここにやってきた。フォレスターにトゥナの家と農場を破壊させ、苦しませる。そのためだけに。
「察しがいいな、小娘。そう言うことさ」
グリムはあざけりの言葉を吐いた。その両目が爛々と輝いている。自分の絶対優位を確信したサディストの目。相手の心を踏みにじり、傷つける。そのことに無情の喜びを感じている目だった。
「それもこれもすべて、おれ様を怒らせたからさ。おれ様を怒らせた奴はみんな、こうなる運命なんだよ。わかったかい、お嬢ちゃん? 泣け! 苦しめ! もっともっと苦しんでおれ様を楽しませろ! それとも、お願いでもしてみるか? おれ様だって鬼じゃない。この場でひざまづいて、おれ様のケツの穴を舐めながら『お許しください、ご主人さま』とでも言えば、やめてやる気になるかも知れんぞ。試してみるか?」
お前みたいな色気のない小娘じゃあ、様にならないだろうがな!
そう言い放ち、下品な笑い声を響かせるグリムだった。
トゥナはグリムを睨み付けた。泣いてはいない。涙などこぼしてはいない。唇をグッと噛みしめてこらえていた。
――これ以上、こんな奴を喜ばせてやるもんか。
歯を食いしばり、そう思った。それでも――。
目の前で一馬を斬り倒され、フォレスターを改造され、しかも、そのフォレスターによっておばあちゃんの家が、農場が、踏みつぶされていく。その現実にともすれば涙がこぼれそうになった。
すっと、アネモネがトゥナの前に出た。グリムたちからトゥナをかばうように。
「あなたの目的はわたしでしょう。わたしはあなたに付いていきます。だからもう、こんなことはやめて」
「アネモネ!」
トゥナが悲鳴をあげた。
グリムがニタリと笑った。とっておきの楽しみが手に入った。そう思っている表情だった。
「あいにくだが、そうはいかんなあ。おれ様は痛めつけるのは好きだが、痛めつけられるのは大嫌いなんだ。おれ様をこんな目に遭わせたその小娘にはタップリお礼をしてやらないと気がすんのだ」
ニヤニヤと笑う。その笑みひとつでどんな目に遭わされるかはよくわかった。
その前に死んでしまいたい。そう思わせる笑みだった。
「捕えろ!」
グリムが叫んだ。手下たちが従った。銃を手にゆっくりとトゥナとアネモネに近づいていく。銃をもった犯罪者たちに囲まれている。それだけでもう、抵抗のしようもない。まして、むさ犬によって隙なく見張られているとあっては身動きひとつで気はしなかった。
ふたりはロープに縛りあげられ、フライングカーへと運ばれていった。
「ト、トゥナ……」
キオが弱々しく呟いた。よろめくように歩きだし、腕を伸ばした。ヒュン、と、音を立てて白刃が鼻先をかすめた。
「ひっ!」
キオは悲鳴をあげた。尻餅をついた。怯えた目で見上げた。そこにはむさ犬が立っていた。キオの目にはその長身は天まで届く怪物に見えた。
「ここは戦場だ。戦士に有らざる者は入ってくるな」
その一言を残し――。
むさ犬は背を向けた。
どれぐらいの時がたっただろうか。キオはひとり、嵐に打たれていた。
トゥナもいない。
アネモネもいない。
むさ犬も、グリムも、その手下たちもいない。もう誰ひとりいはしない。キオただひとりだけが夜の嵐のなかに取り残されていた。
戦士に有らざる者は入ってくるな。
むさ犬のその声が頭のなかでこだましていた。
「……仕方ないじゃないか」
キオは小さく呟いた。立ちあがった。うなだれながら歩きはじめた。
「おれひとりで何ができる? 相手は騎士団を簡単に壊滅させた化け物だぞ。おれが何をしたところで勝てっこないじゃないか。それに……建物を壊されたからエネルギーだってもう作れない。残ったエネルギーで行ける場所にやつらのアジトかあるなんて限らないじゃないか。そうさ。いまから追いかけたって途中でエネルギー切れを起こして動けなくなるだけ。おれはロボット、単なる道具として作られたロボットなんだ。使う相手がいないのに何かをする理由なんてない」
やっぱり、あなたはロボットよ。人間なら幼い子供を見捨てるなんてできるはずがないわ。
頭のなかにトゥナの声が響いた。
「くそっ」
キオは叫んだ。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
駆け出した。グリムたちのフライングカーが消えていった方向へと。
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