六章

人間じゃない(1)

 ゴクリ、と、トゥナは唾を飲み込んだ。よくパニックに陥って暴れなかったものだと思う。そんなことをしていればまちがいなく太刀で喉を突かれ、死んでいた。その太刀はいまも微動だにせず、切っ先のほんの一点だけを皮膚の上一枚に密着させて止まっている。

 しかし、もし、トゥナが少しでも動けばたちまち、溶けたバターを貫くようにトゥナの首を貫くにちがいない。

 暴力沙汰には素人のトゥナでもそうとわかった。太刀をもつ男の目。その目を見ればすぐにわかる。あまたの死を見据えてきた目だ。己の殺した相手を数知れず見下ろしてきた目だ。正真正銘の殺戮者の視線だった。

 ――こいつらがアネモネを作った連中。

 そう直感した。

 そうでなければ、こんな時間にこんなところに踏み込んでくるはずがない。ただの強盗であるならさっさと家捜しをはじめるはずだった。

 トゥナに太刀を突きつけたままじっとしているということは、トゥナに聞きたいことがあるから。そして、それは、アネモネのこと以外ではあり得なかった。

 トゥナは驚いていた。そんなことを思える自分に。トゥナはあくまでも当たり前の農場主だった。戦場経験がないのはもちろん、戦闘訓練ひとつ受けたことはない。こんな状況にはいままで一度だって遭ったことはないし、こんな目に遭うことを想像したこともない。それなのにいま、生命の危険にさらされているというのにパニックにもならず、泣きわめきもせず、冷静に状況を分析している。

 ――自分はこんなに度胸がよかったのか。

 そう思い、自分でビックリしていた。

 あるいは、あまりにも非常識な状況下に脳が理解を拒んでいるだけなのかも知れない。それでも、とにかく、冷静に考えを進められることはありがたかった。冷静でありさえすれば、何とか切り抜ける方法もあるはずだった。

 この男たちの狙いはまちがいなくアネモネ。アネモネは守る。そう誓った。だったら、このふたりからアネモネを守り抜かなくてはならない。その決意を込めてトゥナは男たちを観察した。

 男たちのことが少しでもわかれば、何とかこの危機を抜け出す助けになるかも知れない。トゥナは文字通り舐めるような視線で男たちを見た。

 ひとりは中背で小太りの男だった。黒い帽子に黒いスーツ、縞のネクタイ、葉巻までくわえ、いかにも昔の映画に出てくるマフィアのボスと言った印象。相手を見下す視線と葉巻をくわえたままの口に浮かぶ下卑た笑みもそのままのイメージだ。

 トゥナはもうひとりの男、自分の喉元に太刀を突きつけている男に視線を移した。

 〝強いヒト〟だ。

 慄然とした思いと共にトゥナはそう悟った。全身の毛が逆立ち、冷たいものが背筋を走り抜けた。

 〝美しいヒト〟が人間の美を追求して作られたように、人間の強さを極めるために作られた種族。それが〝強いヒト〟。

 身長は三メートルに近く、強さとしなやかさを兼ね備えた筋肉は疲れることを知らない。大きく、強く、しかも速い。その戦闘能力の前にはクマでさえ恐れをなして逃げ出すと言う。

 トゥナは唾を飲み込みながら〝強いヒト〟を見た。袴をまとったその姿はまるで中世の侍のよう。ゾッとした。ただ生まれつき力が強いとか、そう言う問題ではない。実際に幾度となく死線をくぐり抜けてきた本物の武士。荒事とは縁のないトゥナでもハッキリとそう感じた。それほど、〝強いヒト〟の放つ死の気配は濃厚だった。

 太刀をもつ腕はちっとも力を入れているようには見えないくせに、どう動いても遅れずに付いてくる鋭さを感じさせた。もし、いま、トゥナが急に横に一メートルも動いたとしても、突きつけられている太刀は寸分の狂いもなく、いまと同じ位置に突きつけられているだろう。理性ではなく本能でトゥナはそう悟った。

 ――この男からは逃げられない。

 そう悟らずにはいられなかった。

 「どうやって?」

 カラカラの口でトゥナはようやくそれだけを絞り出した。

 「どうやって入ってきたの? セキュリティシステムは張り巡らせているのに……」

 トゥナの疑問はもっともなものだったが、同時に嗤うべきものでもあった。葉巻をくわえたマフィアのボス然とした男、グリムは実際に声を立てて小娘の無知を嗤った。

 「お嬢さん。おれはプロだ。電子戦のエキスパートぐらいは揃えているよ」

 つまり、外部からコンピュータにハックしてセキュリティシステムを遮断したというわけだ。本来、一次セキュリティシステムが突破されて侵入された場合、二次システムが発動して騎士団に知らせる仕組みになっている。しかし、コンピュータが丸ごとハックされたのではその見込みもないだろう。つまり、誰かがこの事態を察知して助けがくるという可能性はないわけだ。

 ――自力で何とか切り抜けるしかないってことね。

 トゥナはそう覚悟を決めた。

 グリムが他人を見下す下卑た笑みを浮かべた。この男はいままでに一体、どれだけの人間を見下してきたのだろう? そう思うぐらい、他人を見下すいやらしい視線が板に付いていた。

 グリムはその表情にふさわしい、粘着質のいやらしい声で言った。

 「さて、お嬢さん。我々のきた理由はわかっているだろう? ニジュウロクはどこにいる?」

 「知らないわよ、そんなの」

 トゥナはそう答えた。嘘ではない。最新式の嘘発見器にかけたところで嘘だと判定されることはなかっただろう。トゥナが森のなかで出会ったのはアネモネという名前の人間であって、番号で呼ばれるモノではなかった。

 グリムは愉快そうに笑った。別に怖がらせようというのではなく、本当に愉快に思ったらしい。自分の圧倒的な優位を確信しているが故の余裕というものだろう。ネズミをいたぶるネコのように、相手の反応を面白がる余裕があった。

 「おいおい、わかっているだろう。お嬢さんがかくまった娘だよ。あれは私の大切な商品でね。返してくれないと困るんだ」

 「あなたの商品なんて知らないわよ」

 これも本当だ。トゥナの知っているのは人間の女の子であって商品ではない。

 グリムが眉をあげた。表情が憎々しいものに変わった。トゥナに怯えた様子が見られないのが気に障ったらしい。

 ――とんだサディストだわ。

 トゥナはそう直感した。相手が怯えるのを見るのが何より好きなド変態。いままでに何人もの人間を傷つけ、怯えさせ、楽しんできたにちがいない。トゥナはこの男を嫌いになることに決めた。一目見たときから嫌いだったが、さらに嫌いになった。

 チラリ、と、太刀をもつ〝強いヒト〟を見た。この男を嫌いになるのは不可能だった。好き嫌い以前に、凍るような恐ろしさを感じて感情が麻痺してしまう。

 「さて、お嬢さん。おれは時間を無駄にする気はないんだ。あんまり頑固にシラを切るようだと、手下どもを進入させて家捜しする羽目になる」

 ――ってことは、他にもきてるってことね。

 他の手下、おそらくは数人から十数人が家の周りを囲んでいるのだろう。目当ての相手が逃げ出せないように。

 だとすると、かなりの規模の組織だということになる。もし、この場に一馬が駆けつけてくれたところで、ひとりではどうしようもない。殺されるのがオチだ。一馬は強いし、頼りになる。でも、多勢に無勢だし、何より〝強いヒト〟がいる。〝強いヒト〟の前では人間レベルでの『強さ』など意味がない……。

 助けてもらうためにはひとりの騎士ではなく、騎士団の部隊が必要だ。どうやって、そのことを伝える? もし、この場に一馬がやってくればまちがいなく、自分を助けようとして〝強いヒト〟に挑む。そうなれば、一馬が犠牲になってしまう……。

 ――そんなことにさせないためには、自力で切り抜けるか、騎士団に連絡するかしないと。でも、どうすればいい……?

 トゥナは必死に頭を巡らした。いいアイディアは出てこなかった。

 グリムがイライラとした声を出した。

 「いいか。おれはそんな面倒な真似はしたくないんだ。とっととニジュウロクを連れて帰りたいんだよ。だから、さっさと答えな。素直に言うことに従うならお前さんは見逃してやってもいい」

 トゥナはそんな台詞は信じなかった。こいつは絶対、『生命だけは助けてやる』と言っておいて、それを信じた相手の間抜けさを嗤って、後ろから撃つタイプだ。

 こんな男にアネモネを渡すわけには行かなかった。例え、自分が死ぬことになったとしても……。

 ――キオはどうしているの?

 ふと、そう思った。

 何も、キオがいきなり一〇万馬力を発揮してこの危機を救ってくれるなんていうご都合主義的展開を期待しているわけではない。でも、それでも、この状況に気がつけば、何かはしてくれるはず。機転を利かせてアネモネを逃がしてくれれば。騎士団に連絡してくれれば……。

 「ね、ねえ……」

 ふいにトゥナが声をあげた。顔を伏せて上目がちにグリムを見上げ、媚びた声と甘えた態度で。

 とにかく、いまは時間を稼ぐことだ。こいつらをこのまま引きつけておけば、その間にキオが何とかしてくれるかも知れない。何しろ、キオはもともと宇宙開発用のロボット。通信機能は極めて充実している。例え、グリムの手下によって通信妨害されているとしても、それをかいくぐって騎士団に連絡するぐらいのことはできるはずだった。

 そしていま、そのために使えるのは『女の武器』しかなかった。そんなもの、いままでに一度も使ったことはないからどうすればいいのかなんてわからない。ただ『男は女の上目遣いに弱い』と聞いたことはあるから、とにかく、そうやってみた。この仕種でいいのかなんてわからないし、男を油断させるだけの魅力があるかどうかもわからない。

 何しろ、生まれてこの方二三年、男女を問わず『色気がない』と言われつづけてきたのだ。自分でも色気を磨こうなんて思ったこともない。こんなことになるんなら、少しぐらいは色気の使い方を勉強しておくべきだったけど……。

 とにかく、いまはぶっつけ本番でやってみるしかなかった。

 ――だいじょうぶ。きっと何とかなるわ。

 トゥナは自分にそう言い聞かせた。

 色気はなくても顔の造作そのものは整っているし、幼い頃からの畑仕事のおかげでスタイルだって引き締まっている。決して、男にとって魅力のない存在ではないはずだった。

 ――そうよ。あたしだって二三歳の女なんだから。男のひとりやふたり、手玉に取ってやるわ。

 「……ね、ねえ、とりあえず、この刀をどかしてくれない? 女の子の寝ているところに押し入って、いきなり刀を突きつけるなんて不作法すぎるでしょ。せめて、着替えぐらいさせてよ。そうしたら、話ぐらい聞くからさ」

 低めの声でささやき、とりあえず、しななど作ってみせる。

 「あなたの言ったその、ニジュウロク……だっけ? もしかしたら、どこかで見かけているかも知れないし。特徴さえ聞けば思い出せるかも知れないじゃない? あたしだって何も、こんな状況で楯突くほど馬鹿じゃないしさ。刀をどかして紳士的に話してくれたら、そのときは、さ。ね?」

 『ね?』と言いつつ、片目を閉じて見せる。

 グリムはあざけりながら言った。

 「色気もないくせに女ぶるもんじゃないよ、お嬢さん」

 「ほっとけ!」

 たちまち地が出て、そう叫ぶトゥナであった。

 グリムはニタニタという音の聞こえてきそうな笑みを浮かべた。

 「いまの態度でよくわかった。ニジュウロクはここにいる。女まで虜にするとはさすがに〝美しいヒト〟の魔性は見事なものだな」

 その言葉にトゥナは思いきり殴りつけてやりたくなった。アネモネを守りたいという純粋な思いを、そんな下劣な欲望と一緒にされてはたまらない。

 グリムが何やら面白いことを思いついたような表情になった。

 「いや、まてよ。その色気のなさ。もしかしたら、本当は男なのかも知れんなあ。どれ、ひとつ、ひんむいて……」

 「やめろ、変態! あたしは女だ!」

 グリムの指が伸びてきたのでトゥナは思わず身をすくめた。グリムの指はヌタヌタとした唾液にまみれているようで、見ただけでジンマシンが出るほどおぞましかった。

 「いい加減にしろ」

 うんざりしたような〝強いヒト〟の声がした。

 「いつまでもお前たちの漫才には付き合っていられん。早く目的を果たせ」

 ムッ、と、グリムは唇をねじ曲げた。

 「何だと、むさ犬。きさま、主人に向かって指図する気か?」

 「おれに主人などいない。おれは単に契約しているに過ぎん。その内容は、お前はおれに戦場を与える。おれはお前の敵を殺す。それだけだ。女子供をいたぶることは契約のうちには入っていない」

 「むっ……」

 グリムは〝強いヒト〟――むさ犬を睨み付けた。不平たらたらの表情だが、口に出しては何も言わなかった。

 それを見てトゥナはちょっと意外な気がした。この〝強いヒト〟はグリムの手下というわけではないらしい。本人の意に沿わないことはグリムにも強制することはできないようだ。でも、それなら、

 ――むさ犬だっけ? 何とかこの人を味方にできれば切り抜けられる。

 ほんのわずかとは言え、希望の見えてきた気のするトゥナだった。

 グリムはトゥナを睨み付けた。むさ犬にぶつけられない苛立ちをトゥナにぶつけることにしたらしい。その目付きも、口調も、いままで以上に下品で粗野なものになっていた。

 「おい、娘、聞いただろう。こっちだって暇じゃないんだ。いつまでもこうしてはおれん。どうあっても、ニジュウロクのことを教えんと言うのなら……」

 グリムは右手をあげた。そのなかから小さなナイフが飛び出した。ゾクリ、と、トゥナの背筋を冷たいものが走り抜けた。

 「おれ様自ら、尋問してやる」

 グリムの言う『尋問』が何を意味するかはトゥナにもわかった。わかりたくもないがわかってしまう。目玉をえぐり、鼻を落とし、耳をそぎ、全身の皮膚を引きはがす。それが、グリムの言う『尋問』にちがいなかった。もし、その『尋問』を受ければ人間とはとても言えない、切り刻まれた肉の塊にされるにちがいなかった。

 赤黒い肉の塊と成り果てた自分を想像してしまい、トゥナは吐き気を覚えた。怖い。恐ろしい。全身がガタガタ震える。汗が噴き出した。でも、それでも……。

 ――こんな奴にアネモネは渡せない!

 その決意だけは揺るがなかった。

 ――あたしが切り刻まれていれば、時間は稼げる。その間にキオがアネモネを連れて逃げてくれれば。騎士団に連絡してくれれば……。

 その思いだけを支えにグリムを睨み付けた。

 グリムがナイフをチラチラと見せびらかしながら近づいてくる。目のなかに獲物を痛めつける喜びがにじんでいる。

 スッ、と、グリムのナイフがトゥナの頬に当てられた。そのときだ。ドアが開き、声がした。

 「やめて」

 それは、トゥナが期待していた力強い男の声ではなかった。細く、小さな、年端もいかない女の子の声だった。

 「その人に手を出さないで」

 ドアの開いた先の廊下、そこに大きすぎるパジャマを着たアネモネが立っていた。

 「アネモネ!」

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