奴らが来た(2)
そして、翌日。トゥナはいつも通り、キッチンでハチミツ入りのホットミルクをあおって仕事前の気合いを入れていた。両足を肩幅に広げ、片手を腰につけて一気に飲み干すのが様式美。
「ぷはあっ~、今日もおいしい! よし、やるぞおっ!」
満面の笑顔でそう宣言したときだ。キッチンの入り口に大きすぎるパジャマを着た小さな人影が立っていることに気がついた。アネモネだった。アネモネがキッチンのドアに片手をついてじっとトゥナを見つめていた。
トゥナはニッコリとアネモネに微笑んだ。
「どうしたの? まだ寝ていていいのよ。朝食の時間になったら起こすから」
――それとも、怖い夢を見てひとりじゃ眠れないとか? だったら、喜んで添い寝させてもらうけど……。
と、内心の欲望がダダ漏れてついニヤニヤしてしまうトゥナだった。
アネモネはトゥナのそんな内心も知らず、真剣そのものの表情で尋ねた。
「ここって農場なんでしょう?」
「ええ、そうよ」
「仕事……したい」
「仕事?」
トゥナは思わず聞き返した。アネモネはコクンと頷いた。
「え、ええと……」
トゥナはぎこちない笑みを浮かべた。アネモネの表情を見れば単なる好奇心とか、冷やかしで言っているわけではないことはわかる。でも、それにしたって仕事? 農場の?
トゥナは思わずアネモネをマジマジと見つめてしまった。腕も、脚も、胴体すらも折れそうなほどに細い。ナイフとフォークよりも思いものをもったことのないお嬢さまの体だ。この細すぎる体で農場の仕事が勤まるはずもなかった。
トゥナはぎこちない笑みのまま答えた。
「い、いいのよ、別に気にしなくて。まだ子供なんだから堂々と遊んでいれば……」
アネモネはフルフルと首を横に振った。
「農場の仕事……覚えたい」
あまりにも真剣な、決意を込めた表情でそう言われ、トゥナは何も言えなくなった。
「ええと、まずは動物たちに朝ご飯なんだけど……」
ブタ用、ヒツジ用、ニワトリ用とマークの付いたバケツが並び、そのなかにそれぞれの朝食が入っている。朝食と言っても食事の残りとか、生ゴミとか、熟れすぎた実とか、育ちすぎた菜っ葉とか、そんなものを一切合切ぶち込んで乳酸発酵させた代物だけど、ありがたいことに動物たちはそんなものでも喜んで食べて肉や、卵や、乳に変えてくれる。ちなみに、与える食事がそれぞれちがうので、まちがえないよう、バケツは色も形も大きさもそれぞれちがう。
「それじゃあ、ニワトリ用のバケツを運んでくれるかな?」
コクン、と、アネモネはうなずいた。大きくて重いブタ用やヒツジ用のバケツなんてさすがに持たせられない。とは言え、ニワトリ用のバケツだって一〇キロはある。ニワトリは一羽いちわの食べる量は少なくてもその分、数が多いので全体としてはかなりの量になる。
一〇キロなんてキオはもちろん、トゥナにとっても片手で振りまわしながら歌でも唄ってハイキング気分で運べる重さだ。それでも、一〇歳児には重い。まして、標準よりも小柄で華奢なアネモネにとっては。
「クッ……」
バケツのハンドルを両手でもち、歯を食いしばって持ち上げた。顔がたちまち真っ赤になる。眉を寄せたその表情が子供とは思えないほどなまめかしい。さすが〝美しいヒト〟。どんな表情もそそるようにできている。
アネモネは歯を食いしばり、引きずるようにしてバケツを運びはじめた。腕がブルブルと震え、足元はいまにも倒れそうなほどおぼつかない。
「ああ、だいじょうぶ、アネモネ? 無理しなくていいのよ。お姉ちゃん、いつでも替わるからね?」
と、すっかり『妹を溺愛するお姉ちゃん』と化したトゥナがハラハラしながら見守っている。キオにブタ用のバケツを任せ、自分はヒツジ用のバケツをもっているのだが、何しろ、先頭を行くアネモネの歩みが遅いのでふたりもろくに進めない。
「ああ、転ばないようにね? 急がなくていいのよ。休みながらでだいじょうぶだからね?」
トゥナは盛んに声をかけながら後に付いていく。その表情が、いまにもアネモネに飛びかかってバケツをひったくりそうなほど心配そう。おかげで、いつもの三倍の時間をかけてもまだたどり着かない。そのあまりののろさにキオがとうとう不満を漏らした。
「何であんな子供に手伝わせているんだ。仕事が遅れるばかりじゃないか」
「だって、本人がどうしてもって言うんだもん」
「だったら、本人だけでやらせておけばいいだろう。おれたちが付き合う必要はない」
「何言ってるの⁉ あんな小さな女の子ががんばって仕事しようって言うのよ。応援してあげなくてどうするの」
「おれがはじめて仕事をしたときは応援なんてしなかったじゃないか!」
簡単な説明をして道具を渡すと『じゃ、お願いね』の一言だった。
「当たり前でしょ。米俵二俵、軽々と運べるロボットと、小さくて華奢なお姫さまじゃあ、扱いが同じなわけないじゃない」
それは確かにその通りなのだが……。
「ああ、気をつけて! 転んだりしたら、せっかくのかわいい顔に泥が付いちゃう!」
トゥナはたまらずアネモネに飛びつくと、バケツのハンドルに片手をかけて一緒にもった。そのままアネモネを励ましながら運んでいく。それを見てキオは呟いた。
「……何だよ、アネモネばっかり」
どうにかこうにか動物たちの食事を運び、それから動物たちのマッサージ、バケツの洗浄、畑の見回り……。どれひとつとってもいままでにしたことのない仕事だろうに、アネモネは弱音ひとつ吐かずによく頑張った。とは言え、体力がついていっていないのはあきらかで、朝の一仕事だけですでにフラフラとなっていた。これでは、手伝ってもらったほうが手間になる。キオでなくても文句のひとつも言いたいところだ。もちろん、『アネモネ命!』と化しているトゥナに何を言っても無駄なのだが。
とにかく、普段よりだいぶ時間がかかったとは言え、朝の一仕事はどうにか終了した。シャワーを浴びて汗を流し、それから朝食。
トゥナはテーブルいっぱいに農場の材料で作った自慢の料理を並べた。両手を広げ、満面の笑顔で言う。
「さあ、召し上がれ。お腹、空いたでしょう」
ところが――。
アネモネは驚くぐらいチョッピリしか食べなかった。それこそ、トゥナが戸惑ってしまうぐらいのわずかな量だ。
「どうしたの? 遠慮しなくていいのよ? それとも、おいしくない?」
アネモネはフルフルと首を横に振った。
「そんなことない。料理は……おいしい」
「だったら、ちゃんと食べないと。農場の仕事をするんなら、きちんと食べて体力つけないともたないわよ」
「……うん」
言われてアネモネは山盛りの料理を無理やり口に押し込みはじめた。その様子がいかにも苦しげで、うっすらと涙まで浮かんでいる。
トゥナはたちまちひどい罪悪感に襲われた。まるで、規則ばかりを重んじて給食を残した生徒に無理やり食べさせる、厳格で無慈悲な女教師になった気分だった。
「ご、ごめん、アネモネ! 食べたくないなら無理して食べることないわよ」
「……ううん。食べる」
アネモネは真剣な面持ちで答えた。
「力……付けなきゃいけないから」
そう言って、料理を一つひとつ口のなかに押し込んでいった。悲壮感さえ感じさせるその姿に、トゥナはアネモネが背負っているものを気にせずにはいられなかった。
朝食のあとには畑仕事がまっている。一つひとつの作物をこまかく観察して、世話をして、作業記録をいちいち付けなくてはいけないのだが、驚いたことにアネモネは機械の扱いが巧みだった。これは、人造人間にはめずらしいことだった。
通常、3Dプリントされた人造人間は機械には弱いものだ。知性の問題ではない。下地の問題だ。機械で作られた人間は親の記憶を受け継いでいないのだ。
臓器移植が行われはじめた頃、奇妙な現象が報告された。臓器移植を受けた人間に、もとの臓器の持ち主の記憶が受け継がれるというのだ。当然、そんな報告は否定された。臓器を通じて記憶が継承されるなど、当時の医学常識に照らし合わせてあり得ないことだった。
だが、医学の進歩はそれが正しいことであることを突きとめた。実は、哺乳類には胎児に母親の記憶を伝える能力があったのだ。
突飛に聞こえるかも知れないが、進化の観点からすればむしろ、当たり前のことだった。
生命の目的は生き延びること。ならば、完全な白紙のまま生まれてくるよりも、親の記憶をわずかなりとももって生まれてきた方が生き延びるために有利になる。一から学ぶ必要がなく、すでに何が食べられて、どんな相手から逃げなくてはいけないかをわかっているのだから。
そのために、哺乳類は胎児に記憶を伝える機能を発達させてきた。母の記憶は血流に乗って胎児へと届けられ、胎児の脳に刻み込まれる。もちろん、そうして伝えられる記憶は極めて不完全なもので、本人もそんな記憶を継いでいることを意識することはない。それでも確かに、記憶は受け継がれている。先祖代々、積み重ねられてきた記憶と経験がその血のなかに流れ込み、より生存に有利なよう、世代ごとに進化していくのだ。
その機能をもっとも進化させたのが人類だった。人類は他のどんな生物にもまして母の記憶を胎児に継がせることができた。実はこれこそが人類だけが文明を築けた理由だった。他の動物たちが世代を重ねるたびに前の世代の記憶と経験のほとんどを失ってしまい、また同じ場所からはじめなければならないのに対し、人類だけは世代ごとに記憶と経験を積み重ね、より高い位置からはじめることができた。代を重ねるごとにその差は大きくなり、引き離していく。人類だけが異常とも言える発展をしてのけたのは当然の結果だった。
その効果は技術の発展した現代でも遺憾なく発揮されている。新しい技術が普及したあとに生まれた子供がなぜか、生まれつきその技術に適応しているのはまさにそのためだった。人類はいまも世代ごとに進化しているのだ。技術が進歩すればするほど、女性の教育が普及すればするほど、新しい発明までの期間が短くなり、進歩が早まるのも、これが理由だった。
血流は体中を巡っているわけだから、胎児に記憶を届ける副産物として臓器にも記憶が伝えられる。これが臓器移植を受けた人間がドナーの記憶を受け継ぐ理由だった。
その点、3Dプリントされた人造人間は記憶の継承を受けていない。まったくの白紙で生まれてくる。そのため、新しい技術に対する適応がまったくない。それこそ、石器時代人にパソコンの仕組みを教えようとするようなもので、まったく理解できないのだ。
人工的に知能を高めた〝もっと賢いヒト〟も作られたが、やはりダメ。下地がないために習得するために格段の時間が必要となり、その差は一代で埋めることはできなかった。
それは天然ものにとって大きな慰めだった。と言うより、この弱点がなければ人造人間が社会に受け入れられることはなかっただろう。人造人間たちは外見、知能、身体能力のすべてにおいて天然ものより遙かに優れる。それでも、下地をもたないために科学文明に適応できない。つまり、天然ものに歯向かうことはできない。
その安心感があればこそ、人造人間の存在は受け入れられたのだ。にもかかわらずアネモネは適応していた。どんな機械も普通に扱えたし、パソコンも使いこなしていた。これは人造人間には特異なことだった。
機械は扱えても体力がないので、農場の仕事にはやはり向かなかった。そもそも、〝美しいヒト〟は『愛玩用』なので体力面は犠牲にして設計されている。加えて、モデル体型にするために厳格な食事制限をされてきたとなればなおさらである。どうしても時間がかかるし、補助も必要になる。アネモネひとりいるだけで仕事はずっと遅れる。キオはイライラしっぱなしだった。
「いい加減にしろよ! あんな子供にこだわって仕事を遅らせてどうする⁉ スーパーに出荷する時間は決まってるんだぞ」
「そっちは任すわ」
「そんなにアネモネがかわいいのか⁉」
「当たり前でしょ」
キオの叫びを一刀両断にしてトゥナはアネモネベッタリをつづけた。仕事中はもちろん、食事も一緒。風呂にも一緒に入る。とにかく、アネモネがかわいくて仕方がない。
トゥナはアネモネとの関わりを通じて自分がこの三年間、どんなにさびしかったかを思い知らされていた。この広い農場にたったひとりで暮らしていたのだ。一年前からはキオもいたけど、キオは一緒に食卓を囲むことはできない。もちろん、一緒にお風呂に入ることも。ロボットとは言え一応、男なので。
アネモネがきてくれて、ほんの少しだけどかつての賑わいを取り戻せた気がした。
――このまま、アネモネと一緒に野恵農場を盛り上げていきたい。
心からそう思った。
食事中、体力を付けようと必死に食物を口に押し込むアネモネの姿をじっと見つめた。それに気付いたアネモネが照れたように言った。
「……なに?」
トゥナは満面の笑みで答えた。
「ちょっと、嬉しいだけよ」
トゥナにとってこの上なく幸せな日々だった。日数にすればほんの数日だけど、これまでの三年間に匹敵する、それ以上に密度の濃い毎日だった。
その一方で、アネモネは自分のことは何ひとつ語ろうとはしなかった。なぜ、森のなかで倒れていたのか、どこから逃げてきたのか、他に仲間がいるのか――。
それらの問いには何ひとつ答えようとしなかった。
何度か女性騎士がやってきて事情聴取したのだがやはり、アネモネは頑なに沈黙を守り通した。その態度に苛立った女性騎士が直接、脳をスキャンして情報を引き出そうとしたが、これはトゥナが断固として阻止した。
そもそも、明白な犯罪者でもないのに脳スキャンするなど、れっきとした違法行為。それでもしようとしたのはやはり、〝美しいヒト〟に対する反発があったからだろう。アネモネに嫌悪の視線を向ける女性騎士の姿を見るつど、トゥナは騎士団に渡さなかった自分の判断が正しかったことを確信した。
その日もトゥナは幸せいっぱいだった。一日中、アネモネと一緒に仕事をして、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂にも入った。いっぱい、おしゃべりもした。農場のこと、おばあちゃんのこと、森のこと……。アネモネはじっと聞いてくれた。
これ以上ないほどの充実感と満足感をもってベッドに入った。あまりに幸せすぎて眠れず、何度も寝返りを打った。これからもこんな日がつづく。ごく自然にそう思っていた。
――少しずつだけど、アネモネも体力が付いてきた気がする。これからもおいしい料理をいっぱい食べさせてあげて体力を付けさせてあげよう。甘いお菓子もいっぱい、食べさせてあげよう。体力が付いて元気になったら一緒に森のなかを散策しよう。アネモネに見せてあげたいもの、教えてあげたいことがいっぱいある。あ、でも、やり過ぎて太らせちゃったり、筋肉もりもりになっちゃったりしたら困るから、そこはほどほどにしておかないとね……。
トゥナはそんな未来を夢見て眠りについた。どこまでも幸福感に満たされていた。ところが――。
その幸福は唐突に断ち切られた。眠っていたトゥナの首筋にひんやりした感触が押しつけられた。
反射的に飛び起きようとした。それを低い、落ち着いた声がとめた。
「動くな。首が飛ぶぞ」
言われてトゥナは気がついた。首もとに一振りの太刀が突きつけられていることに。驚くトゥナの前にふたりの男が立っていた。
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