二章
二つのはじまり(1)
「聞こえる?」
いつ以来のことだろう。オクトーの音響センサーに人間の声が届いた。
声が届いた?
ああ、それでは自分はいま、機能しているのだ。エネルギーを使い果たし、全機能が停止していたはずの自分。その自分がいま、再び機能している。と言うことは、誰かがエネルギーを入れてくれたのだ。誰だろう? 役立たずの〝心を持つ〟ロボットにわざわざそんなことをしてくれたのは? 先ほどの声の主か? 一体、誰なんだろう?
オクトーの機械脳が記録した音声パターンを分析し、メモリ内のパターンと照らし合わせた。その結果、二〇代前半の女性の声だという結論に達した。
「ねえ、聞こえる?」
同じ声が重ねて言った。声に幾分、苛立った様子が混じっていた。
「盗まれていた部品は全部、補充したし、エネルギーも入れたし、他にとくに故障はないって言う話だったから機能は復元してるはずなんだけど……」
そう言う声にオクトーの耳慣れない調子が含まれていた。オクトーの機械脳はインプットされている人間の感情と声の調子の相関関係に関する膨大なサンプルを検索し、それが『気遣う』という感情の波であることを発見した。
――と言うことは、この声の主はおれのことを『心配している』と言うことか?
オクトーは一瞬、信じられなかった。一体、どこの誰が役立たずの〝心を持つ〟ロボットのことなど心配すると言うのだろう? 少なくともあのお披露目の日からこの方、そんな感情を向けられた覚えはない……。
オクトーはどんな相手か確かめたくなった。どうして声しか聞こえないのだろう? 光センサーの故障か? ああ、いや、ちがう。そうじゃない。瞼を閉じたままなのだ。
長いこと機能を停止していたせいですっかり忘れていた。オクトーは瞼に力を込めた。ピクリ、と、両の目が動き、瞼が開いた。人間の目と見分けのつかない人工眼球が現れた。
オクトーの目の前にひとりの人間がいた。『気遣う』表情を浮かべてオクトーをのぞき込んでいる。
――じゃあ、本当におれのことを心配しているのか?
そのことにオクトーはむしろ戸惑った。
そこにいたのは二〇歳前後に見える人間の女性だった。合成遺伝子で作られた人造人間や遺伝子操作を受けた強化人間ではない、正真正銘の天然ものの人間のようだ。大きめのタンクトップにジーンズ、腰にはジャケットを巻き付けている。いかにも肉体労働者という格好で、サラサラの髪をシンプルなショートカットにまとめている。この年代の女性としては平均的な身長にスレンダーな体つき。細いけれどひ弱と言う印象はまったくない。むしろ、よく鍛えられたヤナギの木のようなしなやかな強靱さを感じさせる。日頃から体をよく使っているのだろう。オクトーはそう判断した。
見た目で稼げるほどの美女、と言うわけではないが、健康的な肌と快活な表情、何より、妙齢の女性と言うより小学生男子と言った感じの生気に富んだ瞳が印象的だった。
「ああ、よかった。気がついてくれたのね」
女性がそう言ってホッと胸をなで下ろした。
「あたしは
大きな瞳がまっすぐに見つめてくる。興味津々と言った感じに輝く表情が何ともまぶしい。
「オクトー……」
「オクトー?」
トゥナは眉をひそめた。表情が曇った。トゥナは『オクトー』というのがラテン語で『八』を意味する言葉であることを知っていた。
トゥナはうつむいた。顎に指を当てて考え込んだ。顔をあげて、オクトーに言った。
「『キオ』って呼んでいい?」
「えっ?」
「だって、人を数字で呼ぶなんてできないし。あなたがそれでいいならそう呼びたいんだけど」
「人って……おれはロボットで」
「同じことよ。あなた、世界で一二体だけ作られた〝心を持つ〟ロボットなんでしょう?」
「そうだけど……」
何で、そのことを知っているんだろう?
一瞬、そう思ったが、考えてみれば当たり前のことだ。ロボットを拾ったからには刻印されている製造ナンバーぐらい確認しただろうし、ネットで検索すれば素性はすぐにわかる。
――と言うことは、おれが役立たずであることもわかっているわけだ。
オクトーは苦い思いを噛みしめた。一体、何度目だろう。『心なんてなければよかったのに』と思ったのは?
トゥナは屈託のない様子でつづけた。
「人間の心をもっているなら人間と同じよ。数字で呼ぶなんてできないわ。あ、もちろん、あなたに自分で名乗りたい名前があるならそう呼ぶけど?」
「……キオでいい」
「そう、よかった」
トゥナはパアッとお日さまのような笑みを浮かべた。その笑顔が思わずたじろいでしまうぐらいまぶしかった。
「それで、貴重な〝心を持つ〟ロボットがどうしてあんなところでスクラップになっていたの? よければ教えてもらえる?」
『よければ』と、断ってはいるものの、聞きたくて聞きたくてウズウズしているのは、わざわざ表情サンプルを検索するまでもなくわかった。
――遠慮とか、気づかいとかとは無縁の性格らしいな。
オクトー改めキオはそう判断した。もっとも、役立たずの〝心を持つ〟ロボットが人間からの遠慮や気づかいを要求するのがおこがましいというものだろう。
「……いいよ、長い話になるけど」
キオはこれまでのことを話しはじめた。どうせ、役立たずの〝心を持つ〟ロボットであると知られているのだ。いまさら、隠すこともない。
話していくうちにトゥナの表情は目まぐるしく変わった。同情したり、引いてしまったり、キオに対する人間たちの態度に腹を立てたり……本当にネコの目のようにコロコロと表情が変わる。まるで、感情に正直な子供のようだ。その表情の一つひとつがキオのメモリにハッキリと記録された。
「そ、そのう、それは……大変だつたわね」
同情していいのか、引いていいのかわからない、と言った様子でトゥナは言った。
「でも、役立たずなんておかしいでしょう。ロボットはロボット、記憶力と演算能力は確かなんでしょう?」
「それはそうだけど……そんなこと、脳とネットを直結して機能拡張すれば、人間にだってできることだから」
能力が同じなら、『タダで作れる』人間の方がよっぽどコストパフォーマンスが高いわけだ。
「放射線とか、生物兵器とかで汚染された地域の調査は? ロボットなら放射線やウイルスの類いを気にする必要もないでしょう?」
「そんなところに立ち入ったらこの体自身が放射線を浴びて、汚染源になるよ。ウイルスだってどこに潜むかわからない。つまり、人間の世界には戻ってこられなくなる。〝心を持つ〟ロボットは使い捨てにするにはコストがかかりすぎる。結局、人間と同じ防護服が必要になる。だったら、人間がやった方が安くあがる」
「でも、水や食料のいらないロボットのほうが長く行動できるんじゃない?」
「逆だよ。人間なら水や食料がなくなっても自分の体を食うことで、ある程度は行動できる。でも、おれたちロボットはエネルギーが尽きたらそこで終わる。一歩も動けなくなる。人間のように気合いや根性で乗り切るなんていうことはできないんだ。インフラが整備された場所ならともかく、インフラの存在しない荒野では人間の方がずっと役に立つ」
「えっ? だって、〝心を持つ〟ロボットって宇宙開発用に作られたんでしょう? 宇宙にこそインフラなんてないじゃない」
「それは、宇宙船からエネルギーを補充できるからだよ。宇宙船そのものが移動するインフラなんだ」
「あ、なるほど」と、トゥナは納得した。
「それじゃ、子守なんかは? マンガにはよく子守ロボットなんて言うのも出てくるじゃない」
「介護と同じ理由で向かなかった」
「機械の設計とかは? 機械なら人間以上にうまく設計できるんじゃない?」
「そう言う専門的なことはその目的のために作られたAIの方がよっぽど安く、大量にできる。何しろ、おれたちには休息が必要だけど、通常のAIなら休みなしでぶっ続けで作業できるんだからな」
「世の中の問題を解決するとか」
「人間と同じ心を持つロボットには人間と同じ答えしか出せない。つまり、人間がいればおれたちはいらない」
そこまでやりとりをつづけたところでトゥナは考え込んだ。真剣な表情で尋ねた。
「〝心を持つ〟ロボットの存在意義って何なの?」
その一言は巨大な剣となってキオの胸に突き刺さった。トゥナはため息をついた。
「昔のマンガに出てくるロボットやサイボーグたちは一〇万馬力だったり、空を飛んだり、超音速で走り回ったりして大活躍していたものだけど……」
「あれは、あんなことを考える方がおかしいんだ!」
キオは突然、怒鳴った。いきなりのことにトゥナはびっくりして目を丸くした。キオは興奮したままつづけた。
「この小さな体のどこに一〇万馬力のモーターやら、ジェットエンジンやら、加速装置やらを付けられるって言うんだ⁉ まして、四次元ポケットなんて、もてるわけないじゃないか!」
キオのあまりにムキになっての反論にトゥナは呆気にとられた。マジマジと見つめてしまう。キオも言い過ぎたことに気がついたらしい。たちまち顔が真っ赤になる。
「キオって……」
「な、なんだよ……?」
「けっこう、オタク?」
その一言にキオは耳まで赤くなる。人生経験が少なく、情緒が発達していない〝心を持つ〟ロボットは、つくづく心の動きがわかりやすい。
キオはそっぽを向きながら答えた。
「……将来の参考にっていろいろ読まされたから」
「ふうん」
と、トゥナはちょっと疑うような様子で答えた。
「ねえ、キオ」
「なに?」
「あなたさえよかったら、ここで働いてくれない?」
「ここで?」
キオはびっくりして目を見開いた。トゥナはうなずいた。
「そう。ここは野恵農場って言ってね。いわゆる手作りの小さな国なの。手作りの小さな国は知ってるでしょ?」
「知ってるけど……」
トゥナは嬉しそうにうなずいた。
「二年前、持ち主だったおばあちゃんが死んじゃってね。あたしが継いだの。でも、おばあちゃんの頃とはちがってすっかり寂れちゃったけどね」
と、トゥナは苦笑しつつポリポリと髪などをかいて見せた。キオは戸惑いがちに尋ねた。
「ひとりで暮らしているわけ?」
「ひとりじゃないわよ。畑の作物もあるし、ヒツジやニワトリはまだいるから。森のなかにもいっぱい仲間がいるし……って、ああ、『他の人間はいないのか』って意味? だったら、そうよ。ここで暮らしている人間はあたしひとり。幼なじみが心配してよくきてくれるけどね。おばあちゃんが死んでから、それまであった自然細工師の工房も解散しちゃったし。
あ、でも、あたしはめげてなんかないわよ。いつかきっと、おばあちゃんが生きていた頃みたいに、ううん、それ以上に野恵農場を賑やかにするんだから。そのために手伝ってほしいの」
「手伝いと言っても……」
――手伝い? この役立たずの〝心を持つ〟ロボットに手伝いだって? 本気でそんなことを言っているのか?
トゥナは屈託のない笑顔でつづけた。
「あたしはこの農場で生まれ育ったから仕事そのものには自信はあるんだけど、やっぱり、一応は女じゃない? さすがに力仕事はキツくてね。頼れる人が欲しかったの。と言っても、いくら『色気がない』って言われるあたしでも、恋人でもない男と一緒に暮らすって言うわけにはいかないしね」
トゥナはそう言ってコロコロと笑った。
――色気がないなんて……充分、きれいじゃないか。
キオはそう思って頬を赤くした。
「その点、ロボットのあなたなら安心だしね。宇宙開発用に作られたんだから力はあるんでしょう?」
「プロの格闘家には敵わないけど……」
『一般人よりは』というポジティブな表現ではなく、ネガティブな表現をしてしまうのがキオらしかった。
「と言うわけでどう? もちろん、無理強いはしないけど、ここならエネルギーも自給できるしさ。身の振り方が決まるまでの間だけでも手伝ってくれないかな?」
トゥナは期待に満ちた目でキオを見た。キオはこんな目で見られたことはなかった。いや、あるにはある。お披露目のときだ。あのときだけは世界中から期待の目で見られていた。すぐに、失望とさげすみに変わったけど。
チラリ、と、キオはトゥナの表情を盗み見た。トゥナはキラキラと輝く目で自分を見ている。キオが承知してくれることを心から願っている。そんな目で見られては断ることはできなかった。
「……わかった。役に立つかどうかわからないけどやらせてもらうよ」
「やったあ、ありがとう! これで決まりね」
トゥナはキオの手を両手でつかむとブンブン振り回した。その柔らかく、暖かい感触にキオの顔が耳まで赤くなる。
――心をもっていてよかったかも。
キオがそう思ったのは、もしかしたら生まれてはじめてのことかも知れなかった。
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