三つのプロローグ(3)

 目の前でみるみるうちに人間ができあがっていく。それは何とも奇妙な光景だった。無菌状態に保たれたバイオ3Dプリンタのカプセルのなかで、人工培養された組織がノズルから吐き出され、人の形に積みあがっていく。足ができ、脛ができ、股ができ、腹から胸、腕ときて、次が首、そして、頭ができ、脳髄が吐き出され、頭蓋骨が被されていく。

 一日とたたないうちにひとりの成長した人間ができあがる。しかも、それは、単に形だけを似せた肉の塊などではない。紛れもなく生きて動く、本物の人間なのだ。ある人は科学の勝利だと快哉を叫び、またある人は許し得ない神への冒涜だと感じ、またある人は見ただけで言いようのないおぞましさを覚え、吐き気に襲われる。それが、この光景。この時代の技術が生み出した仕業だった。

 人が積み重なっていく様をふたりの女性が見せられていた。ひとりは二〇代半ばに見える。もうひとりはまだ一〇歳にもなっていないような幼い女の子だった。手も足も胴体も折れそうなほどに細い。この年頃の女子としても身長が低く、見るからに軽そうだった。

 ふたりとも信じられないほど美しかった。美しいだけではなく何とも言いようのない色香が漂っている。まるで、金属を吸い寄せる磁力のような、近づく船をすべて呑み込む渦のような、そんな色香。少女の方はまだ七、八歳だろうに、その歳ですでに、どんなに真面目で堅苦しい男でも一瞬で性犯罪者に変えてしまう魔性の魅力があった。それは決して自然のうちに宿る魅力ではない。紛れもなく、その目的のためだけに磨かれ、洗練されてきた魔性だった。男という男の欲望を刺激し、女という女の嫉妬を買う、そのために生まれてきた。まさに、そんな印象の女性たちだった。

 バイオ3Dプリンタが止まった。カプセルのなかに五体すべてがそろった完全な人間ができあがっていた。一五、六と見える少年だった。

 カプセルが開いた。少年がフラフラと外に出てきた。目の焦点が定まっていない。と言うより、自分の見ているものがまったく理解できていない、そんな目だった。赤ん坊の目だ。外界に出てきたばかりでまだ何もわからない新生児の目付きだった。

 ヒュッ、と、音を立てて一筋の閃光が走った。少年の首筋が真っ二つに裂けた。血が噴き出した。少年は自分の身に何が起きたのかまるでわかっていなかった。不思議そうに滝のように噴き出す血を見つめている。やがて、目の光が失われた。グラリ、と、頭部が揺れた。倒れ込んだ。それきり、もはや動くことはなかった。ただの肉塊と化した体からはただ血が噴き出すばかりだった。

 その様子をふたりの女性は声ひとつあげずに見つめていた。機械によって生み出された少年がその場で殺された。その異常さに感覚が麻痺していたのか。そうではない。ふたりにとってこんな有り様を見るのははじめてのことではなかったからだ。

 「見たか」

 聞くだけで魂まで穢れるような粘着質の声がした。少年を殺した男がふたりの女性を見下ろしていた。黒いスーツに縞のネクタイ、黒い帽子、高級そうな葉巻をくわえている。古い映画に出てくるマフィアのボスそのままの姿だ。右手には一本のナイフが握られており、その刃にはべったりと血が付いていた。少年の首筋を切り裂いたナイフだ。いままでにも数え切れないほどの人間を切り刻んできたナイフだ。

 男の名はグリム。この館の主であり、家畜のブリーダーを自認する男。『ブリーダー』という肩書きはまちがっているわけではない。人造人間を『家畜』の範疇に納めるならば。

 「見たか」

 グリムはいま一度、繰り返した。ふたりの女性を見る目がサディスティックな喜びにヌラヌラと光っている。まるで、毒トカゲの唾液のような光だった。まともな感性の持ち主ならその目付きを見ただけで逃げ出したくなる、そんな目だった。

 「見たか。これがお前たちだ。お前たちはこのガキと同様、機械で作られたんだ。おれたち人間にはお前たちを作る力がある。お前たちを作り、従わせるのは当然の権利だ。わかっているな?」

 「……はい」

 と、ふたりの女性のうち、年長の方が答えた。

 「よろしい」

 ニンマリとグリムが笑った。自分の絶対的な優位を確信し、安心して相手をいたぶり、名誉と尊厳を奪い、踏みにじる。その行為に喜んでいる。そういう笑みだった。

 「本当にわかっているか、試してやろう。お前の名はなんだ?」

 グリムは年長の女性に向かって言った。女性は静かに答えた。

 「……サン、です」

 「お前は、おれのなんだ?」

 「道具です」

 「よろしい。道具なら道具らしく使ってやるぞ。さあ、おれの靴の底を舐めろ」

 グリムはそう言って片足をあげた。より大きな屈辱を与えるためにわざと汚しているのだろう。そうとしか思えないほど汚れた靴の裏だった。

「はい」

 女性はグリムの前に跪いた。バラのような唇が開き、舌先が靴の底を舐めはじめた。

 世の中の男という男すべてが猛り狂うほどの魔性の美女が四つん這いになって、下品で粗野な男の靴の裏を舐めている。その気のない男でさえ興奮し、我を忘れずにはいられない光景だった。

 ヌラリ、と、グリムは少女の方を見た。同じ言葉を投げかけた。

 「お前の名はなんだ?」

 「ニジュウロク、です」

 「お前は、おれのなんだ?」

 「道具です」

 「よろしい! ならば、おれの靴の裏を舐めろ! 母親と一緒に四つん這いになって、おれの靴の裏を舐めるがいい!」

 少女は言われるままに従った。母の横で同じように四つん這いになって男の靴の裏を舐めはじめた。男の顔に歓喜が爆発した。

 「わはは、いいぞ、いいぞ! お前たちはおれ様の道具だ、どうしようとおれ様の勝手だ! そのことを忘れるなよ!」

 その哄笑を聞きながら、少女は黙ってグリムの靴の裏を舐めつづけた。逆らうことはできなかった。自分が逆らえば母がどんな目に遭わされるかわかっているからだ。わずか数年の人生の間で自分が少しばかり逆らったために母親が鞭で打たれ、電気ショックを浴びせられ、拷問に掛けられるのを何度も見せられた。『将来の勉強のため』と称して、母が何人もの男に犯されているのを見せられたこともある。母の苦痛を少しでも減らすためには誠心誠意、グリムに奉仕するしかなかった。

 『ふたつの道具』相手にたっぷりとサディスティックな欲望を吐き出し、グリムは部屋を出て行った。聞くそばから耳が腐り落ちそうな笑い声を残して。

 サンは細すぎるほどに細い娘の体を抱きしめた。その可憐な舌をそっと手でぬぐった。

 「アネモネ」

 サンは娘にそう呼びかけた。

 アネモネ。キンポウゲ科の多年草。その花言葉は『あなたを愛します』。娘が屈辱を味わうままにしておくしかない母親が、せめてもの思いを込めて付けた秘密の名前だった。

 「耐えて、アネモネ。いつかきっと、ここから逃がしてあげるから」

 アネモネという秘密の名をもつ少女は、母の胸のなかでそっとかぶりを振った。

 「無駄よ。逃げ出したところで。わたしたちには病原菌が植え込まれている。週に一度、緩和剤を打って休眠させなければ、わたしたちはたちまち死んでしまう」

 「いいえ、アネモネ。人間の町にさえたどり着ければきっと誰かが助けてくれる。人間にはそれだけの技術があるもの。だから、希望を捨てないで。あなただけは絶対に逃がしてみせる」

 無力な母の告げるありったけの誓い。アネモネは母の胸に顔を埋めた。

 そこは森のなかにある洋館風の大きな建物だった。広い農場が付いていて管理人の家がある。かつては富裕層向けの農園付き貸別荘だった。だが、経営が成り立たなくなり持ち主は夜逃げ。以来、打ち捨てられていた。その建物をグリムが見つけ、自分の商売の拠点としているのだった。

 アネモネは〝美しいヒト〟だった。

 〝美しいヒト〟――ホモ・サピエンス・プルクランシス。それは、美の化身となるべく生み出された人造人間、人の手で作られた人類の新しい種族だった。

 凄腕のバイオハッカー、シーモア・シャガールとバイオアーティストのジャン・ジャック・シュヴァリエのふたりによって生み出された。ふたりは『人間の美を極める』という目的のために、一〇年の歳月を掛けて人間が最も美しいと感じる風貌を割り出し、合成DNAを作成した。そうして生み出されたはじめての〝美しいヒト〟は『アフロディーテ』と名付けられた。言わずと知れたギリシア神話の美の女神。芸術家としては安直な命名だが、それだけ自分たちの作り出した人造人間の美しさに自信があったと言うことだろう。

 『見ろ! 我々はついに神に並ぶ美を作り出したのだ!』

 と言うわけだ。

 だが、この第一号は失敗だった。美しくなかったわけではない。その逆だ。美しすぎたのだ。あまりに整った美は逆に人間味を損ね、人形のように味気ないものにしてしまった。頭では絶世の美女とわかるのだが、感情面で揺さぶるものがまったくなかったのだ。

 特に芸術家であるシュヴァリエにとっては致命的な失敗だった。人の心を揺さぶれない芸術など、芸術の名に値しない。

 この失敗によってシュヴァリエはバイオアーティストを引退。以降、世に出ることなく人生を終えることになる。その落胆ぶりを思えば、アフロディーテを失敗作としてたたき壊すような真似をしなかっただけ分別があったと言うべきだろう。

 一方、科学者であるシャガールの方はシュヴァリエほどの落胆はしなかったようである。それでも、これを機にバイオハッカー界を引退。以降、二度とDNAをいじることはなかった。ちなみに、アフロディーテはと言うと、シャガールの養女となってそれなりに幸せな一生を送ったようである。

 さて、創作者のふたりが見放しても世のバイオハッカーたちは〝美しいヒト〟を見捨てなかった。バイオハッカー界の流儀に従って公開されていたアフロディーテのDNAを入手したバイオハッカーたちは、自分たちの理想の美を実現するべく改良に改良を加え、ついに作りあげた。

 それはアフロディーテの美しさはそのままに、人間らしい乱れを加え、極めて強烈な性的反応を引き起こす存在となっていた。『歩く性犯罪者発生器』と揶揄されることになるほどに。

 彼女たちが誘っているとか、媚を売っているとか、そう言うわけではない。ただ普通に歩いているだけでも男たちの性欲を刺激し、行動に駆り立ててしまうのだ。それは本人たちにもどうしようもないことだった。何しろ、DNAレベルでそういう風に作られているのだから。彼女たちに男を刺激するのやめろと言うのは、普通の人間に向かって『心臓を動かすのをやめろ』と言うのも同じだった。

 かくて、世界中で〝美しいヒト〟に対するレイプ事件が巻き起こった。男たちにしても何もレイプしたいわけではない。あくまでも善良な市民たちなのだ。しかし、何と言っても牡としての本能を直接、刺激されるのだ。その衝動に耐えるのはほとんど不可能だった筋金入りのゲイでさえ例外ではなく『女なんて抱きたくないのに!』と泣きながら犯す事件さえあったほどだ。

 男たちは〝美しいヒト〟を避けるようになった。人造人間とは言え、人間のDNAをもとに作られてるのだ。れっきとした人間。法的にも人間と同じ権利をもっている。その彼女たちを襲えば性犯罪者として裁かれることになる。そんな危険を冒したがる男はいなかった。

 男から避けられた上に女たちからは憎まれた。何しろ、〝美しいヒト〟が側を通り過ぎただけで優しい夫や恋人たちが、大切な息子までが、性欲しか頭にないケダモノになってしまうのだ。耐えられるものではなかった。

 さすがに女性たちも『人間』を殺すよう要求するまではしなかったが、仮面で顔を隠す、あるいは、新しい体を作って脳移植するなどを要求した。『男たちを誘惑の悪魔から守るための当然の処置』として。

 議論が巻き起こった。〝美しいヒト〟も法的に認められたれっきとした人間なのだ。『魅力がありすぎる』という理由で顔を隠させたり、肉体を取り替えたりすることを強要するなどできるだろうか? それは重大な人権侵害ではないのか?

 議論は紛糾したが結局、『これは彼女たち自身を性犯罪から守るための処置だ』という声が大勢となった。すべての〝美しいヒト〟が仮面をかぶることが義務づけられた。

 ダメだった。仮面で顔を隠しても〝美しいヒト〟の全身から発散されるフェロモンは弱まることはなかった。むしろ、顔を隠していることが神秘性となり、性犯罪の被害になる率があがったほどだった。

 〝美しいヒト〟が傷つくのはもちろんだが、男の方だって襲いたくて襲うわけではない。衝動に駆られ、発作的に行ってしまうのだ。おかげでひどい罪悪感に苦しむことになる。

 結局、〝美しいヒト〟は人前に出てはいけないことになった。人権侵害だのなんだの言っている場合ではなかった。そうしなければ性犯罪の被害者と加害者が共に量産されていくことになるのだから。

 もちろん、バイオ3Dプリンタで新しい体を作り、脳移植すれば解決できる。しかし、いくら何でもそこまでの強制はできるものではないし、本人の自由意思に任せるにしても脳移植への恐怖と抵抗を乗り越えることは容易ではない。結局、ほとんどの〝美しいヒト〟は新しい肉体をもつことよりも建物の奥深くで暮らすことを選んだ。

 そうして、いまも〝美しいヒト〟は人目に付かない建物の奥深く、外に出ることなくひっそりと暮らしている……。

 しかし、一方で〝美しいヒト〟の商品価値に気付いた人間たちもいる。犯罪集団だ。〝美しいヒト〟を抱きたがる男は多い。こっそりと〝美しいヒト〟を作り、そんな連中に売りつければ……。

 そのことに気がついてから実行されるまでに長い時間はかからなかった。もちろん、これはれっきとした人身売買であり、犯罪である。しかし、人類の歴史上、法や倫理を守る人間ばかりだった時代はない。

 かくして、世界中で〝美しいヒト〟の密かな製造が行われた。何しろ、〝美しいヒト〟の合成DNAはネット上に公開されており、誰でも入手できる。バイオ3Dプリンタ一台あれば子供でも作れてしまうのだ。止められるものではなかった。

 多くの〝美しいヒト〟が作られ、いやらしい金持ちたちに売り払われていった。そのなかには男もいた。美少年を好む男は意外と多いものだし、美しい男を手に入れたいと望む女性も少なくなかったからだ。

 アネモネも性奴隷として作られたひとりだった。グリムとその組織によって作られた二六番目の性奴隷。やがて売り払われることとなる商品。ただし、アネモネはそれまで二五人とはちがい、セレブ向けの最高級品だった。そのために他の二五人のようにバイオ3Dプリンタで作られるのではなく、受精卵として作られ、女性の胎内で育てられた。その母体として選ばれたのがサン、グリムの組織によって三番目に作られた性奴隷というわけだった。

 『最高級品』の名にふさわしいよう、アネモネには最高の教育が施されていた。一般教養はもとより、詩歌に舞踊、学問、芸術、楽器演奏、ありとあらゆる知識と教養を学ばされていた。それこそ、寝ているときと食事の間以外はすべて鍛錬、自分の時間など一日のうち一分たりともなかった。食事の時間さえ解放されるわけではない。大切なテーブルマナーを学ぶ時間だからだ。

 その食事内容は高級だが乏しいものだった。モデル体型に育てるために厳格な食事制限が課せられていた。脂質や糖質は厳重に制限され、植物性タンパク質と野菜ばかりの食事。それも、腹いっぱい食べるというわけにはもちろんいかない。理想通りの体型に育てるための厳密なプログラムに従って指定されただけの量を食べるように決められていた。その量は七、八歳の子供の食事としても少ないもので、小柄で細すぎるほど細い体つきはそのためだった。

 屋敷にはグリムの配下たちが三〇人ほど暮らしていた。半分は暴力の専門家であり、もう半分が屋敷を運営するスタッフと〝美しいヒト〟の家庭教師だった。

 〝美しいヒト〟はアネモネとその母以外にはもう、ひとりしかいない。そのひとり以外はすでに全員、売り払われた。アネモネより二年早く作られたニジュウゴだけが商売の時期をまって屋敷で暮らしていた。

 屋敷にはもうひとり、人造人間がいた。『むさ犬』と呼ばれている男だった。三メートル近い長身を侍のような袴に包み、太刀を構えた男。グリム直属の用心棒。美しさを追求した〝美しいヒト〟に対し、強さを追求した〝強いヒト〟だった。一体、どれほどの修羅場をくぐってきたのか、死を見据えるようなその瞳にはゾッとするような凄みがあった。

 屋敷のなかを移動していれば当然、男たちの目にとまる。自分を見る男たちの目が何を意味するものか、幼いながらに性奴隷として育てられているアネモネには充分にわかっていた。そもそも、男たちのほうが隠すつもりがない。どうして、隠す必要があるのだろう? 相手はその目的のために作られた『道具』だというのに。

 見かけるたびに露骨に欲望を剥き出しにし、舌なめずりする。その目付きを見れば頭のなかで服を引きちぎり、存分に犯しているのは明白だった。なかにはペニスをとりだし、これ見よがしにしごきはじめる者までいた。

 しかし、アネモネに手を出すわけにはいかない。アネモネは大切な商品であり、販売前に汚してしまえばグリムにどんな目に遭わされるかよくわかっていた。だから、アネモネには手を出さない。それだけに欲求不満が溜まる。その吐け口となるのが母のサンだった。

 毎夜まいよサンは屋敷の男たちの相手をさせられていた。それが『性行為』と呼べるようなものばかりではないことをアネモネはすでに知っていた。

 ある夜、男たちの欲望処理を終えて戻ってきた母親にアネモネは抱きついた。

 「だいじょうぶよ、アネモネ」

 娘を抱きしめながら、サンは優しく告げた。

 「わたしはしょせん、機械によって作られた道具。だから、仕方がない。でも、あなたはちがう。あなたはわたしがお腹を痛めて産んだ子供。れっきとした人間よ。あなたはこんな目に遭う必要はないわ」

 アネモネはそっと、母の体を抱きしめ返した。

 「……お母さんだって人間よ。お母さんこそ、こんな目に遭う必要はないわ」

 「……わたしはただの『三』よ」

 「だったら、わたしがお母さんに名前をあげる。カーネーション。それが、お母さんの名前。わたしのお母さんの名前よ」

 アネモネはそう言って、母の体を精一杯、抱きしめた。

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