黒色の花弁
深雪 了
美しい魔性の子
中世ヨーロッパ、人々の住む集落から外れた田舎の地に、古めかしい教会のような建物があった。
全体的に灰色で三角形の屋根がいくつか有るそれは、しかし教会のように小ぢんまりした建築物ではなく、人家の四、五倍くらいはありそうな荘厳な屋敷だった。
そこはアドリアンという教祖が率いる過激派宗教団体の拠点だった。
彼は自らの人生や世の営みの
「美しいものには神ではなく悪魔が宿る」と言われるように、彼もまた悪魔は美しい造形をしているものと信じていた。
“この世に美しい
彼の野望は年を追うごとに増大していき、それを叶えるべく人里離れた場所に拠点を構え、同じ信念を持つ信者を集め、彼が五十歳の年にとうとうその儀式は行われた。
祭壇に灯りを
この男女は教団とは関係の無い一般の市民で、互いの面識も無かった。
“この世に美しい
この野望を実現する為に、美しい面立ちをしているというだけで拉致されてきた男女だった。
そして儀式が終わるとその場で男は殺され、生贄とされた。
女の方はこれにより子を孕み、十ヶ月間教団の施設にて監禁された。
そして子を産み落とすと、用済みになったこの女もまたすぐに殺害された。
そうして禁断の魂を宿して誕生したのが、美しい女の赤子だった。
しかし儀式は完全な成功で終わらなかった。
最中で一人の信者が血の入った盃を倒して中身を零してしまった。そのことに怒り狂った教祖の命でその信者はすぐに首を刎ねられたが、みなその信者のことよりも儀式の失敗の方を懸念していた。
だが生まれてきた赤子の瞳が悪魔を象徴する金色だったため、教祖と信者達はひとまず安心した。そしてその子どもは、「天使よりも美しくあれ」という意味を込めてミシェルと名付けられた。
ミシェルが十歳にもなると、その美貌はほとんど完成されていた。
金色の長い髪は美しく巻かれており、肌の色は白く、大きな瞳は透き通った金色に輝いていて、しかしその瞳孔は瞳の大きさに反して細く、獣のような獰猛さを放っていた。
ミシェルはいつも黒いドレスを着せられていた。フリルの付いたドレスを着た彼女はその美しさもあって高級な人形のようだった。
彼女は屋敷からほとんど出されることなく、過保護に育てられた。彼女が家具の縁で手に小さな傷を付けただけでも大騒ぎをされたものだった。
屋敷総出で猫可愛がりをされているかのようなミシェルだったが、乳母や教育係からは口を酸っぱくして「あなたは将来この世界を支配する存在だ」「あなたには偉大な
屋敷から出されないミシェルは当然学校に通わされることもなく、世間から完全に隔離された状態で育てられていた。
教育係による授業の時間はあったが、読み書き以外の通常の学問を教わることはほとんど無く、ひたすらに悪魔を崇拝する内容であったり、神がいかに人間に対して無慈悲であったかという話ばかりだった。毎日がそのような内容の授業だった為ミシェルは飽き飽きしてしまっていた。自分が偉大な存在であるという実感も湧かなかった。
ある日ミシェルは教団の敷地内にある森を歩いていた。薄暗く広いその森は、敷地の外に出られない彼女が息抜きをする場所になっていた。
ミシェルを屋敷外で一人にすることはない為、教育係のコレットという中年の女性信者が彼女に付き添っていた。二人で一時間程度、森を歩く予定だった。
ドレスを引き摺らないように両手で軽くつまみながら、ある程度森の奥まで進み、落ちている木の枝やしんなりしている土を踏みしめていた。
途中、木の高い場所に食べられそうな果実が実っていた為、ミシェルはその方向に自分の右手を広げてかざした。すると果実はふっと木の枝を離れ、ミシェルの手に吸い付くようにして収まった。その身に魔性を宿す彼女は、こうした人間離れした力を使うことがあった。それをコレットは嬉しそうに眺め、私が持ちますと言って果実をミシェルから受け取った。
そろそろ帰りましょうかという話になった頃、ミシェルは前方に白い塊を見つけた。彼女にはそれが一瞬大きな皿か何かに見えたが、近付いてみると一羽の兎だった。森ではたまにこういった小動物に遭遇することがあった。
しかしその兎はミシェルが近付いても逃げる素振りを見せず、目を閉じたまま頭を伏せていた。
ミシェルがコレットを振り返り、「この子、動かないわ」と言うと彼女は様子を見にこちらへやって来て、兎を見下ろすと溜息をついた。
「これはもう死んでいますよ」
「死んでしまっているの?まだこんなにも奇麗なのに」
ミシェルが兎のもとにしゃがみ込みそう言うと、コレットは大した興味も無さそうに言葉を続けた。
「目立った外傷も無いですから、おそらく飢えか病気で死んだのでしょう。きっと死んだばかりだから見た目も奇麗なのでしょうね」
降ってくる彼女の言葉を聞きながら、ミシェルは兎を見つめていた。兎は柔らかく目を閉じていて、眠っているようにしか見えなかった。しかしその体に触れてみると、体毛に覆われて温かそうな見た目とは反して何の温度も伝わって来なかった。それがミシェルをどこか寂しい気持ちにさせた。このまま兎を放っておきたくなかった。
「この子を弔ってあげたいわ。生物を弔うにはどうすればいいの?」
そう言ってコレットを振り返ると、その言葉を聞いた彼女はおかしなことでも耳にしたかのように目を見開いた。
「弔う、ですって?」
「ええ。生物は死んだら弔うものなのでしょう?どうすればいいの?」
ミシェルは純粋な疑問を口にしているつもりだったが、彼女を見下ろすコレットの顔は青ざめていた。
「あなたは・・・、あなたはそんなことを考えてはいけません。あなたはゆくゆくこの世の支配者となる存在です。全ての生物を恐怖で支配することとなるのです。そんな情けをかけるなんてもっての外ですよ・・・!」
そして彼女は帰りますよ、と一言いうとミシェルの腕を掴み、引っ張るようにして歩き出した。呆然としたミシェルは後ろ髪を引かれるようにして兎を振り返ったが、コレットの勢いに抵抗することは出来なかった。
屋敷に戻ったミシェルは自室で一人になると、机に頬杖を付き森での出来事を思い返していた。
コレットはよく、ミシェルが「完全な存在」になったら世の中を恐怖で支配すると言っていた。おそらくアドリアン教祖から受け継いだ、あるいは元々同じ考えであったのだろう。
しかし、教祖は神の人間への無慈悲さからそのような考えに至ったと聞かされている。
それなら、私がこの世を恐怖で支配したって、何も変わらない、あるいはもっと悲惨な世界になるのではないか?
アドリアンはただ自分が見限った神の代わりを正反対な存在で埋めようとしているだけで、私は彼の暴挙に巻き込まれているだけではないのか?
ミシェルはそのように思った。人智を超えた魂を宿す彼女は年端の割に賢く、またこの屋敷でまともな思考を持っているのは彼女だけと思われた。
教団の方はと言うと、森での兎の出来事がコレットによりすぐアドリアンに報告され、ただちにアドリアンと幹部の会議が開かれた。
みな口々に、やはり十年前盃を倒したせいで儀式が失敗し、ミシェルは完全な悪魔の魂を持って生まれてこなかった、きっと人間の魂も混じってしまっているのだろうと狼狽した。その結果これまで以上に厳重にミシェルを観察することになり、息苦しさを感じたミシェルはなるべく「人間らしさ」を表に出さないように意識して振舞った。教団の人間とすれ違う度に猜疑と警戒の目を向けられるのはご免だった。
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