街にて

断崖絶壁に立つこの城は、要塞としての側面が強い。三方を高い崖で囲まれ、残る一方も多くの門や橋がかけられており、この地に降りかかった災いの数々を色濃く残している。

その傷跡は下に行くほどより顕著になる。城を出て最初の門は彫刻がほどこされ、荘厳で威圧感の強い鉄の門であったが、下に行くにつれて鉄の割合が乏しくなっていく。最後の大きく、武骨な木製の門を潜り抜け、漸くシュルト達は城下町へと入った。

役人街を抜け、商業地区に入ったところで、エミリアは馬車を止めさせた。


「いやはや、長時間馬車に揺られるのは応えますな。」


メクスはお尻を摩りながら先に馬車を降りる。


「そう?私はそんなこと気にしたことが無いわ。」


メクスにエスコートされるエミリアは、普段は鳴りを潜めていた気品さを存分に弾けさせながら、優雅に馬車から降りる。


「それは貴女が水の魔法使い様だからですよ。私は応えました。歳には勝てないと実感しますよ。」

「メクス、貴方なら魔術を使うと思っていたのだけれど。」


ゆっくりと体を労わりながらストレッチをしているメクスにエミリアは疑問を投げかける。


「いつもならそうですが、それではシュルト君がかわいそうでしょ。こうして痛みを分かち合うことも、人間が生み出した立派なコミュニケーション方法の一つなのです。」

「その肝心のシュルトは人生初の乗り物酔いを経験したみたいね。」

「仕方ありませんよ。彼はついこの間まで閉じ込められていたんですから。」


そのシュルトの様子はというと、吐瀉物を撒き散らす前にエミリアによって眠らされていた。だが、その様子を見るに、良くない夢を見ているようだ。


「そろそろ起こしてみては。」

「大丈夫。ほら、起きてきた。」


二人が話している内に、ゆっくりと馬車の扉が開かれ、中から青ざめたシュルトがのそのそと降りてきた。


「おはよう、シュルト。少し風に当たると良い。」

「はい。」


ぼそぼそと答え、ボーと立ち尽くす姿は何故か絵に成る。エミリアは自身の芸術的センスに更なる自信を深め、メクスはよくもまあ、ここまでしたものだと関心半分、呆れ半分の溜息を吐く。

暫くし、


「もう大丈夫です。」

「では、参りましょうか。」


シュルトの顔に血の気が戻り、一行は一先ず城下町で一番大きな店構えを構えるアキト商店に顔を出した。


「いらっしゃいませ。おや、ロード・メクスでは御座いませんか。お久しぶりです。」


出てきたのはこの店で一番身形が良い男性だった。赤いネクタイはトレードマークだろうか。立派に蓄えられ、寸分違わず揃えられた立派な口ひげは正に紳士の証だろう。


「久しいな、エリューズ殿。だが、今日の御客は私ではない。」

「と、申されますと、こちらの御婦人方ですか。」


エリューズは少しだけ眉を吊り上げる。メクスが若い女性、一人は可憐という言葉が似合う少女を連れてくることなど今までなかったからだ。


「ああ、この方々は水の魔法使い様とその御弟子様だ。」


それを聞いた瞬間、その場にいた従業員全員が一斉に平伏した。


「ま、魔法使い様とは露知らず、とんだ御無礼を。」


それを見たエミリアは店内を眺め、満足したのか、


「まあ良い、今の私は機嫌がいいからな。次からは気を付けよ。」


と上機嫌に店主の頭を軽く踏んだ。


「承知いたしました。」


地面に頭をめり込ませながら、店主は声を振り絞る。


「エミリア、これは、何。」


シュルトは純粋にこの光景が怖かった。一人の人間に一斉に首筋を見せる。この場の生殺与奪の権が彼女にある事は明白だった。

異常、狂っている。階級の無い閉鎖された世界で過ごしてきたシュルトには理解できない世界だった。


「何って、分からせているんだよ。」

「何を。」

「生命としての立場だよ。人間は良くも悪くも魔法使いに運命を委ねる生き物だ。弱い人間はこうして私に跪いて命がある事に感謝し、人間をやめた強き者は私と対等に言葉を交わせる。つまり、彼らの行為は当たり前の事象だ。本能だ。古の時代から下等生物である人間が積み重ねてきた努力の結晶なんだ。」

彼女は楽しそうにエリューズの頭を踏みつけている。人々も、それが当たり前で、何もおかしなことは無く、ただ盲目に頭を擦りつけている。

「僕は外にいる。」

「ダメだよ、ちゃんと見ないと。これから君もする事に成るんだから。」


その言葉にゾッとしたシュルトは瞳孔を広げた目でエミリアを見る。


「どういうこと。」

「私達魔法使いの唯一の掟、それが”人に威厳を示せ、立場を分からせよ“。僕達は選ばれた時点で人とは違う。君は少し特別だけど、本質は変わらない。僕達は神の存在を証明する為ここにいる。私達が傲慢になるのはそう仕組まれたから。私なんて可愛いものだよ。統治者の言葉に耳を傾けるし、理由も無しに人を傷つけない。何より、私は威厳を示すだけ。それ以上の事は何もしない。君もそのうち知る事に成るよ。世界は君の純粋さを許さない。」


言いたいことは言い切ったと彼女は頭から足をどけ、シュルトの前に立つ。


「いいかい。君は世界を知らなすぎる。幾ら神人の血を引く一族でも、今は無力で無知な人間とそう変わりない。私から早く離れたいと思うのなら、精々覚醒して見せる事だね。」


エミリアはにこにことした笑い顔で彼に突き付ける。結局のところ、今のシュルトはただの無力で無知な人だ。エミリアに言いたいことがあっても、何も言えない。それは、対等では無いから。シュルトは己の無知と傲慢さを理解した。そして、見たくないものを見ない、そんな卑屈でねじ曲がった自身の弱さとも向き合わねばならない。そう、強く思った。


「さて、今日ここに来たのは撮影スタジオを借りる為です。お題はこのくらいでいいかしら。」

「はい、喜んで承ります。では、こちらに。」


おでこが少し赤くなった店長の案内により、シュルトは更なる困難に立ち向かう。

シュルトは知らない。これから先、この無知な姿を長きに渡り弄り倒される事を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る