街までの一幕

ひと月以上が経ったある日。シュルトにとって、それは余りに突然で。まるで神様が彼の為だけにエミリアの夢に現れたような。そんな天啓ともとれるような事の変わりようにただただ茫然としていた。


「シュルト、街に出るわよ。」


勿論、彼女には彼女の考えがあっての事。ただ、心の奥底にある、自らが狭い一室に殆ど缶詰め状態なことも要因だと理解している。勿論彼女の隣にはメクスも居り、三人で街に繰り出そうとしていることはわかる。だが、ここで弱音を吐いてしまうところが小さなシュルトである。


「あの、大丈夫なのですか。僕が街に出ても。途中で僕がもし何かしでかしたりとかしたら。」


それを聞いたエミリアは、はあと溜息を吐いた後、そっと彼の頭を撫でる。


「そんなこと、弟子の君が心配する事じゃないの。第一、君のようなひよっこが歴戦の魔法使いにかなうとでも思っているの。それこそ思い上がりよ。だから安心して着いてきなさい。」


そう答えたエミリアだが、実際、そういう訳にもいかないこともわかっている。いざとなれば、街の一つや二つ、国の一つや二つ、仕方が無いと思っている。それが魔法使いの常識であり、魔法使いが恐れられる大きな要因でもある。彼らと人間は、見た目が同じなだけで、生きている世界が根底から違うのだ。

無論、メクスはその事を重々承知している。承知しているが故に止める事など烏滸がましい事この上ない。彼が出来るのは街を知り、人を知り、国を知り、後世へと書き伝える事だけである。それ以外、何をすればいいのだろうか。

そんなメクスの心情も他所に、シュルトは小さな握り拳に心の不安を押し込める。


「僕、行くよ。」


覚悟を決めたシュルトが一歩踏み出す。と、それを遮るようにエミリアの手が伸びてきた。


「待って、シュルト。」

「なんですか、エミリア。」


せっかく胸を張り、拳を強く握りしめ、意気揚々と出ようとした矢先に急停止をさせられた為、シュルトは少し感情を露わにしながらエミリアへと突っかかる。何だか、自分が出した勇気をあざ笑われたかのような不快感が心に影を残す。


「シュルト、その格好で行くの。」

「……変、ですか。」

「もう少し、そうね。お洒落をしようか。大丈夫、私に全てを委ねれば。」


そうニヤリと笑ったエミリアが退出すること五分足らず。戻ってきた彼女の両手には大量の衣服が掛けられていた。

その衣服はシュルトにとって激烈だった。何せ、今までエミリアが着ていた様な衣装ばかりである。幾ら世間知らずのシュルトでも、平均的な男性服の構造はメクスを見ればある程度分かる。自らの常識と照らし合わせても、ひらひらとした衣装を身に纏うのは女性だけのはず。


「エミリア、その服は。」

「私の弟子用に今まで買いためたものよ。少し女性モノが多いのは歴代の子が女性ばかりだったから。だから、気にしないで。」

「気にしないでとは、何を。」

「女性モノという概念を。大丈夫、シュルトなら似合うわ。それに、変装の練習にもなるし、一石二鳥だわ。だから、私に委ねなさい、全てを。」


その獰猛な瞳を見て、シュルトは久々に思い出した。彼女が完璧な魔法使いである事を。自らなど、未だ足元にも及んでいないことを。シュルトの逃亡は一歩踏み出した瞬間に暗転した。

瞼をぱちくりと動かせる頃には、エミリアによる着せ替え人形、基、シュルトの変装は完璧に仕上がっていた。鏡を見ているシュルトはとても絵になる様な美しい少女へと変貌しており、氷のような瞳によく合う淡い空色のドレスを身に纏っていた。エミリアは満足げにシュルトを眺め、つい先ほど入室を許されたメクスは余りの驚きに大声を出そうとした瞬間に口元を水で埋められ、今は必死に息を整えている。


「では、行こうか。」

「え、本気ですか。」

「勿論。さあ、早く行こうか。メクスもいつまでも嘔吐いてないで。さあ、さあ。」

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